光徳村
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こうとくそん 光徳村 | |
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廃止日 | 1954年4月1日 |
廃止理由 |
新設合併 御来屋町、庄内村、名和村、光徳村 → 名和町 |
現在の自治体 | 大山町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陰地方) |
都道府県 | 鳥取県 |
郡 | 西伯郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
3,142人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 逢坂村、名和村、御来屋町 |
光徳村役場 | |
所在地 | 鳥取県西伯郡光徳村大字東坪字真子川 |
座標 | 北緯35度31分09秒 東経133度31分24秒 / 北緯35.51917度 東経133.52322度座標: 北緯35度31分09秒 東経133度31分24秒 / 北緯35.51917度 東経133.52322度 |
ウィキプロジェクト |
光徳村(こうとくそん[1][2])は、鳥取県西伯郡にあった村。現在の西伯郡大山町の一部にあたる。
地理
[編集]- 河川:真子川[3]
歴史
[編集]- 1889年(明治22年)10月1日、町村制の施行により、汗入郡東坪村、豊成村(字長野を除く)、倉谷村、小竹村、西坪村が合併して村制施行し、光徳村が発足[1][2]。旧村名を継承した東坪、豊成、倉谷、小竹、西坪の5大字を編成[2]。
- 1896年(明治29年)4月1日、郡の統合により西伯郡に所属[2]。
- 1907年(明治40年)大字倉谷で7戸が火災で焼失[4]。
- 1929年(昭和4年)大字豊成上前谷集落の8戸が火災で焼失[3]。
- 1954年(昭和29年)4月1日、西伯郡御来屋町、庄内村、名和村と合併し名和町を新設して廃止された[1][2]。合併後、名和町大字東坪・豊成・倉谷・小竹・西坪となる[2]。
地名の由来
[編集]明確ではないが、初代村長・鷲見康重らが角田皓鶴の意見により諸葛亮作「昭烈皇帝体明叡之徳光演武」の詩から「徳光」をとったと思われる[2]。
産業
[編集]- 農業[5]
交通
[編集]鉄道
[編集]教育
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 31 鳥取県
- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。