加藤友太郎
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加藤 友太郎(かとう ともたろう、嘉永4年(1851年)9月 - 大正5年(1916年)2月27日)は、明治期の陶芸家。愛知県瀬戸市生まれ。号は陶寿[1]。
略歴
[編集]瀬戸の陶工加藤与八の次男として生まれる[2]。
1874年(明治7年)上京し、東京の陶工の川本富太郎の紹介で、2代目井上良斎の工場に入る。お雇い外国人のゴットフリード・ワグネル博士の元で窯業技術(石膏型)を学び、同博士を師事した。1877年(明治10年)、江戸川製陶所に勤務し、1882年(明治15年)には独立して牛込区新小川町に友玉園を開き、師の教えを踏襲したワグネル式窯を設けた。
加藤の作品は美術的と化学的を兼ね、1899年(明治32年)には陶寿紅と呼ばれる下絵付けの赤色の釉薬を開発した[2]。
墓所は新宿区弁天町の宗参寺。戒名は陶光院道賢篤友居士。行年66歳。当寺開基の旗本牛込氏、大胡氏の墓所奥。