中村貫一
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中村 貫一(なかむら かんいち、1843年12月9日(天保14年10月18日)- 1880年(明治13年)7月9日[1])は、幕末の土佐藩士、明治期の内務官僚。名・好正[1]。
経歴
[編集]土佐国高知城下中島町で土佐藩士・中村美正の息子として生まれる[1]。土佐藩の大監察を務めた[2]。
明治4年7月14日(1871年8月29日)の廃藩置県後、高知県権参事に就任[2][3]。同年10月、第一次香川県が設置され、明治5年10月17日(1872年11月17日)、同県参事となり同年11月28日(12月28日)まで在任[4]。
1873年(明治6年)に後藤象二郎らの蓬萊社に加わるが翌年に退社[1][2]。1874年(明治7年)立志社の商局長となる[1][3]。1877年(明治10年)西南戦争の際、イギリスからの銃器購入を企て、同年5月1日に大阪で捕縛され、1878年(明治11年)8月20日、禁獄三年の刑を受け、青森監獄収監中に病死した[1][3]。