中映プロダクション
種類 | 有限会社 |
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市場情報 | 消滅 |
略称 | 中映プロ |
本社所在地 |
日本 〒105-0003 東京都港区西新橋2丁目39番8号 |
設立 | 1963年3月 |
業種 | サービス業 |
事業内容 | 映画の製作・配給 |
代表者 | 代表取締役社長 祖父江羊己 |
資本金 | 50万円 |
有限会社中映プロダクション(ちゅうえいプロダクション)は、かつて存在した日本の映画製作・配給会社である[1][2][3][4][5][6]。1963年(昭和38年)3月、祖父江羊己が東京都港区に設立した[1][2][3]。略称は中映プロ(ちゅうえいプロ)[5][6]。
沿革
[編集]概要
[編集]1963年(昭和38年)3月、祖父江羊己が東京都港区西新橋2丁目39番8号に設立した[1][2][3]。記録にみる設立第1作は、翌1964年(昭和39年)8月17日に公開された、新東宝出身の女優である扇町京子主演による『行為の果て』である[4][5][6][7][8]。同作の監督については、文化庁の日本映画情報システム、日本映画データベースのいずれにも辰巳敏輝[9]と記されているが[5][6]、同時代資料である『映画年鑑 1966』には、小林悟(1930年 - 2001年)と記されている[7]。小林悟は、同作のほかにも、同社で『肉体の妖精』(同年)、『肉体の賭け』(1965年)、『誘拐』(同年)の3作を手がけている[5][6][10]。主演の扇町京子は『肉体の妖精』にも続けて出演した[5][6][11]。同作の脚本を手がけた岩沢庸徳(1912年 - 1970年)[12]は、戦前の松竹大船撮影所出身の監督であり、新東宝で『肉体の魅惑』(1956年)を監督したこともあったが、成人映画に関わったのは本作が最初であり、劇場用映画に関わったのは本作の脚本が最後になった[13]。
1965年(昭和40年)5月に公開された『鎖の女』および『妾ごろし』を監督した鶴巻次郎[14]は、大映東京撮影所出身の監督、西條文喜[15](1912年 - 1987年)の変名である、とかつての西條の助監督であった渡辺護が証言している[16]。『肉体の妖精』でチーフ助監督を務めた大野裕司(のちの堀越善明、1935年 - )は[4]、同年8月31日に公開された『火遊び』で監督を務めている[5][6]。同作の配給については、日本映画データベースには関東映配(代表・星光一郎)と記載されているが、同時代資料である『映画年鑑 1967』には明光セレクト(代表・津谷明治)であると書かれている[8]。同作を最後に、製作会社として同社のクレジットは見られなくなるが[4][5][6]、1966年(昭和41年)10月までの情報が掲載されている『映画年鑑 1967』には、同社の詳細が掲載されている[2]。「企画」としてクレジットされた『肉体の妖精』『鎖の女』の城神郎[17]、『火遊び』の伴照夫[18]は、同年8月に公開された小林悟監督の『甘い体臭』(製作アルスプロダクション、配給関東映配)では、城が企画、伴が脚本に名を連ねている[17][18]。同社代表であった祖父江についてのその後の動向等は、不明である。
同社が製作あるいは配給した作品のうち、東京国立近代美術館フィルムセンターには、『肉体の妖精』のみの上映用プリントが所蔵されている[4]。
企業データ
[編集]- 社名 : 有限会社中映プロダクション[1][2]
- 所在地 : 東京都港区西新橋2丁目39番8号、現在の鈴丸ビルの位置[19]
- 代表取締役社長 : 祖父江羊己
- 事業内容 : 映画の製作・配給
- 資本金 : 50万円(1966年[1] - 1967年[2])
- 設立 : 1963年3月[1][2][3]
おもなフィルモグラフィ
[編集]すべて「配給」あるいは「製作」であり、特筆しないものはすべて「製作」である[4][5][6][7][8][20]。東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)等の所蔵状況についても記す[4]。
- 『行為の果て』 : 製作祖父江羊己、監督辰巳敏輝[5][6](小林悟[7])、脚本岩沢庸徳、主演扇町京子、製作中映プロダクション・新東宝興業、配給新東宝興業、1964年8月17日公開(映倫番号 13646)
- 『肉体の妖精』 : 企画城神郎[4]、製作祖父江羊己、監督小林悟、脚本黒木穣[4]、主演ハニー・シェル、1964年10月公開(映倫番号 13729) - 製作、69分の上映用ポジプリントをNFCが所蔵[4]
- 『肉体の賭け』[6][7](『肉体の賭』[5]) : 監督小林悟、主演千月のり子、1965年2月公開(映倫番号 13794)
- 『鎖の女』 : 企画城神郎、製作祖父江羊己、監督鶴巻次郎、脚本伴照夫、主演福光康子、1965年5月公開(映倫番号 13925)
- 『妾ごろし』 : 監督鶴巻次郎、配給日本シネマ、1965年5月公開(映倫番号 13990)
- 『誘拐』(かどわかし) : 監督小林悟、主演三枝洋子、配給関東映配、1965年7月成人映画指定(のち公開)
- 『火遊び』 : 企画伴照夫、監督大野裕司、主演冬木京二・大西純子、配給関東映配[6](明光セレクト[8])、1965年8月31日公開(映倫番号 14133)
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 年鑑[1966], p.386.
- ^ a b c d e f g h 年鑑[1967], p.387.
- ^ a b c d e 田中[1976], p.85-86.
- ^ a b c d e f g h i j k 所蔵映画フィルム検索システム検索結果、東京国立近代美術館フィルムセンター、2014年6月23日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l 東京企画、日本映画情報システム、文化庁、2014年6月23日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 1964年 公開作品一覧 374作品、1965年 公開作品一覧 509作品、1966年 公開作品一覧 486作品、日本映画データベース、2014年6月23日閲覧。
- ^ a b c d e 年鑑[1966], p.324-326.
- ^ a b c d 年鑑[1967], p.324,326.
- ^ 辰巳敏輝 - 日本映画データベース、2014年6月23日閲覧。
- ^ 小林悟 - 日本映画データベース、2014年6月23日閲覧。
- ^ 扇町京子 - 日本映画データベース、2014年6月23日閲覧。
- ^ 岩沢庸徳、jlogos.com, エア、2014年6月23日閲覧。
- ^ 岩沢庸徳 - 日本映画データベース、2014年6月23日閲覧。
- ^ 鶴巻次郎 - 日本映画データベース、2014年6月23日閲覧。
- ^ 西條文喜 - 日本映画データベース、および西条文喜 - 日本映画データベース、2014年6月23日閲覧。
- ^ 渡辺護さんによると、鶴巻次郎は西條文喜、井川耕一郎、twitter, 2013年2月15日付、2014年6月23日閲覧。
- ^ a b 城神郎 - 日本映画データベース、2014年6月23日閲覧。
- ^ a b 伴照夫 - 日本映画データベース、2014年6月23日閲覧。
- ^ 東京都港区西新橋2丁目39番8号、Google マップ・Google ストリートビュー、2013年6月撮影、2014年6月23日閲覧。
- ^ 年鑑[1968], p.317.
参考文献
[編集]- 『映画年鑑 1966』、時事通信社、1966年発行
- 『映画年鑑 1967』、時事通信社、1967年発行
- 『映画年鑑 1968』、時事通信社、1968年発行
- 『日本映画発達史 V 映像時代の到来』、田中純一郎、中公文庫、中央公論社、1976年7月10日 ISBN 4122003520
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]画像外部リンク | |
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火遊び 1965年8月31日公開 (監督大野裕司、配給関東映配) |
- Chûei Productions - IMDb
- 中映プロ - 日本映画情報システム (文化庁)
- 東京都港区西新橋2丁目39番8号 - 2013年6月時点の同社跡地 (Google マップ・Google ストリートビュー)