唐瀧庄三郎
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唐瀧 庄三郎[1](からたき しょうざぶろう、1865年10月4日(慶應元年8月15日)[1] - 没年不明)は、日本の政治家。京都府紀伊郡柳原町長[1][2]。
経歴
[編集]1884年1月、柳原戸長役場の筆生となる[1]。1886年3月、同役場用掛[1]。1889年5月、書記[1]。1895年3月、柳原町会議員に選挙される[1]。1901年9月、柳原町長に当選[1]。
塩小路通の道路開築の際にその付近の地所600坪を寄付する[1]。小学校建築の際に建築資金を寄付する[1]。その他公共の事に義捐する[1]。また日本赤十字社分区員、愛国婦人会委員である[1]。
人物
[編集]部落問題
[編集]1901年、柳原町長の唐瀧は近畿地方の部落民の結集のために「互親協会」という団体を組織し、機関誌の発行に奔走した[3]。
1906年、柳原町長の唐瀧に対し竹田村長小山七五郎が部落差別発言をした[3]。唐瀧はもちろんこれを放置するはずはなく、柳原町全体の問題として取りあげ、柳原町会が小山七五郎にたいする糾弾をおこない、謝罪状を書かせた[3]。
人柄
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『職員録 明治30年乙』印刷局、1897年。
- 成瀬麟、土屋周太郎編『大日本人物誌 一名・現代人名辞書』八紘社、1913年。
- 京都部落史研究所編『京都部落史年表 稿本 近代篇 1』京都部落史研究所、1980年。