大久保忠卿
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大久保 忠卿(おおくぼ ただあき、延享3年5月19日(1746年7月7日) - 明和6年2月10日(1769年3月17日))は、江戸時代中期の大名。下野烏山藩3代藩主。烏山藩大久保家4代。
2代藩主大久保忠胤の次男。母は奥崎氏。正室は本多正珍の娘。官位は従五位下山城守。
生年は寛保3年(1743年)とも。宝暦9年(1759年)、父の隠居に伴い家督を相続する。明和6年(1769年)、父に先立って24歳で死去した。嗣子がなかったため、弟の忠喜が跡を継いだ。墓所は東京都世田谷区太子堂の教学院。
系譜
[編集]父母
- 大久保忠胤(父)
- 奥崎氏 ー 側室(母)
正室
- 本多正珍の娘
養子
- 大久保忠喜 ー 実弟