久保田きぬ子
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『月刊婦人展望』1965年9月号より | |
人物情報 | |
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生誕 |
1913年2月10日 日本 新潟県相川町(現・佐渡市) |
死没 | 1985年12月24日(72歳没) |
国籍 | 日本 |
出身校 |
日本女子大学英文科 東京大学法学部 |
両親 | 久保田金五郎(相川町長) |
学問 | |
研究分野 | |
研究機関 | |
学会 | アメリカ学会会長 |
久保田 きぬ子(くぼた きぬこ、1913年2月10日 - 1985年12月24日)は、日本の憲法学者。元立教大学法学部教授、元東北学院大学法学部教授。専門はアメリカ憲法、プライバシー権など。
人物
[編集]旧相川町(現新潟県佐渡市)出身。国連総会の政府代表代理、中央教育審議会や被爆者対策基本問題懇談会の委員、東京都知事顧問などを歴任。父は元相川町長の久保田金五郎 (8代目)、祖父は新潟県第27大区副大区長を務めた久保田金五郎 (7代目)。従弟小父に青野季吉、再従弟に青野聰がいる。
藤田晴子などと並び、東京大学初の女子学生の一人である(入学当時33歳)。東京大学法学部を受験した理由は、(1)試験が外国語と論文だけで受験準備の必要がなかったこと、(2)婚期を逸し、一生自立していく必要があったが、東大での勉学がその役に立つかもしれないと考えたこと、(3)日本女子大学の学生時代から政治的、社会的な問題に関心があったことの3点であったと、後に回顧している[1]。
指導教官は宮沢俊義[2]。アメリカ憲法を研究するため、アメリカに詳しい高木八尺の薫陶も受けた[2]。また、プリンストン大学に留学した際は、エドワード・S・コーウィンの指導を受けた[3]。
「宴のあと」事件では、原告の有田八郎に従来の名誉毀損ではなく、プライバシーの侵害で訴えることを提案した。
日曜日授業参観事件については、「この事件はそもそも裁判所で争うに価する程の問題であろうか。さらにまた、信教の自由を持ち出して論ずべき程の事件であろうか。(中略)常識的に考えて解決すべき問題である」と述べ[4]、訴訟以外の方法による解決を主張した。
1967年4月に行われた東京都知事選挙では、美濃部亮吉の推薦人に名を連ねた[5]。
略歴
[編集]- 1934年 日本女子大学英文科卒業[6]
- 1946年5月 東京大学法学部入学[7]
- 1949年 東京大学法学部卒業[8]
- 1949年 東京大学特別研究生(前期のみ)[2]
- 日本女子大学非常勤講師(アメリカ政治を担当)[2]
- プリンストン大学大学院留学(当時のプリンストン大学は男子校)[9]
- 東京大学法学部助手(比較法研究室)[10]
- 1959年4月 立教大学[10]法学部助教授(日米の比較憲法を担当)
その後、立教大学法学部教授に就任[11][12]。 - 1961年 国連総会政府代表代理
- 1964年2月~5月 セントラル・ミシガン大学、ロード・アイランド大学で講義[13]
- 成蹊大学法学部へ転籍(憲法1部を担当。のちに、憲法2部、比較憲法も併せて担当)[14]
- 1972年 中央教育審議会の委員に就任[15]。
- 東北学院大学法学部教授
主要著書・編著
[編集]- 『法学入門(第4版)』(共編著)(有斐閣新書、2000年)
脚注
[編集]- ^ 東京大学アメリカ研究資料センター『久保田きぬ子先生に聞く(American Studies in Japan, Oral History Series, Vol.13)』2~3頁
- ^ a b c d 東京大学アメリカ研究資料センター『久保田きぬ子先生に聞く(American Studies in Japan, Oral History Series, Vol.13)』9頁
- ^ 東京大学アメリカ研究資料センター『久保田きぬ子先生に聞く(American Studies in Japan, Oral History Series, Vol.13)』12頁
- ^ 法学教室29号43頁
- ^ 雑誌:『月刊婦人展望』1967年4月号、財団法人婦選会館、15頁。 書籍:市川房枝『市川房枝集 第6巻』日本図書センター、1994年11月25日、377-379頁。
- ^ 東京大学アメリカ研究資料センター『久保田きぬ子先生に聞く(American Studies in Japan, Oral History Series, Vol.13)』2頁,5頁
- ^ 東京大学アメリカ研究資料センター『久保田きぬ子先生に聞く(American Studies in Japan, Oral History Series, Vol.13)』2頁
- ^ 東京大学アメリカ研究資料センター『久保田きぬ子先生に聞く(American Studies in Japan, Oral History Series, Vol.13)』26頁
- ^ 東京大学アメリカ研究資料センター『久保田きぬ子先生に聞く(American Studies in Japan, Oral History Series, Vol.13)』10頁
- ^ a b 東京大学アメリカ研究資料センター『久保田きぬ子先生に聞く(American Studies in Japan, Oral History Series, Vol.13)』14頁
- ^ 財団法人大学セミナーハウス『セミナー・ハウス・ニュース』第18号 7頁 1969年8月25日 (PDF)
- ^ 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)
- ^ 東京大学アメリカ研究資料センター『久保田きぬ子先生に聞く(American Studies in Japan, Oral History Series, Vol.13)』22~23頁
- ^ 東京大学アメリカ研究資料センター『久保田きぬ子先生に聞く(American Studies in Japan, Oral History Series, Vol.13)』25頁
- ^ 「有吉氏らが委員に 新中教審の18氏決る」『朝日新聞』昭和47年(1972年)5月30日夕刊、3版、3面