土井利教
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時代 | 江戸時代後期 - 明治時代初期 |
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生誕 | 弘化4年(1847年) |
死没 | 明治5年11月14日(1872年12月14日) |
改名 | 謹五郎(幼名)、利教 |
戒名 | 土井利教命 |
墓所 | 東京都台東区浅草の誓願寺 |
官位 | 従五位下、淡路守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 三河国刈谷藩主 |
氏族 | 建部氏→土井氏 |
父母 | 父:建部政醇、養父:土井利善 |
兄弟 | 建部政和、利教、建部政世、建部揆 |
妻 | 平松時言の長女・親子 |
子 | 八助、養子:忠直 |
土井 利教(どい としのり)は、三河刈谷藩の第9代(最後)の藩主。刈谷藩土井家12代。
生涯
[編集]弘化4年(1847年)、播磨林田藩主建部政醇(聖岡)の次男として生まれる。慶応2年(1866年)7月19日に第8代藩主土井利善の隠居により、その養子として家督を継ぎ、12月18日に従五位下・淡路守に叙位・任官する。建部家から養子を迎えたのは、建部家が佐幕派であり、土井家中の尊皇攘夷派を掃討して親幕を示すためだった。
慶応3年(1867年)から財政再建を中心とした藩政改革に着手した。慶応4年(1868年)の戊辰戦争に際し、藩内は佐幕派と尊王派で対立した。2月16日、勤王派18人の藩士が佐幕派の3人の家老を暗殺し、ようやく藩内の意見は勤王でまとまった。2月25日、藩主利教は上洛した。3月6日、明治天皇に拝謁した。閏4月29日、新政府から駿府城の守備を命じられた。
明治2年(1869年)6月22日、版籍奉還により刈谷藩知事に任じられ、明治4年(1871年)7月14日の廃藩置県で藩知事を免職された。その後、東京へ移ったが、明治5年(1872年)11月14日に死去した。享年26。養子の忠直(松平忠固の五男で松平忠礼の実弟)が跡を継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
- 平松親子 - 平松時善の娘
子女
- 土井八助、早世
養子
当主 | ||
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先代 土井利善 |
刈谷藩土井家 12代 1866年 - 1872年 |
次代 土井忠直 |