善如
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善如 | |
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正慶2年2月2日 - 康応元年2月29日 | |
幼名 | 光養丸 |
法名 | 善如 |
諱 | 宗康⇒俊玄 |
尊称 | 善如上人 |
宗旨 | 浄土真宗 |
宗派 | 本願寺派(後の浄土真宗本願寺派、後の真宗大谷派) |
寺院 | 大谷本願寺 |
師 | 覚如、従覚 |
弟子 | 綽如 |
著作 | 『敎行信證延書』19巻 |
廟 | 大谷祖廟 (真宗大谷派) |
善如(ぜんにょ)は、南北朝時代の浄土真宗の僧。浄土真宗本願寺派第4世宗主・真宗大谷派第4代門首。大谷本願寺住職。諱は俊玄。法印権大僧都。父は第3世覚如の次男従覚。第5世綽如は子。
生涯
[編集]年齢は、数え年。日付は文献との整合を保つ為、生歿年月日を除き旧暦(宣明暦)表示とし、南北朝時代の元号は、北朝(京都)で表記する。
- 正慶2年2月2日(1333年2月24日[1])、生まれる。
- 観応元年(1350年)、覚如より本願寺別当職(留守職)を継承。延文2年(1357年)には本願寺が勅願寺となる。
- 延文4年(1359年)、存覚に歎徳文の再編を依頼する。それ以降、報恩講において拝読されるようになる。
- 永徳2年(1382年)、南朝の総大将楠木正勝に浄土真宗を講じる(横玉山定専坊の寺伝による)。
- 康応元年2月29日(1389年4月4日[1])、57歳にて示寂。跡は子の綽如が第5世となり本願寺を継ぐ。
著書
[編集]- 『敎行信證延書』19巻