上郎清助
上郎 清助(こうろ / こうろう[1][2][3] せいすけ、旧姓・吉田、1863年11月17日(文久3年10月7日)[4] - 1938年(昭和13年)2月18日[2])は、日本の実業家、政治家、資産家[5][6]、神奈川県多額納税者[7][8]。
貴族院議員[7][9][10][11]、神奈川県会議長[7]、横浜市会議員[7][12]。横浜中央銀行、上信銀行各頭取[1]。横浜信託社長[1]。族籍は神奈川県平民[5][12]。
経歴
[編集]武蔵国橘樹郡大豆戸村(現・横浜市港北区大豆戸町)出身。吉田三郎兵衛の弟[9][注 1]で、磯野庸幸、上郎新二の兄[7][13]。吉田家は屋号を「堀上(ほりあげ)」といい、天保年間より醤油の醸造をしていた[14]。1893年[3]、上郎幸八の女婿となる[9][15]。1905年、分家して一家を創立する[5][7][9]。
東京大学予備門を経て[11]、1890年、帝国大学法科大学政治学科を卒業した[16]。太田醤油製造会社を起こし他に銀行会社の重役となった[7]。神奈川県多額納税者に列し1927年、貴族院多額納税者議員に互選され、同年8月15日に就任し[17]、1932年、再選された[7]。研究会に所属して活動し、死去するまで在任した[2]。
横浜中央銀行、上信銀行各頭取[1][7][11][18]、横浜信託社長[3][15]、日本共立火災保険、東洋醸造各取締役[7][18]、千代田機械製靴、京浜電気鉄道、富国徴兵保険各監査役などをつとめた[7]。
人物
[編集]横浜の資産家で[6]、貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した[4]。家庭は円満だった[15]。学殖豊富で、人格手腕が卓絶していた[15]。宗教は真言宗[11][18]。趣味は囲碁、将棋[11][18]。住所は横浜市中区南太田町[6][7]東耕地[9]、同市中区(現・西区)東ケ丘[18]。
栄典
[編集]家族・親族
[編集]- 上郎家
- 養父・幸八(1836年 - 1916年[21]、貸金業、資産家[6]) - 福井県南条郡王子保村白崎(現・越前市白崎町)の農家出身で、横浜で成功する[22]。
- 妻・やす[注 3](1874年 - ?、上郎新二の姉[5]、上郎幸八の長女、浦島保育院長、地家主、横浜仏教日曜学校長、仏教婦人会横浜支部副会長、県社会事業協会理事、市婦人自助会評議員、市方面委員、横浜孤児院理事、浦島仏教日曜学校長、宗教は真言宗、趣味は読書[18])
- 長女・はな(1894年 - ?、滋賀、吉田新七郎の妻)[7]
- 二女・雪(1895年 - ?、東京、太田孝之の妻)[7]
- 長男・幸(1901年 - ?、上信銀行頭取)[13]
- 二男・清(1903年 - ?、大阪、佐竹庄七の養子)[7]
- 三男・泰(1904年 - ?、分家)[7]
- 孫[7]
- 親戚
- 磯野庸幸(神奈川県多額納税者、ラジオ関東社長、貴族院議員)
- 上郎新二(神奈川県多額納税者、地主)
- 太田孝之(医学博士、太田小児科病院長、医師)
- 吉田三郎兵衛(醤油製造業)[23][24]
- 吉田新七郎(農学博士)
- 吉田羊治郎(滋賀県多額納税者、貴族院議員、滋賀県農会長)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d 『議会制度七十年史 第1』192頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年12月9日閲覧。
- ^ a b c 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』199頁。
- ^ a b c 『神奈川県史 別編1』306頁。
- ^ a b 『貴族院多額納税者名鑑』68頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年1月14日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第4版』し41頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年3月7日閲覧。
- ^ a b c d 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』4頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年1月14日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『人事興信録 第11版 上』コ157頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年1月14日閲覧。
- ^ 『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』11頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年1月15日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『明治・大正・昭和日本徳行録 下巻』630頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月24日閲覧。
- ^ 『輝く憲政』6頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年11月19日閲覧。
- ^ a b c d e 『帝国大学出身名鑑』コ55-56頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月15日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第6版』こ66頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年1月14日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第12版 上』コ121頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年1月14日閲覧。
- ^ シリーズ わがまち港北、第129回 港北の名望家 -大日本博覧絵-、公益財団法人 大倉精神文化研究所公式サイト。
- ^ a b c d 『大正人名辞典』2014頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年1月14日閲覧。
- ^ 『東京帝国大学一覧 從大正4年 至大正5年』学士及卒業生姓名 法学士 政治学科105-106頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年1月15日閲覧。
- ^ 『官報』第190号、昭和2年8月16日。
- ^ a b c d e f 『大衆人事録 第12版 北海道・奥羽・関東・中部・外地・満州・支那・海外篇』神奈川40頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年1月14日閲覧。
- ^ a b 『紺綬褒章名鑑 賞勲局百年資料集 大正8年〜昭和16年』92頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月24日閲覧。
- ^ “なでしこ紋章の由来”. 社会福祉法人 恩賜財団済生会. 2024年2月24日閲覧。
- ^ 『王子保村誌』690 - 694頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月23日閲覧。
- ^ 『横浜成功名誉鑑 開港五十年記念』644頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月24日閲覧。
- ^ 『日本紳士録 第36版』横浜ヨ、ラの部72頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年1月14日閲覧。
- ^ 『大日本博覧絵』64ノウ-65ノオ頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年1月14日閲覧。
参考文献
[編集]- 石原徳太郎編『大日本博覧絵』石原徳太郎、1889年。
- 森田忠吉編『横浜成功名誉鑑 開港五十年記念』横浜商況新報社、1910年。
- 東京帝国大学編『東京帝国大学一覧 從大正4年 至大正5年』東京帝国大学、1913-1924年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』時事新報社、1916年。
- 東洋新報社編『大正人名辞典』東洋新報社、1917年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 織田正誠編『貴族院多額納税者名鑑』太洋堂出版部、1926年。
- 読売新聞社編『明治・大正・昭和日本徳行録 下巻』読売新聞社、1929年。
- 校外調査会編『帝国大学出身名鑑』校外調査会、1932年。
- 交詢社編『日本紳士録 第36版』交詢社、1932年。
- 交詢社編『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』交詢社、1933年。
- 自由通信社編『輝く憲政』自由通信社、1937年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版 北海道・奥羽・関東・中部・外地・満州・支那・海外篇』帝国秘密探偵社ほか、1938年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版 上』人事興信所、1937-1939年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版 上』人事興信所、1940年。
- 衆議院、参議院編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年。
- 王子保村誌刊行会編『王子保村誌』王子保村誌刊行会、1962年。
- 神奈川県県民部県史編集室編『神奈川県史 別編1』人物 : 神奈川県歴史人名事典、神奈川県、1983年。
- 総理府賞勲局編『紺綬褒章名鑑 賞勲局百年資料集 大正8年〜昭和16年』大蔵省印刷局、1986年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。