四国国境
四国国境とは、4つの国の国境が一点に集まる地点のことである。英語の「quadripoint」に相当するが、quadripointは国境に限らず様々な自治体間の境界、例えば州境や県境なども指す。3つの国境が集まる地点については三国国境を参照。
用語について
[編集]英語のquadripointという用語は一般的には使用されておらず、オックスフォード英語辞典やメリアム=ウェブスターにも掲載されていない。 しかし、1964年にアメリカ合衆国国務省地理局発行の国境に関する調査書[1]や、ブリタニカ百科事典 、1990年のザ・ワールドファクトブックのボツワナ、ナミビア、ザンビア、ジンバブエの記事中において使用されたことがある[2]。
歴史上存在もしくは主張されていた四国国境の例
[編集]ベルギー・プロイセン・オランダ・中立モレネ
[編集]1839年から1920年にかけて、ベルギー、プロイセン王国、オランダ、および中立モレネとの間に四国国境が存在していたことがある(北緯50度45分 東経6度01分 / 北緯50.75度 東経6.02度付近)[3] 。しかし中立モレネは正確には独立国家ではなく、ドイツ国(当初はプロイセン王国)とベルギー(当初はオランダ)との共同主権地域であった。
ボツワナ・ナミビア・ザンビア・ジンバブエ
[編集]一時期、クアンド川とザンベジ川の合流地点のカズングラ付近(南緯17度47分30秒 東経25度15分48秒 / 南緯17.79167度 東経25.26333度)に四国国境が存在すると主張されていたことがある[4][5][6][7]。2020年現在、この場所は四国国境ではなく、150mほど離れた地点に2つの三国国境が並んで存在していると国際的には認識されている[8][9]。
1970年当時、ボツワナとザンビアとの間に、ザンベシ川を渡ってカズングラ・フェリーが運航していた。しかし、当時ナミビアを占領していた南アフリカは、この二国間には四国国境である以上「国境線」は無いとし、したがってフェリーの巡航も違法だと主張した。しかしその後も対立は続き[10]、数年後には、 ローデシア軍がフェリーは軍事目的に活用されていると主張し、沈没させる事件も起こった[11]。
21世紀に入り、2006年からの10年間で、この4カ国の間においても、ザンビアとボツワナの間には僅かながら短い国境線が存在するという合意がなされるようになる。アフリカ開発基金や米国国務省地理局発行の資料においても明記されている。2007年8月にザンビアとボツワナの政府は、フェリーに代わって橋を建設する計画を発表し[12]、2014年9月12日に起工式が執り行われ[13]、2021年5月10日に開通した[14]。
-
四か国の国境とカズングラ橋のルート取り
カメルーン・チャド・ナイジェリア・イギリス
[編集]共同主権地域を含まない真の「四国国境」は、1960年と1961年の8か月間にわたって存在しており、それは2020年現在カメルーン・チャド・ナイジェリアの三国国境が存在するチャド湖南部に位置していた。1960年10月1日にナイジェリアのイギリスからの独立によって、カメルーン、チャド、ナイジェリア、そしてイギリス領カメルーンによる四国国境が生まれる。1961年6月1日にイギリス領カメルーン北部がナイジェリアに統合されるまでこの状態は続いた。
二国間の国境が交差する例
[編集]ベルギー・オランダ
[編集]四カ国間ではなくとも、二国間の国境が交差している例がある。バールレはオランダ・北ブラバント州とベルギー・アントウェルペン州が混在する町で、オランダとベルギーの国境線が交差している箇所が一点だけ存在する[15]。この境界地点は自体は地籍上1198年頃には存在していたが、現在のような二国間の国境となったのはベルギーが独立した1830年からである[16][17]。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ “Archived copy”. 14 May 2011時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年11月14日閲覧。
- ^ “The World Factbook 1990 Electronic Version”. Central Intelligence Agency (1993年). 11 May 2011時点のオリジナルよりアーカイブ。17 November 2010閲覧。
- ^ “Neutral-Moresnet/History”. Moresnet.nl. 12 August 2012時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年5月14日閲覧。
- ^ "Guinness Book of Records", 1979 et seq.; see "Shortest Frontier"
- ^ Arnold, Guy (1997). The Resources of the Third World. Taylor & Francis. pp. 252, 319. ISBN 978-1-57958-014-8
- ^ Anderson, Ewan W. (2003). International Boundaries: A Geopolitical Atlas. Psychology Press. pp. 9, 116, 118. ISBN 978-1-57958-375-0
- ^ Hinz, Manfred O.; Gatter, Frank Thomas (2006). Global Responsibility – Local Agenda: The Legitimacy of Modern Self-Determination and African Traditional Authority. LIT Verlag Münster. p. 45. ISBN 978-3-8258-6782-9
- ^ Brownlie, Ian; Ian R. Burns (1979). “Botswana-Zambia (Quadripoint issue)”. African Boundaries: A Legal and Diplomatic Encyclopaedia. London: C. Hurst & Co.. pp. 1098–1108. ISBN 0-903983-87-7; summarized at African tripoints: Botswana-Namibia-Zambia by Michael Donner / Jesper Nielsen.
- ^ Akweenda, Sackey (1997-04-23). “VI: Quadripoint Theory”. International Law and the Protection of Namibia's Territorial Integrity. Netherlands: Martinus Nijhoff. pp. 201–3. ISBN 90-411-0412-7
- ^ Griffiths, Ieuan Ll (1995). The African Inheritance. Psychology Press. p. 56. ISBN 978-0-415-01092-4
- ^ “Rhodesians Hit Capital Of Zambia”. The Washington Post. (1979年4月14日)
- ^ "Zambia and Botswana reach Kazungula bridge deal." Palapye News blog. Retrieved 12 November 2007.
- ^ “Zambia and Botswana officially launche the construction works for Kazungula Bridge across the Zambezi River”. 2020年1月15日閲覧。
- ^ “Kazungula Bridge to be completed” (英語). ZNBC. (28 October 2018) 17 November 2018閲覧。
- ^ “The Barrle Enclaves”. 2020年1月15日閲覧。
- ^ “Baarle Nassau and Baarle Hertog”. Ontology.buffalo.edu. 2012年5月14日閲覧。
- ^ “quadripoint is shown just below and right of center of map above the word Rethse”. Ontology.buffalo.edu. 2012年5月14日閲覧。