丹陽村
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たんようむら 丹陽村 | |
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廃止日 | 1955年1月1日 |
廃止理由 |
編入合併 丹陽村 → 一宮市 |
現在の自治体 | 一宮市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 愛知県 |
郡 | 丹羽郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 9.02 km2. |
総人口 |
6,129人 (愛知県郡市町村勢要覧[1]、1950年10月1日) |
隣接自治体 | 愛知県一宮市、丹羽郡岩倉町、千秋村、西春日井郡春日村、西春村、中島郡稲沢町 |
丹陽村役場 | |
所在地 | 愛知県丹羽郡丹陽村大字三ツ井595 |
座標 | 北緯35度16分35秒 東経136度49分41秒 / 北緯35.27628度 東経136.82806度座標: 北緯35度16分35秒 東経136度49分41秒 / 北緯35.27628度 東経136.82806度 |
ウィキプロジェクト |
丹陽村(たんようむら[2])は、愛知県丹羽郡にかつてあった村。現在の一宮市南部の地域であり、一宮市丹陽町に該当する。
一宮市合併後、名神高速道路一宮ICが開設され、交通の要所となっている。
沿革
[編集]- 江戸時代、この地域は尾張藩領(一部犬山藩領)であった。
- 1889年(明治22年)10月1日 -
- 五日市場村と伝法寺村が合併し、二川村となる。
- 三ツ井村、重吉村、平島村、外崎村が合併し、三重島村となる。
- 吾鬘村、森本村、多加木村、猿海道村、馬見塚村が合併し、多加森村となる。
- 1906年(明治39年)7月1日 - 九日市場村、二川村、三重島村、多加森村が合併し、丹陽村となる[2][3]。
- 1907年(明治40年)- 大字馬見塚(旧:多加森村)を丹羽郡西成村に編入[2][3]。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 一宮市に編入され消滅[2][3]。
神社
[編集]学校
[編集]- 丹陽村立丹陽小学校(現:一宮市立丹陽小学校)
- 丹陽村立丹陽西小学校(現:一宮市立丹陽西小学校)
- 丹陽村立丹陽南小学校(現:一宮市立丹陽南小学校)
- 丹陽村立丹陽中学校(現:一宮市立丹陽中学校)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 23 愛知県
- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。