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丸野勝虎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
丸野勝虎
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 日本の旗 日本鹿児島県曽於郡
生年月日 (1974-08-13) 1974年8月13日(50歳)
身長 162cm
体重 51kg
血液型 A型
騎手情報
所属団体 愛知県競馬組合
所属厩舎 倉地学(名古屋)
勝負服 胴緑・黒縦縞、袖黒・緑一本輪
初免許年 1992年
免許区分 平地
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丸野 勝虎(まるの かつと、1974年8月13日 - )は、地方競馬名古屋競馬場倉地学厩舎所属の騎手鹿児島県曽於郡出身。

来歴

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中学の頃にテレビで競馬中継を観て騎手を目指し、愛知の原口次夫騎手(現調教師)の紹介で地方競馬教養センターに入学。卒業後、愛知に所属。

1992年4月20日に名古屋競馬第8競走で初騎乗し、ブルーレッズで5着。4月23日に名古屋競馬第5競走をラフェスタで制し、4戦目で初勝利を挙げた。新人当時は騎手だけで60人くらいおり、騎乗数が増えない状況が続き一度グレたことがあり、所属していた磯村林三調教師が亡くなったのを機に騎手を辞めようとまで考えたが、本名信行厩舎所属となってから成績が伸びた[1]

1996年4月10日に中央競馬(JRA)初騎乗となったテレビ愛知オープンでは、名古屋所属のレッドアゲインに騎乗し、13番人気で15着だった。

2002年9月30日に地方競馬通算500勝達成。

2003年5月25日、中京競馬場で行われた東海ステークス(GII)を名古屋所属の9番人気ゴールドプルーフで制し、JRA初勝利及びJRA重賞初勝利を挙げた。1着入線馬ディーエスサンダーが降着になり繰り上がりでの大金星だったが、のちに「ゴールドプルーフも挟まって、かなり影響を受けたんですよ。ハッキリ言って加害馬がまっすぐ走っていれば、僕の馬が普通に勝っていたレースだったんです。それなのに「儲けものだったな」とか冷やかされて。だんだん腹が立ってきたという思い出がありますね」と語っている[1]

2004年6月16日、タカラアジュディで名古屋優駿(東海ダービー)を初制覇。同馬で翌2005年にJRA重賞マーチステークスに参戦した(16着)。

2007年5月1日に地方通算1000勝達成。同年9月30日から11月30日までマカオに海外遠征し、11月2日にマカオでの初勝利を挙げた。

2013年4月1日付で本名信行厩舎から倉地学厩舎に移籍。

2016年3月28日、名古屋競馬第2競走をマイネルアウトランで制し、地方通算2000勝達成[2]。同年、10年連続リーディングだった岡部誠を抑え初の名古屋リーディングを獲得[3]

2022年4月8日、名古屋競馬場が弥富トレーニングセンターに移転後最初のレースとなった第1競走「新競馬場オープニング記念」をローザキアーロで制し、新競馬場最初の勝利騎手となった。当日朝に村上弘樹からの急遽の乗替りでの勝利だった[4]

2023年3月19日、愛知所属のノーチカルチャート(馬主はハッピーグリンを所有した会田裕一[5])が地方馬ながら阪神大賞典に参戦し、自身18年ぶりのJRA重賞騎乗を果たした(13着)。

2023年5月18日、名古屋競馬第8競走をフライシュッツで制し、地方通算3000勝達成[6]

主な騎乗馬

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出典:[8]

脚注

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関連項目

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外部リンク

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