大江文子
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おおえ ふみこ 大江 文子 | |
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本名 | 木村 しゅう |
生年月日 | 1900年2月20日 |
没年月日 | 不詳年 |
出生地 | 大日本帝国・大阪府大阪市 |
職業 | 女優 |
ジャンル | 舞台 |
活動期間 | 1913年 - 1921年 |
大江 文子(おおえ ふみこ、本名:木村 しゅう[1]、1900年(明治33年)2月20日[2] - 没年不詳)は、元・宝塚少女歌劇団男役&娘役主演スター。宝塚歌劇団1期生。同期生に雲井浪子、小倉みゆき、高峰妙子、由良道子らがいる。大阪府大阪市出身[1][2]。宝塚少女歌劇団在団中は踊りが得意で[3]、舞踊家の名手と謳われた[4]。
大江山 生野の道の 遠ければ 未だ踏みも見ず 天橋立 (おほえやま いくののみちの とほければ まだふみもみず あまのはしだて)
から命名された。
略歴
[編集]1913年(大正2年)7月、宝塚唱歌隊(同年12月に宝塚少女歌劇養成会に改称。現・宝塚音楽学校)に13歳で入隊[5]。
1921年(大正10年)1月、宝塚少女歌劇団を20歳で退団[6]。
宝塚少女歌劇団時代の主な舞台出演
[編集]- 『ドンブラコ』(1914年4月1日 - 5月30日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『三人獵師』(1915年10月20日 - 11月30日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『櫻大名』(1916年3月19日 - 5月21日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『松風村雨』(1916年7月20日 - 8月31日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『爲朝』『藤あやめ』(1917年3月20日 - 5月20日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『女曾我』(1917年7月20日 - 8月31日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『コサツクの出陣』(1917年10月20日 - 11月30日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『石童丸』(1918年1月1日 - 1月20日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『羅浮仙』(1918年3月20日 - 5月20日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『七夕踊』(1918年7月20日 - 8月31日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『靑葉の笛』(1918年10月20日 - 11月30日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『鷽替』(1919年1月1日 - 1月20日、宝塚歌劇場(パラダイス劇場))
- 『千手の前』『文殊と獅子』(1919年3月20日 - 5月20日、宝塚新歌劇場(公會堂劇場))
- 『膝栗毛』『風流延年舞』(1919年7月20日 - 8月31日、宝塚新歌劇場(公會堂劇場))
- 『瘤取物語』『涅槃猫』(1919年10月20日 - 11月30日、宝塚新歌劇場(公會堂劇場))
- 『西遊記』(1920年1月1日 - 1月20日、宝塚新歌劇場(公會堂劇場))
- 『金平めがね』(1920年3月20日 - 5月20日、宝塚新歌劇場(公會堂劇場))
- 『コロンブスの遠征』(1920年7月20日 - 8月31日、宝塚新歌劇場(公會堂劇場))
- 『小野小町』(1920年10月20日 - 11月30日、宝塚新歌劇場(公會堂劇場))
- 『雀のお宿』『岩戶開』(1921年1月1日 - 1月20日、宝塚新歌劇場(公會堂劇場))
脚注
[編集]- ^ a b 藤山宗利『日本歌劇俳優写真名鑑』歌舞雑誌社、1920年8月16日、136頁。doi:10.11501/914937。
- ^ a b 藤波楽斎(藤波岩太郎)『歌劇と歌劇俳優』文星社、1919年7月1日、95頁。doi:10.11501/906129。
- ^ 『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡りつづけて(人物編)』宝塚歌劇団、2014年4月1日、131頁。
- ^ 藤波楽斎(藤波岩太郎)『歌劇と歌劇俳優』文星社、1919年7月1日、107頁。doi:10.11501/906129。
- ^ 『すみれ花歳月を重ねて―宝塚歌劇90年史―』宝塚歌劇団、2004年4月1日、179頁。
- ^ 『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡りつづけて(人物編)』宝塚歌劇団、2014年4月1日、6頁。