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元号法制化実現国民会議

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元号法制化実現国民会議(げんごうほうせいかじつげんこくみんかいぎ)は、日本の政治団体。1978年7月18日結成[1]右翼、民族派諸団体が結集し、元号に対する世論を盛り上げ[2]元号法制定を日本政府に求めた[3]

1978年5月3日開催の元号法制化実現国民大会を経て、同年7月18日、「元号法制化実現国民会議」の結成式が赤坂プリンスホテルで開催された[1][4]。同年10月の総決起国民大会に総理大臣福田赳夫がメッセージを送り、「政府はこのような元号制度を将来も存続させるべきものであると考えております」と述べた[5]

1981年10月、元号法制化実現国民会議を改組し、「日本を守る国民会議」が設立された[6]

1997年5月30日、「日本を守る国民会議」と「日本を守る会」は統合し、「日本会議」となった[7][8]

主要人物

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呼び掛け人は以下。

発足後、石田が議長[9]、黛が代表委員の一人[12]になった。事務局長は椛島有三[13]

中島三千男によれば、当時の主要人物が英霊にこたえる会日本を守る会と重なっていた一方、より広範な参加もあった[10]

主張

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内閣告示による制度化で十分とする種類の元号推進論者とは異なり、法律(元号法)として元号を制定すべきだと論じた[14]。元号は「超国宝級の伝統文化」「独立国家のシンボル」[15]などと主張した。

組織

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民社党などが結集して組織された[3]

初期の活動として、1978年8月に「元号法制化全国縦断キャラバン」を行い、民社党を軸に公明党などの協力を得て県民会議を結成する活動を各地で行った[13]

この運動は右翼系によって組織されたもので、右翼運動において元号の問題が「昭和維新への布石」とされていたと警察庁は述べた[16]。朝日新聞によれば、元号法制化実現国民会議結成に至る背景には、生長の家神社本庁など宗教団体の働きかけ、地方議会における決議や請願があった[14]日本協議会の『祖国と青年』はこの朝日新聞記事を紹介し、「かなり正確・公平に報道している」と評価した[17][18]

批判

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元号法制化実現国民会議議長の石田和外軍人勅諭を賛美したことについて日本社会党山花貞夫は1979年に国会で批判した[19]

出典

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  1. ^ a b 祖国と青年』1978年9月号、日本青年協議会、59-62頁、「元号法制化・各界の同校」。
  2. ^ 昭和55年 警察白書 第8章 公安の維持 6 反体制の姿勢を一段と強めた右翼の活動
  3. ^ a b 日本労働年鑑 第50集 1980年版 第二部 労働運動 XIII 政治的大衆行動と平和運動 5 元号法制化、有事立法反対の運動[1]
  4. ^ 宗務時報』1979年3月、1ページ「宗教界の動き 1.神道系」
  5. ^ 経済時代』1978年11月、94-101ページ
  6. ^ 国民運動の歩み”. 日本会議. 2024年1月26日閲覧。
  7. ^ 国際宗教研究所『現代宗教 2017』p.104
  8. ^ 俵義文 (2019年5月30日). “元号は自明か?:元号法制化と戦後日本社会”. Web日本評論. 2024年1月26日閲覧。
  9. ^ a b c d e f g h i 衣笠哲生「国民主権に挑戦する元号法制化」 『社会主義』1979年4月、社会主義協会。
  10. ^ a b c d e f g h i j k 中島三千男「政治反動における宗教教団の役割」 『戦後史と反動イデオロギー』170-171頁。
  11. ^ 朝日新聞(朝刊)1978年(昭和53年)8月19日、5ページ「論壇 元号法制化は必要」
  12. ^ https://uonome.jp/article/uozumi-wakimichi/3236
  13. ^ a b 祖国と青年』1978年9月号、日本青年協議会、68-72頁。
  14. ^ a b 朝日新聞1978.6.21夕刊3ページ「にゅーすらうんじ」
  15. ^ 『経済時代』1978年11月、103-106ページ、元号法制化実現国民会議「元号法制化の意義と理由」
  16. ^ 昭和54年 警察白書 第7章 公安の維持 5 反体制の姿勢を強め、高揚、激化した右翼の活動
  17. ^ 『祖国と青年』1978年7月、p.29
  18. ^ 日本学協会『日本』、1978年9月、14-15ページ、「元号の再法制化への高まり」
  19. ^ 衆議院第087回国会 本会議 第20号