内藤雋輔
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内藤 雋輔(ないとう しゅんぽ[1]、1896年3月30日 - 1990年5月8日[2])は、日本の東洋史学者。島根県出身。岡山大学名誉教授。次男は島根大学名誉教授の内藤正中。
人物・来歴
[編集]1896年(明治29年)、島根県浜田市生まれ。1918年(大正7年)、京都帝国大学文学部史学科(支那史専攻)に入学して東洋史学者の内藤湖南(名字は同じ内藤姓だが血縁関係はない)に師事[3]。卒業後、1929年(昭和4年)から岡山大学の前身である旧制第六高等学校教授を務める。戦後、1949年(昭和24年)、新制岡山大学教授に就任。1961年(昭和36年)、岡山大学を定年退官して名誉教授となる。定年退官後、1973年(昭和48年)まで ノートルダム清心女子大学教授。同大学を定年退官後、名誉教授となる。息子に内藤正中・島根大学名誉教授。 日本と朝鮮の関係史を研究し、韓国では良心的な学者と見られている。[要出典]
著書
[編集]- 『東洋』(全国青年学校指導用)北海出版社 、1939年
- 『支那の歴史と文化』(アジア歴史叢書1)矢野仁一共著、目黒書店、1941年
- 『大東亜史要』育英出版、1944年
- 『朝鮮史研究』(東洋史研究叢刊 第10巻)東洋史研究会、1961年
- 『文禄・慶長役における被擄人の研究』東京大学出版会、1977年