大島久見
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大島 久見(おおしま ひさみ、1915年(大正4年)1月23日 - 2004年(平成16年)2月3日)はシテ方観世流の能楽師で、重要無形文化財総合認定保持者である[1][2]。
来歴
[編集]父は喜多流職分の大島寿太郎[2]。広島県出身[3][4]。1932年(昭和7年)福山誠之館中学校(現広島県立福山誠之館高等学校)卒業後、家元内弟子として喜多六平太 (14世)・15世喜多実両師の指導を受ける[2]。1958年(昭和33年)以降、広島県福山市にて能楽教室(定例鑑賞能)年4回の定例能会を主宰[2]。1971年(昭和46年)9月、3階建の「喜多流能楽堂(現・喜多流大島能楽堂)」完成[2][5]。1982年(昭和57年)広島文化賞受賞[2][6]。2004年(平成16年)沒、行年89歳[3]。2016年(平成28年)福山市市制100周年記念式典にて特別栄誉賞を追贈される[7]。嗣子は大島政允[8]。孫は大島輝久、大島衣恵[9]。
参考文献
[編集]- 『出身県別 現代人物事典 西日本版』株式会社サン・データ・システム、1980年。
外部リンク
[編集]- "喜多流大島能楽堂". 2025年1月1日閲覧。
- "大島久美(おおしま・ひさみ)" (PDF). 誠之館人物誌. 福山誠之館同窓会. 2025年1月1日閲覧。
脚註
[編集]出典
[編集]- ^ "福山ゆかりの先人(ふくやまゆかりのせんじん)". ふくやま観光・魅力サイト「えっと福山」. 福山市. 2025年1月1日閲覧。
- ^ a b c d e f "大島久美(おおしま・ひさみ)" (PDF). 誠之館人物誌. 福山誠之館同窓会. 2025年1月1日閲覧。
- ^ a b "大島久見氏死去/能楽喜多流シテ方". 四国新聞. 2004年2月4日. 2025年1月1日閲覧。
- ^ 『出身県別 現代人物事典 西日本版』1212頁。
- ^ "大島政允 年譜" (PDF). 喜多流大島能楽堂. 有限会社樫木端. 2025年1月1日閲覧。
- ^ "大島久見(オオシマ ヒサミ)とは?". コトバンク. 株式会社DIGITALIO. 2025年1月1日閲覧。
- ^ "大島久見 年譜" (PDF). 喜多流大島能楽堂. 有限会社樫木端. 2025年1月1日閲覧。
- ^ 加納亜弥. "生きて:大島政允". 喜多流大島能楽堂. 有限会社樫木端. 2025年1月1日閲覧。
- ^ "大島家の人びと". 喜多流大島能楽堂. 有限会社樫木端. 2025年1月1日閲覧。