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佐竹義本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
佐竹義本
時代 江戸時代
生誕 延宝3年(1675年
死没 宝暦2年11月13日1752年12月18日
改名 栄長(幼名)→義本
別名 源六郎、将監、中務
幕府 江戸幕府
主君 佐竹義格義峯義真
久保田藩
氏族 佐竹氏
父母 父:佐竹義秀、母:吉川義正の娘
兄弟 佐竹義命正室、義本、佐竹義命継室、石塚義敬處宗義方
正室:久我通名の娘(広幡豊忠の養女)
側室:佐竹義安の娘
義道義智義邦
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佐竹 義本(さたけ よしもと)は、佐竹氏一門の佐竹東家第10代当主。幼名栄長。通称源六郎、将監、中務。

経歴

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延宝3年(1675年)久保田藩東家当主佐竹義秀の子として生まれる。正徳4年(1714年)、父義秀の隠居により家督を相続する。藩主佐竹義格義峯義真に仕えた。享保2年(1717年)、長男義道が秋田新田藩佐竹義長の養嫡子に迎えられ、享保3年(1718年)に2代藩主となる。寛延3年(1750年)、病のため隠居して家督を義智に譲る。宝暦2年(1752年)11月13日死去。享年78。宝暦3年(1753年)、孫の義明が久保田藩第7代藩主となる。