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佳里子龍廟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
子龍廟玉勅永昌宮
佳里子龍廟『永昌宮』
基本情報
位置 台南市佳里区子龍里麻佳路三段200号
宗教 台湾民間信仰
主神 趙聖輔天帝君(趙聖帝君)
例祭 趙聖帝君聖誕 農暦2月16日
建立 清朝乾隆二十年(1755年
地図
佳里子龍廟の位置(台南市内)
佳里子龍廟
佳里子龍廟

座標: 北緯23度10分31秒 東経120度12分32秒 / 北緯23.175413度 東経120.208781度 / 23.175413; 120.208781

佳里子龍廟(かりしりゅうびょう、正式名称:子龍廟玉勅永昌宮(しりゅうびょうぎょくちょくえいしょうぐう、別名:佳里永昌宮(かりえいしょうぐう))は、台湾台南市佳里区子龍里に位置する、三国時代蜀漢の名将、趙雲(趙子龍)を主祀とする廟。主祀の神号趙聖輔天帝君[1]

趙雲を祀る台湾初の廟宇()であり、趙雲を主祀とする数少ない廟の一つ[2]。南部で蜀漢の五虎大将軍の2人を祀る、2つの廟のうちの1つでもある(もう一人は関羽、すなわち関帝廟)。

地元の集落も廟に因んで「子龍廟」または台湾語の同音から転訛した「子良廟」と呼ばれるようになり、日本統治時代には糖業鉄道が「子良廟駅」を設置し、その地に設立された「子龍里」は、国内でも数少ない神の名が付けられた村の一つとなった。現在の廟は、1995年に建てられた。

最も目を引くランドマークは、槍を構え、蜀漢の初代皇帝・劉備の子・劉禅(阿斗)を抱えた趙雲の騎馬像であり、1983年屏東周俊雄が制作したものである[3]:42

沿革

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子龍廟の漢人集落は、鄭成功に従って台湾に渡った福建省同安出身の林六叔を起源とし、佳里興堡中国語版東勢寮に開墾地が割り当てられたことによる[4][5]

康熙30年(1691年)、東勢寮の村人たちは、精神的支柱を求めて、茅葺小屋を建て、神を祀ることを決定する。その時、村人の林廷龍が川で釣りをしていると、川に流されずにくるくると回転している流木を見つけた。拾い上げると、「常山趙子龍」(常山:趙雲の出身地)の文字がシロアリによって喰い込まれていた。村人たちはこれを神の玉勅(神意)だと考え、この流木を茅葺小屋に祀った[4][5]

その後、中国大陸の泉州から来たという見知らぬ木彫り職人が現れ、「趙将軍が夢の中に現れ、この流木を神像にするようにと言われた」と言い、流木を大・小二つの趙雲像(大子龍金身と二子龍金身)に彫り上げた。この二つの神像は現在も正殿に祀られている。東勢寮はこの時から「子龍廟」と改名し、のちに趙雲が劉禅から永昌亭の爵位を授けられたことに因んで「永昌宮」とも呼ばれる[4]。落成式(完成を祝う式典)が2月16日であったため、この日を子龍神の誕辰日(偉人や神の誕生日)と定めている[3]:43[5]

大正4年(1915年)、旧廟は年月を経て老朽化していた。そこで、製糖業で財を築いた正董事(取締役)の林波[3]:43林碧池林精鏐中国語版と後述の林金莖の祖父)、副董事の林光粽林玉抒らが村の長老たちを招集し、改築を提案、座向を東から西向きに変更した[6]

民国46年(1957年)、廟が雷雨で破損したため、林量が主任委員に選出され、資金を集めて改修が行われ、民国48年(1959年)10月に改修が完了した[6]

民国78年(1989年)1月、老朽化のため再び改築されることとなる。改築のための委員会が組織され、元駐日大使林金莖が名誉委員長に、林立が委員長に任命される。民国79年(1990年)10月、林金莖らの手により起工式が執り行われ、趙聖(輔天)帝君のお告げに従い、建物の向きを「坐艮向坤兼丑未」(東北向き西南)に決定した。民国84年(1995年)初頭に本殿が完成し、その後、門、塀、庭園などが建設された。総工費は1億1500万台湾ドルに上った。民国89年(2000年)2月9日、落成式が盛大に挙行された[6]

廟の碑文によると、民国97年(2008年)4月27日、道教における最高神・玉皇上帝は、帝君(趙雲)に「趙聖輔天帝君」の神号を授け、併せて建醮を行うよう告げ、同年、「永昌宮五朝祈安清醮」が執り行われた[7]

趙雲の故郷・正定県河北省趙子龍文化研究会、趙雲の墓がある四川省成都市大邑県大邑子龍文化研究会と交流が行われている。

主祭神

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  • 趙雲:(ちょう うん、?〈生年不詳〉 - 229年)、あざな・子龍(しりゅう)。
    冀州常山国真定県(現・河北省石家荘市正定県)出身の蜀漢の将軍。劉備軍が当陽の長坂で曹操軍に追い詰められた際、戦場に置き去りにされた劉備の子・劉禅(幼名・阿斗:のちの蜀漢第2代皇帝)と生母甘夫人を救い、後世、忠節勇武を称えられた。封号は永昌亭侯、諡号は順平侯。小説『三国志演義』における「長坂坡の戦い」や、「常山の趙子龍」の名乗りは広く有名。五虎大将軍の一人。

主な特色

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儀式

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毎年旧暦2月16日の誕辰日に祭典が開催される。水を汲む「請水」、油を煮る「煮油」などの行為は、儀式の一部に過ぎない。近年、儀式は定型化され、3年に一度開催されるようになった。

「請水」とは、神が儀式のために小川や海辺へ水を汲む行為で、「飲水思源」(水を飲むときにはその源を思う)という意味を持つ[8]。「煮油」は台湾の民間によく見られる廟会での祈安儀式の一つで、主に建醮の「入醮」という儀式の際に行われる。その目的は、人や物に付着した穢れを取り除き、地域全体の平安を祈願することである[9]

1951年より、旧暦2月14日~16日のいずれかの日の午前中に、近隣の水辺へ水を汲みに行き、廟に持ち帰り安置する。午後には村に戻って「煮油」の儀式を行い、その儀式の流れは他の煮油儀式を行う廟と同様だが、子龍廟の村内には大勢の世帯主がいるため、煮油の行列の前には、銅鑼を鳴らして知らせる者が配置され、火油の入ったを担ぐ者の後には、状況に応じて油を鼎に入れる担い手がいる(#外部リンクの動画も参照)。

廟の内部

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  • 主祭神像の他に、内部の調度品が現地の他の廟では見られないほど独特な配置となっている。廟に入り、左側の通路奥に進むと、青龍の像がある池があり、右側の通路には白額虎の像がある池があり、「左青龍、右白虎」を象徴している。
  • 内部には、信徒から寄進された装飾壁のタイルがあり、様々な縁起の良い吉祥図が刻まれている。左右の入り口のアーチ門の壁タイルは「二十四孝」で、内部の壁タイルはほとんどが蜀漢の五虎将(五虎大将)、劉備、諸葛亮(孔明)の伝説に関連する。
  • 廟外には樹齢百年の大きなガジュマルの木が2本あり、その香炉の上のタイルはすべて蜀漢の五虎将の事績を題材とし、「劉備が督郵を叱責する」、「黄巾賊を斬る」、「関羽が華雄を斬る」、「古城で関羽と張飛が再会する」、「張飛が厳顔を捕らえる」、「関羽と黄忠が戦う」、「張飛と馬超が戦う」、「馬超と許褚が戦う」などの内容である。

廟の外部

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廟の隣にある像には霊性がある、という伝説がある[10]

  • 廟が完成した後、像のそばの壁が何度も壊れるという不可思議なことが起こり、夜中に馬の嘶きが聞こえた後、馬の像のそばの壁が蹴り壊されているのを見た、という噂が広まった。その後、地元の有力者たちは法師を招き、趙王爺(趙雲)に伺いを立てると、趙王爺から「壁の頂上を赤い黄土色で塗ると、馬の像は落ち着くだろう」という神託を受けた。その後、増築や補強が行われた際には、壁には緑色の塗料が使われた。
  • 地元の言い伝えによると、趙王爺の像は毎月馬に乗って廟の周辺を巡回しており[10]、かつて悪事を働いていた盗賊や悪人が、役人や民衆に追われていた際に、趙王爺の像の槍の穂先が目の前で揺れ動いているのを見て驚愕し、その場で昏倒して捕らえられた、という伝説がある。

逸話

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『佳里子龍廟』名誉委員長を務めた元駐日大使の林金莖の回顧録によると、復旦大学在学中であった民国37年(1948年)、共産党軍が上海付近まで迫ってきたため、同校から台湾大学への転学許可証が発行された。もともと客船・太平輪の乗船券を購入していたが、その晩、白馬に乗って子供を抱えた趙子龍が、「太平輪に乗ってはいけない」と告げる夢を見た。不吉に思った林金莖は、中興輪の乗船券に買い替えた。その後、太平輪は上海呉淞口外で建元輪と衝突し沈没、乗員700人以上が死亡したことを知ったという[11][12][13]

注釈

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  1. ^ 奉祀神祇”. ウェイバックマシン(佳里子龍廟永昌宮). 2025年2月9日閲覧。
  2. ^ 黃文博編,《台南縣民俗及有關文物調查報告書(第一期/溪北篇)》。新營:台南縣政府文化處,2007。
  3. ^ a b c 黃文博 (1989年). 《南瀛民俗誌 上篇》. 台南縣立文化中心 
  4. ^ a b c 沿革簡介”. ウェイバックマシン(佳里子龍廟永昌宮). 2025年2月9日閲覧。
  5. ^ a b c 葉 2023, pp. 305–389.
  6. ^ a b c 沿革簡介-廟宇建築(廟殿重建由來與工程)”. ウェイバックマシン(佳里子龍廟永昌宮). 2025年2月9日閲覧。
  7. ^ 沿革簡介-慶典活動(戊子年五朝祈安清醮建醮)”. ウェイバックマシン(佳里子龍廟). 2025年2月9日閲覧。
  8. ^ 佳里子龍廟永昌宮乙未年謁水請將插水牌招軍旗安五營01”. 趙子龍(佳里子龍廟YouTubeチャンネル) (2015年3月8日). 2025年2月10日閲覧。
  9. ^ 祝壽祈安禮斗除疫送瘟消災賜福三天大法會!煮油淨穢”. 趙子龍(佳里子龍廟YouTubeチャンネル) (2021年3月24日). 2025年2月10日閲覧。
  10. ^ a b 葉 2023, p. 385.
  11. ^ 黃自進訪問,林金莖口述『林金莖先生訪問紀錄』中研院近史所、台北市、2003年。 
  12. ^ 葉 2023, pp. 380–381.
  13. ^ 神蹟傳説”. ウェイバックマシン(佳里子龍廟永昌宮). 2025年2月9日閲覧。

関連書籍

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  • 陳巨擘『佳里鎮志』佳里鎮公所、1998年、374,417-418,451-452頁。 
  • 楊欽鑒計劃主持『趙子龍信仰在臺灣:探尋全臺子龍廟』大城北文化、2011年、1-108頁。ISBN 9789868634244 
  • 葉威伸『武神傳説 歴史記憶与民間信仰中的趙雲』文津出版社有限公司、2023年。ISBN 9789863391326 

関連事項

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外部リンク

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