中妻 (上尾市)
中妻 | |
---|---|
北緯35度59分6.84秒 東経139度34分20.03秒 / 北緯35.9852333度 東経139.5722306度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 埼玉県 |
市町村 | 上尾市 |
地区 | 大石地区 |
面積 | |
• 合計 | 0.7802[1] km2 |
人口 | |
• 合計 | 5,497人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
362-0072[3] |
市外局番 | 048(浦和MA)[4][5] |
ナンバープレート | 大宮 |
座標の場所はブリヂストンサイクルを示す。 |
中妻(なかづま)は、埼玉県上尾市の町名。市の統計などでは大石地区で分類されている。
現行行政地名は中妻一丁目〜五丁目、および大字中妻。住居表示未実施地区[6]。郵便番号は362-0072[3]。
地理
[編集]埼玉県の県央地域で、上尾市北部の大宮台地上に位置する。町域の東側を原新町、南側を浅間台、西側を泉台、北側を井戸木や桶川市朝日と隣接する。 町域の西端を鴨川が流れ、上流からふれあい橋、菜の花橋、あすなろ橋、鴨川橋が架かる。町域の東端付近を高崎線、中央部を都市計画道路の西宮下中妻線(並木通り)や富士見ヶ丘中妻線(浅間通り)が南北に通り、町域の南部を上尾環状線(BS通り)が東西に通る。
全域が市街化区域で主に第一種低層住居専用地域(一部主要な通り沿いは第一種中高層住居専用地域や第二種住居地域、ブリヂストンサイクル周辺は工業地域、駅前周辺は第二種中高層住居専用地域)に指定され[7]、全体的には主に住宅地が広がっているが、一部生産緑地地区として耕作地も見られる。かつては大半が耕作地と雑木林であった[8]。 大字中妻は相次ぐ区画整理事業による地番整理によりほぼ消滅し、残部が上尾環状線と高崎線が交差する久保踏切付近に僅かに存在する。
地内に集落跡である中妻三丁目遺跡(県遺跡番号:14-308[7])があり、土器片も発掘されている。
地価
[編集]住宅地の地価は、2018年(平成30年)の公示地価によれば、中妻四丁目22-24の地点で11万4000円/m2となっている[9]。
歴史
[編集]もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡大谷領に属する中妻村であった[10]。古くは近世初頭頃は上村(のちの沖之上村)のうちにあったと思われるが[11]、元禄期以前[注釈 1]に分村して成立した。飛地が沖ノ上村と久保村の間および井戸木村のうちに存在した[10]。村高は『元禄郷帳』によると160石余。および『天保郷帳』によると168石余であった。村の規模はおよそ東西12町、南北13町余で、化政期の戸数は20軒余であった[10][12]。 地名については諸説あり、「中つ間」、もしくは「ナカツマ」のマはアイヌ語で沼を意味し、「鴨川の谷が浅くなった沼」を意味するものではないかと思われている[11]。 1875年(明治8年)の農業産物高は『武蔵国郡村誌』によると米12.6石、大麦102石、小麦18石、大豆6石、小豆3.6石、菜種2.1石であった[13]。また、中妻は甘藷(さつまいも)の一大産地であった。昭和30年代にかけて出荷された中妻産の芋は築地や神田などの各市場で好評で、桶川の商人を通じて芋や苗を青森県などにも広く出荷していた[14]。
- はじめは旗本西尾氏の知行地(後に慶長7年立藩して原市藩となる)[11]。
- 1618年(元和4年)より西尾氏の移封により上知され幕府領となる[11]。寛永年間(1624年〜1645年)より旗本柴田氏の知行地となる[10][注釈 2]。なお検地は1661年(寛文元年)に実施[12]。また、新田を領し、その検地は1749年(寛延2年)に実施[12]。
- 1698年(元禄11年)[10][15]より上知され、再び幕府領となる。
- 幕末の時点では足立郡中妻村であった。明治初年の『旧高旧領取調帳』の記載によると、代官大竹左馬太郎支配所が管轄する幕府領であった[10][16][17]。
- 1872年(明治5年)
- 1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法により成立した北足立郡に属す。郡役所は浦和宿に設置。
- 1883年(明治16年)7月28日 ‐ 地内に日本鉄道の第1期線(現JR東日本高崎線上野 - 熊谷間)が開業する。駅はなし。
- 1884年(明治17年)7月14日 - 連合戸長役場制により成立した小泉村連合に属す。連合戸長役場は小泉村に設置[21]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、中妻村を含む区域をもって大石村が成立。中妻村は大石村の大字中妻となる[10]。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 大石村が合併して上尾町が発足[22]。上尾町の大字となる。
- 1958年(昭和33年)7月15日 - 上尾町が市制施行され[22]、上尾市の大字となる。
- 1960年(昭和35年)1月 - 旧上尾町の工場誘致条例により、地内にブリヂストンサイクル工業(現ブリヂストンサイクル)上尾工場が設立され、操業を一部開始する(全面操業は同年6月開始)[23][24]。誘致には県の斡旋もあった。
- 1961年(昭和36年)3月12日 - 地区南部を通る県道上尾伊奈線(現埼玉県道323号上尾環状線、通称BS通り)が完成する[25]。
- 1967年(昭和42年)
- 1968年(昭和43年)
- 1971年(昭和46年)8月7日 - 浅間台土地区画整理事業の完成により地番変更を実施、大字中妻、沖ノ上の各一部から中妻一・二丁目が成立する[8]。また、BS住宅(1963年7月落成)が立地する区域は中妻地区の飛地となる[25]。また、大字中妻の一部が浅間台の一部となる[10][11]。
- 1972年(昭和47年) 12月26日 - 鴨川土地区画整理事業の都市計画決定[26]。
- 1974年(昭和49年)11月 - 地内に鴨川緑道が完成する[31]。
- 1978年(昭和53年)6月 - 地内に浅間台第一公園(現、中妻第一公園)が造成され、開園する[32]。
- 1985年(昭和60年)10月2日 - 鴨川土地区画整理事業の完成により地番変更を実施、大字中妻、沖ノ上、井戸木、小泉の各一部から中妻三〜五丁目が成立する[11][33]。また、大字中妻の一部が井戸木および泉台の一部となる。
- 1988年(昭和63年)12月17日 - 地区内に北上尾駅とその西口駅前広場が開設される。
- 1989年(平成元年)5月1日 - 上尾市と桶川市との境界変更を実施、中妻五丁目の一部[注釈 3]を桶川市に編入し、桶川市朝日一〜三丁目、鴨川二丁目、若宮二丁目の各一部を上尾市側に編入する[34][35][36]。
- 1991年(平成3年)3月5日 - 原新町土地区画整理事業の都市計画決定[26]。
- 1997年(平成9年)4月1日 - BS住宅が立地する区画である中妻地区の飛地[注釈 4]が浅間台に編入される[37][25]。
- 2008年(平成20年)3月 - 北上尾駅西口の駅前広場(交通広場)の改修が完了する[38]。
- 2012年(平成24年)11月23日 - 原新町土地区画整理事業の完成により住居表示変更を実施、大字中妻(字久保)の一部が原新町に編入される[39]。
存在していた小字
[編集]※ 登記簿上は今もなお存在する小字を含む。
世帯数と人口
[編集]2019年(平成31年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
中妻一丁目 | 521世帯 | 1,075人 |
中妻二丁目 | 164世帯 | 373人 |
中妻三丁目 | 343世帯 | 856人 |
中妻四丁目 | 592世帯 | 1,472人 |
中妻五丁目 | 657世帯 | 1,721人 |
計 | 2,277世帯 | 5,497人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[41]。
大字・丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
大字中妻 | 443〜445 | 上尾市立中央小学校 | 上尾市立東中学校 |
中妻一丁目 | 全域 | 上尾市立大石北小学校 | 上尾市立大石中学校 |
中妻二丁目 | 全域 | ||
中妻三丁目 | 全域 | ||
中妻四丁目 | 全域 | ||
中妻五丁目 | 全域 |
交通
[編集]高崎線西側脇に平行する市道が地区東端の原新町との境界となっているため、北上尾駅の駅舎の一部が中妻に掛かる。最寄り駅までの距離は地域によって差があり、町域に当たる駅西口交通広場[7](西口駅前広場)とその周辺は至近距離にあるが、中妻四丁目22番地24号の地点ではおよそ 1.5 km[9]離れている。なお、北上尾駅は原新町に立地する。
道路
[編集]- 埼玉県道323号上尾環状線(BS通り)
- 西宮下中妻線(並木通り)
- 富士見ヶ丘中妻線(浅間通り)
- 小泉中妻線[7] - 中妻五丁目交差点から東西方向の通り。桶川側では「朝日イチョウ通り」と称され、街路樹も百日紅から文字通りイチョウの木に変わる。
- 北上尾西口線[7](駅前通り) - 未整備。現道を幅員22メートルに南側に拡幅する計画がある。
バス
[編集]地区内には路線バスが無く、コミュニティバスのみの運行となっている。なお、過去に丸建自動車のけんちゃんバスが運行され、地内に「北上尾駅西口」、「北上尾駅入口」、「中妻3丁目東」、「中妻3丁目西」、「中妻4丁目西」、「中妻5丁目西」バス停留所が設置されている時期があった[42]。また、旧中山道の(旧)上尾車庫より「久保」バス停留所(久保西交差点)を経由してBS通りを通り、大石支所を経由して県道を通り「小敷谷」に至る東武バスの路線バスが運行され、地内に「中妻」バス停留所などが設置されていた時期もあった[43]。
- 大石桶川線
- 大石領家北上尾線
- 地区内は「北上尾駅西口」、「中妻一丁目」、「中妻二丁目」、「中妻三丁目」、「中妻四丁目」、「中妻五丁目」、「かえで公園入口」、「中妻三丁目北」バス停留所が設置されている。
地域
[編集]かつては村社の稲荷社のほか八幡社[10]や八雲社(無格社)などが鎮座していたが[45]、地内に神社は存在しない。旧大石村で村内にある神社の合祀が1907年(明治40年)に行なわれたためである[46]。合祀先は小泉の氷川神社で、合祀後は八合神社に改称された[45]。
町内会
[編集]公園
[編集]- 鴨川中央公園(近隣公園) - 指定緊急避難場所(地震・洪水・大規模な火事)に指定[48]。
- 鴨川緑道(都市緑地[49])
- 中妻第一公園(街区公園) - 指定緊急避難場所(地震・洪水)指定。旧称「浅間台第一公園」[32]。
- 中妻第二公園(街区公園) - 指定緊急避難場所(地震・洪水)指定。旧称「浅間台第五公園」[注釈 9]。
- かえで公園(街区公園) - 指定緊急避難場所(地震・洪水)指定。
- 宮前公園(街区公園) - 指定緊急避難場所(地震・洪水)指定。
施設
[編集]- ブリヂストンサイクル本社
- 上尾市立大石中学校 - 指定緊急避難場所(地震・洪水)、指定一般避難所に指定。
- 花園幼稚園
- カオルキッズランド中妻園 - 保育施設[50]
- ヤマト運輸上尾中妻営業所
- 中妻記念会館
- 中妻公民館
- 寳蔵寺
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』 435頁では正保の頃分村したと記されている。
- ^ 『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』 435頁では正保の頃旗本柴田筑後守の知行と記されている。
- ^ 中妻五丁目10-1、35-1、35-2、100-5、100-10、100-40、100-41までが対象。
- ^ 『浅間台区30周年記念誌「夢」』 60頁では「中妻北区」と記載されているが、『ゼンリンの住宅地図』では「中妻地区」と記載。したがって「中妻北区」の「北」は「地」の誤植と思われる。
- ^ 『武蔵國郡村誌』では後久保、『新編武蔵風土記稿』では宮久保とも。
- ^ 『武蔵國郡村誌』では
稲荷前 、『新編武蔵風土記稿』では新田とも。 - ^ 『武蔵國郡村誌』では屋だり・雷電下とも。
- ^ 『新編武蔵風土記稿』では新田とも。
- ^ 『ゼンリンの住宅地図 76』より。
出典
[編集]- ^ “統計あげお 平成30年版 第1章 土地・気象”. 上尾市役所. p. 2 (2019年5月30日). 2020年5月23日閲覧。
- ^ a b “町丁大字別人口表”. 上尾市 (2019年2月4日). 2019年3月1日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2019年3月1日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年3月1日閲覧。
- ^ “単位料金区域別市外局番等一覧表”. NTT東日本. 2020年5月23日閲覧。
- ^ “住居表示に関する届け出”. 上尾市役所 (2017年12月28日). 2019年3月1日閲覧。
- ^ a b c d e 都市計画図がご覧になれます。 - 上尾市(2014年9月5日).2020年5月18日閲覧。
- ^ a b 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 927頁。
- ^ a b 国土交通省地価公示・都道府県地価調査.2019年3月1日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 621-622頁。
- ^ a b c d e f g h 『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』 433-441頁。
- ^ a b c 新編武蔵風土記稿 中妻村.
- ^ 『上尾百年史』 250-254頁。
- ^ 上尾の戦中・戦後を知り記録する会 編『わがまち 上尾を知ろう 上尾の戦中・戦後の姿 増補改訂版』三恵社、2019年10月30日、58頁。ISBN 978-4-86693-133-3。
- ^ 『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』 435頁では元禄初期と記されている。
- ^ 『上尾百年史』 24頁。
- ^ 「旧高旧領取調帳データベース」の検索結果も参照。
- ^ 『上尾百年史』 26-30頁。
- ^ 『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』 117-123頁。
- ^ 『上尾百年史』 610-615頁。
- ^ 『上尾百年史』 98-116頁。
- ^ a b 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 1421頁。
- ^ 上尾市史 第五巻 資料編5、近代・現代2 513頁。
- ^ 『上尾百年史』 317-321頁。
- ^ a b c 『浅間台区30周年記念誌』 55-61頁。
- ^ a b c “上尾市の土地区画整理事業”. 上尾市役所 (2018年4月1日). 2019年3月1日閲覧。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 928頁。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 702頁。
- ^ 幼稚園概要 - 花園幼稚園. 2020年7月22日閲覧。
- ^ “学校の沿革” (PDF). 上尾市立大石中学校 (2014年4月8日). 2019年3月1日閲覧。
- ^ “上尾市のあゆみ - 統計あげお平成23年版” (PDF). 上尾市. pp. 135-144 (2012年3月). 2014年4月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月11日閲覧。
- ^ a b 『上尾市史 第七巻 通史編(下)』 698頁。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 増補5頁。
- ^ “市の境界変更 昭和62年9月26日 自治省告示第139号”. 桶川市役所 (1989年4月27日). 2019年6月9日閲覧。
- ^ 『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』 121-123頁。
- ^ “統計あげお 平成30年版 第1章 土地・気象” (PDF). 上尾市. p. 4 (2019年5月30日). 2019年6月9日閲覧。
- ^ 『ゼンリンの住宅地図 上尾市 '87』ゼンリン、1986年8月、64頁。
- ^ “地区の成立ち” (PDF). 浅間台自治会. 2022年4月22日閲覧。
- ^ “原新町地区の地番の変更”. 上尾市役所 (2012年11月26日). 2019年3月1日閲覧。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 1389頁。
- ^ “市内小・中学校通学区一覧”. 上尾市 (2018年4月1日). 2019年2月28日閲覧。
- ^ 「新路線開設【上尾⇔桶川】」『上尾商工会議所情報誌 あぴお』第2号、上尾商工会議所、2003年5月1日、3頁、2020年5月18日閲覧。
- ^ 『上尾市史 第五巻 資料編5、近代・現代2』 566-567頁。
- ^ ぐるっとくん 上尾市内循環バスROAD案内マップ (PDF) - 上尾市役所.2019年3月1日閲覧。
- ^ a b 『上尾百年史』 604-609頁
- ^ 広報広聴課「上尾歴史散歩309 神社の動向 - 明治後期の神社合祀 -」『広報あげお 平成28年12月号』第993号、上尾市、2016年12月、35頁、2020年6月9日閲覧。
- ^ “自治会・町内会・区会に加入しましょう”. 上尾市役所 (2021年3月15日). 2022年5月19日閲覧。
- ^ “指定緊急避難場所・指定避難所・福祉避難所”. 上尾市役所 (2022年2月14日). 2022年5月19日閲覧。
- ^ “上尾の都市計画 2019 8 資料編”. 上尾市. p. 46 (2020年1月14日). 2020年6月9日閲覧。
- ^ “上尾市 保育施設一覧”. 上尾市役所 (2021年3月12日). 2021年11月15日閲覧。
参考文献
[編集]- 上尾市教育委員会・編『上尾市史 第五巻 資料編5、近代・現代2』上尾市、1998年3月31日。
- 上尾市教育委員会・編『上尾市史 第七巻 通史編(下)』上尾市、2001年3月30日。
- 上尾市教育委員会・編『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』上尾市、1997年3月31日。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。
- 上尾百年史編集委員会・編『上尾百年史』上尾市役所、1972年2月10日。
- 『浅間台区30周年記念誌「夢」』浅間台区30周年記念事業実行委員会、2001年6月5日。
- 「中妻村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ147足立郡ノ13、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763999/49。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- あげおガイド アピマップ - 上尾市役所
- 地区計画ですすめるまちづくり 鴨川地区の地区計画 (PDF) - 上尾市役所
- 地区計画ですすめるまちづくり 原新町の地区計画 (PDF) - 上尾市役所
井戸木 | 桶川市朝日 | |||
泉台 | 桶川市神明 | |||
中妻 | ||||
小泉 | 浅間台 | 原新町 |