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大村町 (長崎県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
おおむらちょう
大村町
廃止日 1942年2月11日
廃止理由 新設合併・市制施行
大村町福重村萱瀬村松原村鈴田村三浦村大村市
現在の自治体 大村市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 長崎県
東彼杵郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 22,142
国勢調査、1940年)
隣接自治体 諫早市、東彼杵郡福重村萱瀬村鈴田村
大村町役場
所在地 長崎県東彼杵郡大村町
座標 北緯32度54分02秒 東経129度57分27秒 / 北緯32.90056度 東経129.95747度 / 32.90056; 129.95747 (大村町)座標: 北緯32度54分02秒 東経129度57分27秒 / 北緯32.90056度 東経129.95747度 / 32.90056; 129.95747 (大村町)
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大村町(おおむらちょう)は、長崎県東彼杵郡の南部にあった町。1889年(明治22年)に地方自治体としての大村町発足後、2度の合併を経て、戦時中の1942年(昭和17年)に近隣自治体と合併を行い市制施行、大村市となった。

現在の大村市大村地区、西大村地区、および竹松地区にあたる。

地理

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  • 山:池田山
  • 島嶼:臼島、箕島(みしま)[1]、ガロー島[1]、ソーケー島[1]
  • 河川:郡川、佐奈川内川(さながわちがわ)、荒川、内田川、大上戸川(だいじょうごがわ)
  • 溜池:葛城ノ池、池田溜池、狸ノ尾溜池
  • 湾:大村湾

沿革

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江戸期の大村は久原分と池田分、その両方に跨がる大村城下からなる地域であった。地方自治体として発足した当時の大村町域は上記3つの地域のうち「大村城下」の地域にあたり、明治初年に大村城下の各町が統合され、大村町となった。

地名

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いずれの地域も1889年の町村制施行時に合併を行っていないため、大字は無し。

旧大村町(大村城下)

旧来の大村町域は彼杵地方の各自治体に見られるの行政区(地名)を設置していない[3]。このため「大村町○○番地」のように町名の次に番地を表記する住所表記となる。下記は大村町内の主な通称地名(小字)である。

  • 字水主町(かこまち)
  • 字片町
  • 字西本町
  • 字東本町
大村

江戸期の大村のうち「久原分」と称した地域。旧大村時代の郷をそのまま引き継いでいる。

  • 玖島郷
  • 久原郷
  • 木場郷(こば)
  • 武部郷
  • 徳泉川内郷(とくせんがわち)
西大村

江戸期の大村のうち「池田分」と称した地域。旧西大村時代の郷をそのまま引き継いでいる。

  • 池田郷
  • 乾馬場郷
  • 杭出津郷(くいでづ)
  • 諏訪郷
  • 並松郷(なみまつ)
  • 松山郷
  • 箕島郷(みしま)
  • 森園郷
竹松村

旧竹松村時代の郷をそのまま引き継いでいる。

  • 今津郷
  • 小路口郷(おろぐち)
  • 黒丸郷
  • 竹松郷
  • 原口郷

旧竹松村域には上記5郷のほか、大村市発足後の1950年(昭和25年)に今津郷・黒丸郷・竹松郷・原口郷のそれぞれ一部が分離統合し「富の原郷」が新設された。

交通

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鉄道

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日本国有鉄道

(福重村) - 竹松駅 - 大村駅 - (鈴田村)

現在、旧町域には上記2駅のほか、1989年(平成元年)3月に開業した諏訪駅が設置されている。

名所・旧跡

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参考文献

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脚注

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  1. ^ a b c 箕島・ガロー島・ソーケー島は大村市発足後、長崎空港の建設に伴い埋め立てられる事となる。現在、長崎空港の南西側には箕島時代の海岸線が僅かに残るが、ガロー島・ソーケー島は完全に埋め立てられており原形は残っていない。
    ※島嶼部の参考写真:USA-M4-27-3-167 1952年4月27日 米軍撮影の空中写真(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス)
  2. ^ 長崎縣告示第百二十六號『東彼杵郡大村町、村廃置及び財産処分に関する件』 長崎県公報 大正14年3月24日付号外
  3. ^ 但し、1884年(明治17年)の『郡村誌』では当町を大村のうちに含め、大村郷とする記述が見られる。

関連項目

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