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勝城蒼鳳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
かつしろ そうほう

勝城 蒼鳳
生誕 (1934-02-23) 1934年2月23日
日本の旗 日本栃木県那須郡高林村(現・那須塩原市
死没 (2023-01-28) 2023年1月28日(88歳没)
日本の旗 日本・栃木県那須塩原市
国籍 日本の旗 日本
職業 竹工芸家
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勝城 蒼鳳(かつしろ そうほう、1934年2月23日[1] - 2023年1月28日[2])は、日本の竹工芸[2]重要無形文化財保持者(人間国宝[2]。本名は、勝城 一二(いちじ)[2]

来歴

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栃木県那須郡高林村(黒磯町、黒磯市を経て、現在の那須塩原市)に生まれる[2]

1949年に15歳で菊地義伊に弟子入りして竹工芸を学び始め、八木澤啓造(蒼玕)や斎藤文石にも指導を受けた[1][2][3]。1968年に日本伝統工芸展に初めて入選を果たし、以後「蒼鳳」の号を使用する[2]。この号は八木澤から与えられたものだった[4]。斎藤に師を変えたのは、八木澤が指導のためにフィリピンに渡航したことが理由だった[4]

1972年に日本工芸会正会員となる[2]

日本伝統工芸展では、第30回で東京都知事賞、第44回でNHK会長賞を受賞した[4]。東京都知事賞受賞作の「波千鳥編盛籃『渓流』」は、後に東京国立近代美術館の収蔵品となり[3]、2025年時点では「根曲竹摺漆花籃『颯然』」「Waterfall」とともに国立工芸館に所蔵されている[5]

1998年に紫綬褒章を受章した[2]。2005年には重要無形文化財「竹工芸」保持者に認定され[2]大田原市の名誉市民にも推挙された[1]。竹工芸を手がける傍ら、農業にも従事していた[4]

晩年には転倒で大腿骨を骨折して自作の杖を使う生活となったが、以後も制作活動は継続し、2022年の日本伝統工芸展にも作品を出品した[2]

2023年1月28日、病気のため那須塩原市内の病院で死去した[2]

作風

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自然の情景を題材とした[2][4]。花の表現に使用した「千集(せんしゅう)編み」、水の表現に用いた「引っかけ編み」といった技法を生み出した[2]。名誉市民だった大田原市のウェブサイトでは「竹の選定に始まり素材の調整、編組、染色・拭漆(ふきうるし)仕上げ等にわたる幅広い竹工芸技法を高度に体得しており、丹念な編組や捻り、膨らみの量感と仕上げで独創的な作品世界を作り出しています」と紹介されている[3]

脚注

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  1. ^ a b c 大田原市名誉市民 (PDF) - 大田原市(2023年3月)2025年2月10日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n “人間国宝の勝城蒼鳳さん死去 竹工芸、栃木県大田原市在住”. 下野新聞. (2023年1月29日). https://www.shimotsuke.co.jp/articles/-/696554 2025年2月9日閲覧。 
  3. ^ a b c 竹工芸(ちくこうげい) 国指定重要無形文化財 - 大田原市
  4. ^ a b c d e 企画展 竹耕藝 勝城蒼鳳 –那須野が原に生きて– - 益子陶芸美術館(2024年4月)2025年2月10日閲覧。
  5. ^ 作品検索 - 国立工芸館(「KATSUSHIRO, Soho」での検索結果)2025年2月10日閲覧。