南信四郎
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人物情報 | |
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生誕 |
1916年??月??日 日本北海道小樽市 |
死没 |
2001年1月16日 (84–85歳没) 日本 静岡県浜松市 |
出身校 | ハルピン学院 |
学問 | |
研究分野 | 文学、教育学 |
研究機関 | 日ソ学院 |
南 信四郎(みなみのぶ しろう、1916年(大正5年) - 2001年1月16日)は、日本の翻訳家、ロシア研究家。
略歴
[編集]1916年、北海道小樽で生まれた。ハルピン学院を卒業。卒業後は、同学院助教授を務めた。
太平洋戦争敗戦でソ連の捕虜となり、通訳を務める。帰国後、ロシア語の翻訳、ソ連研究に従事。日ソ学院講師。1962年、ソ連の宇宙飛行士ユーリー・ガガーリンが来日した際には折通訳を務めた。1963年、日ソ産業技術研究所[1]所長。1971年に同所所長を退任後は、後進の指導にあたった。
2001年1月16日、浜松市「聖隷エデンの園」にて逝去。墓所は同市三方原墓園に静江夫人と共にある。
著作
[編集]著書
[編集]翻訳
[編集]- 『喪われ取り戻された祖国』(イヴァン・ポポフ、三一書房) 1951
- 『地下の党活動 オルグの人々』(イワン・コズロフ、田辺稔共訳、三一書房) 1951
- 『塔の上の旗』(マカレンコ、田辺和香枝共訳 三一書房、マカレンコ著作集3) 1951
- 『教育詩』(マカレンコ、三一書房、マカレンコ著作集5) 1952
- 『愛と規律の家庭教育』 新訳改訂版(マカレンコ 、三一書房、マカレンコ著作集1) 1953、のち新書、のち青木文庫
- 『第二次大戦後の植民地体制』(ヴェ・ア・マスレンニコフ編、三一書房) 1954
- 『芸術性について』(エヌ・シヤモタ、三一書房) 1955
- 『青年のモラル』(エヌ・イ・ボルドィレフ、新興出版社) 1955
- 『全般的危機の諸問題』(ソ同盟科学院経済研究所編、三一書房) 1955
- 『帝国主義戦争の諸原因』(、編訳 三一書房・1955
- 『労働者階級の経済学』(ア・レオンチェフ、編訳、三一書房) 1956
- 『二才から五才まで』(コルネイ・チュコフスキー、編訳、三一新書) 1957
- 『ゴビ砂漠探険記:恐竜の骨をもとめて』(ア・カ・ロジェストヴェンスキー、ベースボール・マガジン社) 1957、のち恒文社
- 『アフリカの旅』(ペ・バラーノフ、ベースボール・マガジン社、スポーツ新書) 1958
- 『釣の思い出』(D・サマーリン編、ベースボール・マガジン社、スポーツ新書) 1958/再刊『シベリアの釣』(恒文社)1995
- 『家庭教育 一歳から青年期まで』(イエ・ア・アルキン、三一新書) 1959
- 『砂漠に書かれた歴史 古代ホレズムの発掘』(エル・ベルシャドスキー、ベースボール・マガジン社、スポーツ新書) 1959、のち恒文社
- 『陸上競技教本』(デ・ア・セミョーノフ編、大島鎌吉共訳、ベースボール・マガジン社) 1959
- 「太平洋漂流四十九日」(イズベスチヤ紙、筑摩書房、『世界ノンフィクション全集5』) 1960
- 『ソ連産業の実態』(ア・エヌ・エフィーモフ監修、三一書房) 1963
参考
[編集]- 『シベリアの釣』訳者紹介
脚注
[編集]- ^ 1967年より(有)ソ連産業技術研究所。現・(株)プロムテック。