コンテンツにスキップ

只松祐治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

只松 祐治(ただまつ ゆうじ[1] / すけはる[1]1920年大正9年)6月28日[2] - 2000年平成12年)4月2日[2])は、日本の政治家衆議院議員

経歴

[編集]

現在の福岡県糟屋郡久山町で生まれる[2]1943年中央大学法学部在学中に海軍飛行予備学生として学徒出陣し、海軍中尉として終戦を迎えた[1][2]

福岡県庁職員を経て[1]日本社会党に加わり、同本部書記局員、組織副部長、労働副部長、青年副部長、同党埼玉県連合会書記長、同副会長、埼玉県民会議事務局長、日中友好協会理事、安保国民会議幹事、軍事基地反対連絡会議代表委員、社会主義協会幹事、党選挙対策特別委員会事務局長などを務めた。

1963年11月、第30回衆議院議員総選挙埼玉県第一区から出馬し当選[1]。以後、第31回第34回総選挙で当選し、衆議院議員を通算三期務めた[1][2]。この間、日本社会党財政金融政策副委員長、同減税闘争連絡会議長、同大蔵部会長、同埼玉県本部委員長などを歴任した[1]

後に第13回参議院議員通常選挙埼玉県選挙区から出馬したが、落選した。

著作

[編集]
  • 『インチキ日本』歴史図書社、1975年。
  • 『「欲望社会」への訣別 : 有限文明論のすすめ』講談社、1992年。

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』393-394頁。
  2. ^ a b c d e 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』369頁。

参考文献

[編集]