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喜田村健三

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喜田村 健三(きたむら けんぞう、1917年大正6年)6月24日 - 没年不明)は日本の大蔵官僚実業家国税庁元次長[1][2]万有製薬(現:MSD、メルク・アンド・カンパニーの日本法人)元専務取締役[1][3]東京都世田谷区在籍[1]。長男は弁護士(ミネルバ法律事務所所属)の喜田村洋一[1]

経歴

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京都府京都市出身[1]。喜田村眼科病院院長を務めた喜田村朔治の三男として生まれる。1939年昭和14年)高等文官試験行政科に合格。1940年(昭和15年)東京帝国大学法学部を卒業し、大蔵省に入る[1]。その後、熊本国税局長、国税庁調査査察部長、同直税部長を経て、1963年(昭和38年)国税庁次長に就任[1]

1965年(昭和40年)9月退任し、同年11月万有製薬(現:MSD、メルク・アンド・カンパニーの日本法人)専務に就任し、1989年平成元年)6月常任監査役に就任[1]

人物

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趣味はハイキング園芸映画[1]。宗教は浄土真宗[1]

家族・親戚

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喜田村家

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小倉藩士で、福岡県京都郡豊津村豊津に住んでいた[4]。族籍は福岡県士族[4]

親戚

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『人事興信録 第36版 上』人事興信所、1991年、き-60頁。 
  2. ^ 第48回国会 衆議院 大蔵委員会 第25号 昭和40年3月25日 | PDF表示 | 国会会議録検索システム シンプル表示”. kokkai.ndl.go.jp. 2025年1月12日閲覧。
  3. ^ 万有製薬(株)『万有製薬八十五年史』(2002.07) | 渋沢社史データベース”. shashi.shibusawa.or.jp. 2025年1月12日閲覧。
  4. ^ a b c d 宇山安夫 (1973年). “わが銀海のパイオニア : 明治以後における眼科の人々”. dl.ndl.go.jp. 千寿製薬学術部. p. 104. 2025年1月12日閲覧。

参考文献

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  • 人事興信所 編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
  • 人事興信所 編『人事興信録 第36版 上』人事興信所、1991年。
  • 興信データ 編『人事興信録 第45版 上』人事興信所、2009年。