伊木忠知
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伊木 忠知(いぎ ただとも、享保5年12月18日(1721年1月15日) - 安永4年10月17日(1775年11月9日))は、岡山藩筆頭家老。伊木家7代当主。通称は長門。主君は池田宗政・治政。
生涯
[編集]岡山藩家老・池田長喬(周匝(すさい)池田家)の三男として岡山城下で生まれた。
6代当主・伊木忠興の長男・忠芳は病弱のため廃嫡となった。忠知は忠興の長女・小豊の婿養子として伊木家に迎えられた。延享4年(1747年)、忠興の隠居とともに家老となる。宝暦元年(1752年)12月、忠興の死去に伴い家督を相続した。
忠知には子が16人と多く、石原氏との間に生まれた次男の忠亮などが成人していたが、嫡子の長九郎が早世したことを理由に、本来ならば家督を継ぐはずであった忠芳の長男・忠福を養子とした。安永4年(1775年)10月、56歳(数え年)で死去した。忠福が家督を相続した。
法名は大応院殿前長州心印道性大居士。墓所は伊木家長島墓所(岡山県瀬戸内市)。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『茶人伊木三猿斎』 桂又三郎/著 奥山書店、1976年
- 『備前藩筆頭家老伊木氏と虫明』 邑久町郷土史クラブ/編 1996年