五十嵐片原
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五十嵐 片原 | |
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生誕 |
延享3年(1746年) 越後国新潟 |
死没 |
天明4年10月6日(1784年11月18日) 越後国新潟 |
墓地 | 新潟善導寺 |
教育 | 五十嵐浚明 |
代表作 | 『逆旅勧盃』 |
配偶者 | 谷氏 |
五十嵐 片原(いからし へんげん、延享3年(1746年) - 天明4年10月6日(1784年11月18日))は江戸時代中期の新潟の絵師。名は元誠、字は仲勉[1]。通称は竹次郎[2]。別号は其業[3]、片言[4]。五十嵐浚明の次男。
生涯
[編集]延享3年(1746年)五十嵐浚明の次男として生まれた[5]。明和7年(1770年)兄五十嵐顧行が死去し[6]、家督を継いだが、間もなく弟佐野元敬に譲り[1]、新潟片原通に独立した[3][7]。
ある日自分の画力が父を上回ったと考え、父が描いた野馬の粉本にこっそり朱を入れたところ、数日後父に気づかれて「どうしたらこのようになるのだ。」といって消されてしまい、これを恥じて更に精進した[1]。後に京都に出て、絵師として活動した[1]。
天明2年(1782年)刊『北海詩鈔三編』・『玄圃集二編』によれば南紀に旅行して熊野波田須徐福ノ宮を訪れた[8]。また、大坂の岡田南山[9]・葛子琴[10]・井坂松石[11]とも交流があった。
晩年、市島岱海の兄弟に竜門の詩画を贈っている[12]。天明4年(1784年)10月6日故郷に39歳で死去し、善導寺に葬られた[13]。文化7年(1810年)亀田鵬斎が越後に来訪した際、墓誌が書かれた[14]。天保4年(1833年)9月50回忌に当たり、善導寺に墓碑が建てられ、三浦鴎沙等に追悼詩を寄せられた[15]。
絵画
[編集]作品 | 技法 | 形状・員数 | 寸法 (縦x横cm) | 所蔵 | 年代 | 備考 |
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賢聖図 | 紙本墨画 | 101.5x28.5 | 個人 | 亀田鵬斎賛[16]。 | ||
袁氏別業図・尋隠之者遇意 | 紙本墨画淡彩 | 各図105.5x33.0 | 個人 | [16] |
人物画を得意としたという[5]。
浚明筆『押絵貼人物山水鳥獣屏風』の葡萄や虎、『風竹虎図』の虎、『紅梅白鷹図』の梅などは『逆旅勧盃』の片原筆のものと類似しており、片原が描いた可能性がある[19]。
漢詩
[編集]- 題漁父図「漁父不交市俗塵。迢々舟路自相分。朝来晩去何飄忽。心事江天一片雲。」[13]
- 皓図[20]の一律「商山最高処。白髪日盤桓。履跡雲中路。棊声天外壇。風塵秦已遠。羽翼漢終安。不識歇成後。仙芝幾許餐。」[18]
- 雀「翅翅不知短。頡頏脩竹叢。追糧無遠近。求宿又西東。緑樹林間雨。黄禾野外風。啁啾何所笑。鴻鵠在蒿蓬。」[18]
- 山水「楼居四面好山川。無限風煙養浩然。一路遥分春澗樹。連峰高聳暮雲天。不疑仙境換凡骨。且就道入尋勝緑。指点泉源従此遡。桃花水送釣魚船。」[18]
- 同「門外数株楊柳。北窓書巻横陳。克知名教中楽。便是羲皇上人。」[15]
- 漁父「不向城中蹈軟塵。扁舟日趁白鴎群。朝来暮去何飄忽。心事江天一片雲。」[15]
家族
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d 藤山 1898, p. 179.
- ^ 坂口 1918, p. 260.
- ^ a b 新潟市 1934, p. 936.
- ^ 横山 1984, p. 139.
- ^ a b 桜井 1914, p. 31.
- ^ 岩田 2014, p. 29.
- ^ 大森 2015, p. 15.
- ^ 杉本 2010, p. 11.
- ^ 杉本 2010, p. 13.
- ^ 杉本 2010, p. 15.
- ^ 杉本 2011, p. 6.
- ^ 杉本 2010, p. 9.
- ^ a b c 桜井 1914, p. 32.
- ^ 岩田 2014, p. 37.
- ^ a b c 坂口 1918, p. 262.
- ^ a b “開館記念3周年記念企画展 新潟・文人去来 ― 江戸時代の絵画をたのしむ ―”. 新潟市歴史博物館. 2018年5月14日閲覧。
- ^ 大森 2015, p. 7.
- ^ a b c d 坂口 1918, p. 261.
- ^ 大森 2015, pp. 8–9.
- ^ zh:商山四皓
- ^ a b 桜井 1914, p. 22.
参考文献
[編集]- 藤山鋹太郎『近世越佐人物伝』樋口小左衛門、1898年9月。NDLJP:777631/106。
- 桜井市作『船江遺芳録』桜井市作、1914年9月 。
- 今泉鐸次郎『北越名流遺芳』 第1集、目黒書店、1918年6月。NDLJP:1185239/54。
- 坂口仁一郎『北越詩話』 上巻、目黒甚七、1918年11月 。
- 新潟市役所『新潟市史』 下巻、新潟市役所、1934年12月 。
- 「新潟新風土記 五十嵐片原 附再び浚明の事」『市報にいがた』第46号、新潟市役所、1959年1月5日。
- 岩田多佳子「正福寺所蔵の五十嵐浚明および孫の作品について」『平成25年度 新潟市文化財調査概要』、新潟市教育委員会、2014年12月。
- 大森慎子「五十嵐浚明の作品に関する一考察」『新潟市美術館・新潟市新津美術館研究紀要』第3号、新潟市美術館・新潟市新津美術館、2015年3月。
- 杉本欣久「江戸中期の漢詩文にみる画人関係資料 ―事項一覧編―」『古文化研究』第9号、黒川古文化研究所、2010年3月。
- 杉本欣久「江戸中期の漢詩文にみる画人関係資料 ―事項一覧編・補遺―」『古文化研究』第10号、黒川古文化研究所、2011年3月。