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大篠津町

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日本 > 鳥取県 > 米子市 > 大篠津町
大篠津町
大篠津町の位置(鳥取県内)
大篠津町
大篠津町
大篠津町の位置
北緯35度29分25.12秒 東経133度15分27.65秒 / 北緯35.4903111度 東経133.2576806度 / 35.4903111; 133.2576806
日本の旗 日本
都道府県  鳥取県
市町村 米子市
人口
2022年(令和4年)7月31日現在)[1]
 • 合計 1,927人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
683-0101[2]
市外局番 0859[3]
ナンバープレート 鳥取
※座標は大篠津郵便局付近

大篠津町(おおしのづちょう)は鳥取県米子市町名郵便番号は683-0101(米子郵便局管区)。

本項では同地域にかつて所在した会見郡西伯郡大篠津村についても述べる。

地理

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和田村の北にあり、北は佐斐神村(現・境港市)、西は葭津村、東は美保湾に面する。

歴史

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「口伝ではあるが川中島の戦いに敗れた武田の家臣井田藤右衛門の一族郎党が諸国浮浪のあとこの地に来て開拓し[4]
…その後、藤右衛門の子孫、大篠津、下和田へ移り住み繁栄し、慶安2年(1649年大篠津、佐斐神、下和田の中央部に当たる旧社地に社殿を建て[4]…(中略)一方、大篠津村開拓の祖・安田三郎義定は、この地に居を定めとなり諏訪神社を氏神として崇拝した[4]」とある。
  • 昭和28年(1953年)に出された『大篠津郷土調査』の中には「大篠津の地に初めて人跡を踏み入れたのは四百余年以前のことで天文12年(1543年毛利元就尼子氏と戦を始め永禄九年尼子氏落城に至るまで二十三年間に及ぶ、而してその遺臣この地に来り開拓せしもの実に本村安田家の元祖(安田三郎義定ならんか?)」と記している。

石高 戸数

  • 安永頃(1772-1780) 200石 80戸
  • 文久頃 (1861) 365石 278戸

行政

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おおしのづそん
大篠津村
廃止日 1954年6月1日
廃止理由 編入合併
彦名村崎津村大篠津村和田村富益村夜見村巌村成実村米子市
現在の自治体 米子市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陰地方
都道府県 鳥取県
西伯郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 2,646
(臨時国勢調査1947年
隣接自治体 和田村、崎津村、中浜村
大篠津村役場
所在地 鳥取県西伯郡大篠津村
座標 北緯35度29分32.2秒 東経133度15分22.4秒 / 北緯35.492278度 東経133.256222度 / 35.492278; 133.256222 (大篠津村)
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自治体としての沿革

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新政の始まり

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明治4年(1871年廃藩置県により鳥取県が誕生した[5]。翌5年に新しい行政単位として県内に112の区を設定し、各区に戸長(大庄屋[5]、副戸長(中庄屋[5]、村長(庄屋)を置く達しが出された[5]。この区制の開始によって弓浜部は六つの区に統合された[5]

明治二十二年 会見郡大篠津村の発足

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明治22年(1889年)10月1日、自治制からなる町村制の施行により、会見郡大篠津村として発足した[6]。当時の資料によれば、明治22年(1889年)の連合村(和田、大篠津、富益夜見)の戸長は安田復四郎であり、議長も兼ねていた[7]。連合戸長並びに町村会に行政権限と議決権限が付与されていた[7]

大篠津村議会

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明治22年(1889年)10月18日連合戸長安田復四郎は村議会議員の定数を8名と定め、11月8日条例により議会構成がなされた[7]。村議会の議員名誉職とし、任期は6年[7]、3年毎に半数ずつ改選であった[7]

大篠津村役場

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明治22年(1889年)11月9日、村長助役収入役・職員の組織と給料が定められている[7]。村長は村議会で選ばれ、助役とともに無給で名誉職とされた[7]

歴代戸長・村長・助役・収入役・議員

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歴代戸長

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  1. 安本喜三郎 明治5年(1872年)10月 - 管轄 - 大篠津村
  2. 安田復四郎 明治6年(1873年)4月 - 管轄 - 大篠津村
  3. 立原惣平 明治7年(1874年)4月 - 管轄 - 大篠津村
  4. ? 明治8年(1875年)4月 - 管轄 - ?
  5. 南千蔵 明治9年(1876年)4月 - 管轄 - 大篠津村
  6. 八幡勝次郎 明治10年(1877年)4月 - 管轄 - 大篠津村
  7. 安本大(亨) 明治12年(1879年)10月 - 管轄 - 大篠津村、和田村
  8. 立原有隣 明治13年(1880年)4月 - 管轄 - 大篠津村、和田村
  9. 立原有隣 明治15年(1882年)4月 - 管轄 - 大篠津村、和田村、富益村夜見村
  10. 安田復四郎 明治20年(1887年)12月 - 管轄 - 大篠津村、和田村、富益村夜見村

歴代村長

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  1. 安田勇 明治22年(1889年)12月 -
  2. 安田復四郎 明治25年(1892年)12月 -
  3. 安田與喜太郎 明治30年(1897年)1月 -
  4. 安田勇 明治31年(1898年)9月 -
  5. 安田義兼 明治32年(1899年)10月 -
  6. 本池豊 明治33年(1900年)4月 -
大篠津村長安田正
  1. 安田廣 明治36年(1903年)10月 -
  2. 安田正 明治41年(1908年)1月 -
  3. 足立柳造 明治45年(1912年)1月 -
  4. 青砥豊三郎 大正4年(1915年)9月 - 2期 法勝寺出身
  5. 本池豊 大正11年(1922年)5月 - 5期
  6. 本池甚一 昭和14年(1939年)7月 - 2期
  7. 本池忠雄 昭和20年(1945年)11月 - 3期 初の公選制

歴代助役

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  1. 安田泰蔵 明治22年(1889年)12月 -
  2. 本池豊 明治22年(1893年)12月 - 2期
  3. 足立柳造 明治22年(1900年)12月 - 3期
  4. 安田長蔵 明治22年(1912年)10月 -
  5. 東米重 大正2年(1913年)2月 -
  6. 安田國松 大正6年(1917年)7月 -
  7. 本池甚一 大正10年(1921年)8月 - 6期
  8. 岩村英雄 昭和20年(1945年)5月 -
  9. 本池冨雄 昭和22年(1947年)6月 - 2期
  1. 東米作 明治22年(1889年)12月 -
  2. 安田長蔵 明治30年(1897年)7月 -
  3. 本池喜八 明治31年(1898年)4月 -
  4. 本池節也 明治32年(1899年)7月 -
  5. 本池義明 明治33年(1900年)1月 -
  6. 東米作 明治35年(1902年)5月 -
  7. 本池重雄 明治37年(1904年)4月 -
  8. 安本知亮 明治41年(1908年)4月 -
  9. 本池重雄 明治42年(1909年)8月 -
  10. 本池安蔵 大正2年(1913年)8月 -
  11. 本池重雄 大正4年(1915年)10月 -
  12. 杵島松太郎[8] 大正7年(1918年)9月 -
  13. 安本知亮 大正11年(1922年)12月 - 3期
  14. 本池勝正 昭和9年(1934年)12月
  15. 安田恒夫 昭和10年(1935年)4月 - 3期
  16. 本池益雄 昭和26年(1951年)6月

村会議員

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安田勇安田復四郎安本亨足立柳造本池安蔵立原修一安田与喜太郎東米作
安田与喜太郎安田勇立原修一東米作安田長蔵本池弥市本池重雄安田繁市
安田甚平安田重孝本池安蔵本池重雄
本池久六安田義雄杵島隆重松岡富三郎安田猶重郎本池総本池金太郎
安本亨安田勇東米重本池総本池喜八安田義雄
本池源四郎松岡富三郎、、本池総安田廣安田重孝
安田忠四郎本池喜八東米重杵島隆重安田猶重郎安田忠四郎本池久六
本池鹿太郎本池勝太郎本池安蔵大西徳太郎浜田竹松安田寛平本池義明
東米重杵島隆重本池義明安田大林安田千代司安田國松
安田大林安田國松杵島隆重本池久六本池義明松岡富三郎本池権六本池鹿太郎安田千代司本池徳松本池勝太郎
本池勝太郎本池義明本池林太郎安田大林杵島隆重本池重利松岡富三郎、安田甚作、本池鹿太郎本池権六安田与喜太郎安田浅次郎
安田大林本池徳松本池勝太郎東伊勢松本池鹿太郎安田甚作杵島隆重安田浅次郎本池重利本池林太郎岩村幸太郎安岡政太郎
本池節也杵島隆重本池勝太郎安田甚作安田大林安田千代司本池周作本池林太郎本池重利東伊勢松安田浅次郎安岡政太郎
本池忠雄本池保隆浜田長吉本池周作本池林太郎本池節也本池甫東伊勢松
本池興本池義重本池周作杵島松太郎[8]本池忠雄安田寛正本池節也安田千代司東伊勢松浜田長吉本池保隆山本金光
本池興本池忠雄杵島松太郎[8]安田寛正本池節也本池周作本池貞隆本池義重安田秀禄安田重業本池信成山本金光東央
本池正三本池啓[9]本池忠雄安田秀禄安田寛正岩村義美安田忠亮本池清作本池清本池周作米田雅明[10]本池義重本池貞隆
杵島松太郎[8]本池啓[9]本池深造安田寛正安田宏正安田熙本池茂米田雅明[10]安田忠亮本池貞隆安田宣安田正治安田丈平本池義重本池芳秋本池扶公

米子市合併後の市会議員

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昭和30年(1955年)5月 - 昭和50年(1975年)4月[11] - 5期[11]
昭和42年(1967年)5月 - 昭和46年(1971年)4月副議長就任[11]
  • 本池篤美
昭和58年(1983年)5月[11] -

地域選出の県会議員

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  • 立原惣平
明治9年(1876年) - 明治14年(1881年[11] - 島根県議会[11]
昭和42年(1967年)4月 - 昭和54年(1979年)3月[11] - 鳥取県議会[11] 3期[11]

西伯郡会議員(崎津村、大篠津村選挙区)

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  • 安本亨
明治44年(1911年)11月 - 大正2年(1913年)9月[12]
  • 安本亨
大正4年(1915年)9月 - 大正7年(1918年)11月[12]
  • 角賢市
大正8年(1919年)11月 - 大正13年(1924年)11月[12]
大正10年(1921年)11月議長就任[12]

通信

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明治5年(1872年飛脚制度廃止と同時に[13]、米子と境に郵便取扱所が設置され[13]、後年郵便局に改称された[13]。大篠津において郵便取扱所が設けられたのは明治14年(1881年)であり[13]明治15年(1882年郵便局になった[13]平成11年(1999年)米子局で集中業務を行うため、大篠津局は無集配局となった[13]

歴代局長名

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大篠津郵便局長安田義兼

産業経済

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明治37年(1904年)『伯耆国実業人名録』には代表的商人として次の五人が載せられている[14]

大正元年(1912年)12月『山陰実業名鑑』によると、地価三百円の土地所有者数は三十一人[14]所得税納入者は十五人[14]国税営業税納入者は十五人である[14]。次に示すのは営業税納入者と税額であるが[14]、◎印は地価[14]所得税共に記載があるもの[14]、○印は所得税[14]、△印は地価のみの記載があるものである[14]

  • 安田義兼(十四円三十八銭)[14]
  • 安田信蔵(六十三円)[14]
  • 本池勝太郎(十七円十二銭)[15]
  • 本池益雄(二十四円八十四銭)[15]
  • 本池為三郎(十六円三十五銭)[15]
  • 安田大林(九円五十九銭)[15]
  • 東央(二十三円七十四銭)[15]
  • 本池栄(十四円十二銭)[15]
  • 安田千代司(十三円二十五銭)[15]
  • 吉田常松(十円三十銭)[15]
  • 安田庸(九円八十三銭)[15]
  • 安田ソノ(九円五十六銭)[15]
  • 山本誠吉(八円五十六銭)[15]
  • 安本知亮(八円四十二銭)[15]
  • 井田ムネ(八円三十銭)[15]
  • 大東清太郎(七円六十二銭)[15]

大正11年(1922年)『西伯之資力』によれば地価額二百円以上の者は、三千九円余の安田義兼他53人であるが、営業税の記録はのせられていない[15]

世帯数と人口

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2022年(令和4年)7月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

町丁 世帯数 人口
大篠津町 859世帯 1,927人

小・中学校の学区

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市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[16]

番地 小学校 中学校
全域 米子市立大篠津小学校 米子市立美保中学校

交通

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鉄道

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バス

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道路

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宗教

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出身人物

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政治家

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教育者・政治家

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実業家

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教育者

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文化人

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スポーツ

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その他

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東京都中央区教育委員同教育長[22]

史料

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安田氏系譜

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  • 初代・又四郎
  • 二代・仁三郎
  • 三代・吉郎右衛門
  • 四代・丈五郎
醸酒業を始める。
  • 五代・亦四郎
  • 六代・又四郎
又四郎は当地の大地主として、その役職により鳥取藩とのつながりがあり、「木綿方融通所」の取締役に任命されている[23]。又四郎は万延元年(1860年)に木綿方融通所の役を御免となったが[24]、文久二年(1862年)には古手売買に精を出し[24]、境港まで直接持参して船手に売り渡していたが、不便利なので境村吉三郎にその売り渡しを任せるようにしたいと願い出て許されている[24]。大地主として、藩の権力とつながりを持ちながら在方商業に活躍した典型として[14]、安田又四郎を把握することができる[14]
  • 七代・復四郎
和田、大篠津、富益夜見四ヶ村の戸長
  • 八代・義兼
  • 進平
  • 丈平

脚注

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  1. ^ a b 米子市統計資料…住民基本台帳に基づく人口世帯数表”. 米子市 (2022年7月31日). 2022年8月30日閲覧。
  2. ^ 郵便番号”. 日本郵便. 2022年8月30日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2022年8月30日閲覧。
  4. ^ a b c 『新修大篠津郷土誌』22頁
  5. ^ a b c d e 『新修大篠津郷土誌』53頁
  6. ^ 『新修大篠津郷土誌』59頁
  7. ^ a b c d e f g 『新修大篠津郷土誌』60頁
  8. ^ a b c d 杵島松太郎は写真家杵島隆の父
  9. ^ a b 本池啓は、安田貞栄(元境港市長)のいとこ
  10. ^ a b 米田雅明は、米田哲也(元プロ野球選手)の
  11. ^ a b c d e f g h i 『新修大篠津郷土誌』75頁
  12. ^ a b c d 『新修大篠津郷土誌』76頁
  13. ^ a b c d e f 『新修大篠津郷土誌』192頁
  14. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『米子商業史』477頁
  15. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『米子商業史』478頁
  16. ^ 米子市立学校児童生徒の学校指定に関する規則”. 米子市. 2022年8月30日閲覧。
  17. ^ 『新修大篠津郷土誌』263-276頁
  18. ^ 『新修大篠津郷土誌』277-284頁
  19. ^ 『新修大篠津郷土誌』285-287頁
  20. ^ 『新修大篠津郷土誌』286頁
  21. ^ 『新修大篠津郷土誌』287-289頁
  22. ^ a b 『新日本人物大観』(鳥取県版) 昭和33年(1958年)ハ…377
  23. ^ 『新修大篠津郷土誌』164頁
  24. ^ a b c 『米子商業史』476頁

参考文献

[編集]
  • 『境港市史』
  • 『米子市史』
  • 『大篠津郷土調査』
  • 『米子市実態調査第二集』
  • 編集、発行-大篠津郷土誌作成委員会 『新修大篠津郷土誌』 2001年

関連項目

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外部リンク

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