大綱村
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おおつなむら 大綱村 | |
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廃止日 | 1927年4月1日 |
廃止理由 |
編入合併 鶴見町、保土ケ谷町、旭村、大綱村、城郷村 → 横浜市 |
現在の自治体 | 横浜市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 神奈川県 |
郡 | 橘樹郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
4,782人 (国勢調査、1920年) |
隣接自治体 |
横浜市 橘樹郡城郷村、旭村、日吉村 都筑郡新田村 |
大綱村役場 | |
所在地 | 神奈川県橘樹郡大綱村 |
座標 | 北緯35度31分09秒 東経139度37分59秒 / 北緯35.51903度 東経139.63319度座標: 北緯35度31分09秒 東経139度37分59秒 / 北緯35.51903度 東経139.63319度 |
ウィキプロジェクト |
大綱村(おおつなむら)は、1889年(明治22年)4月1日から1927年(昭和2年)4月1日まで存在した神奈川県橘樹郡の村。
概要
[編集]神奈川県橘樹郡中部の村。現在の神奈川県横浜市港北区の東部、神奈川区のごく一部にあたる。
地理
[編集]- 川:鶴見川
歴史
[編集]村名の由来
[編集]旧大豆戸村・旧大曽根村の「大」と、旧南綱島村・旧北綱島村の「綱」を合わせて「大綱村」とした。
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、大豆戸村、篠原村、菊名村、樽村、大曾根村、太尾村、南綱島村、北綱島村が合併して成立。
- 1911年(明治44年)4月1日 - 子安村の一部(旧白幡村)を編入。
- 1927年(昭和2年)
- 1939年(昭和14年)4月1日 - 横浜市神奈川区から港北区が分区。1911年に旧子安村から編入された区域が神奈川区に、本来の旧大綱村の区域が港北区になる。
経済
[編集]産業
[編集]- 農業
『大日本篤農家名鑑』によれば、大綱村の篤農家は「磯部幸四郎、細野仲蔵、飯田助太夫、高瀬金次郎」などがいた[1]。
『神奈川文庫 第五集 百家明鑑』によれば、農業を営む人物は「池谷義廣、磯部桑五郎、伊東政吉、石黒近蔵、飯田助太夫、富川喜代八、椎橋宗輔、金子石松、金子茅太郎、金子作蔵、加藤峯太郎、金子重蔵、金子信吉、金子彦次郎、横溝徳左衛門、吉田徳次郎、吉原安次郎、竹生源蔵、田中佐吉、漆原馬蔵、小泉兼太郎、小泉幸助、小泉金作、小島重次郎、青木庄蔵、澤田喜三郎、森與三郎」などがいた[2]。吉田徳次郎は農兼商業、椎橋宗輔は農蚕業を営んだ[2]。
- 商工業
『神奈川文庫 第五集 百家明鑑』や『日本紳士録 第36版』によれば、商工業者は以下の通りである。
交通
[編集]鉄道路線
[編集]横浜線、東海道新幹線、横浜市営地下鉄ブルーラインの新横浜駅は、当時は未開業。
道路
[編集]村長
[編集]- 飯田助夫:1917年 -
出身・ゆかりのある人物
[編集]- 飯田助夫(衆議院議員、神奈川県会議長)
- 飯田九一(俳人、俳画家)
- 磯野庸幸(神奈川県多額納税者、ラジオ関東社長、貴族院議員) - 大豆戸村出身。上郎清助の弟。
- 上郎清助(神奈川県多額納税者、資産家、貴族院議員) - 大豆戸村出身。旧姓は吉田。
- 椎橋宗輔(神奈川県会議員、大綱村村長)
- 吉田三郎兵衛(神奈川県多額納税者、醤油製造業)
脚注
[編集]- ^ 『大日本篤農家名鑑』271頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年1月14日閲覧。
- ^ a b c d e f 『神奈川文庫 第五集 百家明鑑』橘樹郡之部21-24頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年1月15日閲覧。
- ^ 『日本紳士録 第36版』横浜ヨ、ラの部72頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年1月14日閲覧。
参考文献
[編集]- 小幡宗海編『神奈川文庫 第五集 百家明鑑』神奈川文庫事務所、1900年。
- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 交詢社編『日本紳士録 第36版』交詢社、1932年。