喜田村洋一
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きたむら よういち 喜田村 洋一 | |
---|---|
生誕 |
1950年11月9日(74歳) 東京都 |
国籍 | 日本 |
出身校 |
東京大学法学部 ミシガン大学ロー・スクール |
職業 | 弁護士 |
親 | 父:喜田村健三(国税庁元次長) |
親戚 |
5世祖父:岡松甕谷(漢学者) 高祖父:山田喜之助(弁護士、元衆議院議員) 曽祖父:岩垂邦彦(NEC創業者) 祖父:喜田村朔治(医師) 外祖父:小林俊三(最高裁判所元判事) |
喜田村 洋一(きたむら よういち、1950年(昭和25年)11月9日 - )は日本の弁護士(ミネルバ法律事務所所属)[1]。自由人権協会(JCLU)代表理事[2]。TBSテレビ番組審議会委員。立憲民主党顧問弁護士[3]。文藝春秋顧問弁護士[4]。日本文学振興会監事[5]。デジタルガレージ元監査役[6]。
父方祖父は喜田村病院院長を務めた喜田村朔治[7][8]。母方祖父は最高裁判所判事や東京高等裁判所長官を務めた小林俊三。父方曽祖父はNEC創業者の岩垂邦彦[7][8]。母方曽祖父は東京専門学校や英吉利法律学校の創立に関与した弁護士、衆議院議員の山田喜之助。母方高祖父は幕末、明治時代の漢学者の岡松甕谷。
経歴
[編集]東京都出身[9]。国税庁次長[10]や万有製薬(現:MSD、メルク・アンド・カンパニーの日本法人)専務取締役を務めた喜田村健三の長男として生まれる[11][12]。
東京教育大学附属小学校(現:筑波大学附属小学校)、東京教育大学中学校・高等学校(現:筑波大学附属中学校・高等学校)卒業を経て[13]、1975年(昭和20年)東京大学法学部を卒業[12]。
1977年(昭和52年)4月弁護士登録し、古賀総合法律事務所に入る[12]。
1981年(昭和56年)ミシガン大学ロー・スクール卒業[9]。1983年(昭和58年)12月米国ニューヨーク州弁護士登録[12]。1997年(平成9年)9月ミネルバ法律事務所を創設[12]。2002年(平成14年)9月デジタルガレージ監査役に就任し、2010年(平成22年)9月退任[6][12]。
メディア関係の訴訟を数多く担当する外、刑事事件も取り扱う[9]。
家族・親戚
[編集]喜田村家(父方)
[編集]小倉藩士で、福岡県京都郡豊津村豊津に住んでいた[14]。族籍は福岡県士族[14]。
- 養曽祖父・喜田村寬治(生年不詳)
- 小倉藩士。工部大学校採鉱冶金科卒[14]。病気のため郷里の豊津中学校(現:福岡県立育徳館中学校・高等学校)の教師となった[14]。
- 祖父・喜田村朔治(1876年(明治9年)4月26日生)
- 父・喜田村健三(1917年(大正6年)6月24日生)
小林家(母方)
[編集]その他親戚
[編集]- 高祖父・岡松甕谷(1820年2月27日(文政3年1月14日)生)
- 曽祖父・岩垂邦彦(1857年10月2日(安政4年8月15日)生)
- 曽祖父・山田喜之助 (1859年6月30日(安政6年6月1日)生)
- 伯父・喜田村善一(1911年(明治44年)12月10日生)
- 伯父・喜田村正次(1915年(大正4年)8月生)
脚注
[編集]- ^ “進化し続ける「法律相談・弁護士情報プラットフォーム LEGALUS(リーガラス)」”. LEGALUS(リーガラス). 2024年12月30日閲覧。
- ^ “組織”. JCLU - 公益社団法人 自由人権協会. 2024年12月28日閲覧。
- ^ 立憲民主党. “立憲民主党 役員一覧”. 立憲民主党. 2024年12月30日閲覧。
- ^ “ジャニー喜多川氏の性加害を報じた文春 勝訴に導いた喜田村洋一弁護士が今、事務所に求めること:東京新聞デジタル”. 東京新聞デジタル. 2024年12月30日閲覧。
- ^ “公益財団法人日本文学振興会”. 日本文学振興会. 2024年12月30日閲覧。
- ^ a b “人事、デジタルガレージ”. 日本経済新聞 (2010年8月13日). 2024年12月30日閲覧。
- ^ a b 人事興信所 (1943年). “人事興信録 第14版 上”. dl.ndl.go.jp. p. 40(き之部). 2024年12月30日閲覧。
- ^ a b “喜田村朔治 (第8版) - 『人事興信録』データベース”. jahis.law.nagoya-u.ac.jp. 2024年12月30日閲覧。
- ^ a b c “喜田村洋一”. JCLU - 公益社団法人 自由人権協会. 2024年12月30日閲覧。
- ^ “第48回国会 衆議院 大蔵委員会 第17号 昭和40年3月9日 | テキスト表示 | 国会会議録検索システム シンプル表示”. kokkai.ndl.go.jp. 2024年12月30日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第36版 上』人事興信所、1991年、き-60頁。
- ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第45版 上』興信データ、2009年、き-46頁。
- ^ 内申書裁判をささえる会: “「内申書裁判」、No.46、82・8・7”. dl.ndl.go.jp. p. 13 (1982年). 2025年1月12日閲覧。
- ^ a b c d 宇山安夫 (1973年). “わが銀海のパイオニア : 明治以後における眼科の人々”. dl.ndl.go.jp. 千寿製薬学術部. p. 104. 2025年1月12日閲覧。
- ^ a b c d “喜田村朔治 (第8版) - 『人事興信録』データベース”. jahis.law.nagoya-u.ac.jp. 2024年12月31日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 人事興信所 編『人事興信録 第36版 上』人事興信所、1991年。
- 興信データ 編『人事興信録 第45版 上』人事興信所、2009年。