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中央映画認証委員会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中央映画認証委員会
Central Board of Film Certification
情報・放送省の会合で議長を務めるCBFC委員長リーラー・サムソン
略称 CBFC
前身 中央映画検閲委員会
設立 1952年
種類 官庁
法的地位 映画映写法に基づく
目的 インド映画検閲レイティング
本部 インドの旗 インド マハーラーシュトラ州ムンバイ
 上部組織 インド情報・放送省英語版
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中央映画認証委員会(ちゅうおうえいがにんしょういいんかい、Central Board of Film Certification)は、インド情報・放送省英語版の部局で、インド映画検閲レイティングを行う機関。日本語訳は「中央映画認証委員会[1]」の他に「中央映画検定局[2]」がある。

概要

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1913年、ダーダーサーヘブ・パールケーによって最初のインド映画『ハリシュチャンドラ王』が製作され、その後1918年に映画映写法が制定され、イギリス領インド帝国における映画検閲制度が敷かれた。検閲委員会(Censor Board)はマドラスボンベイカルカッタラホールラングーンに支部が置かれ、同地の警察署長の管轄下に置かれた。各地の検閲委員会はそれぞれ独立して言語映画の検閲を行っていたが、インド独立以後はボンベイ映画検閲委員会が各地の検閲委員会を統括するようになった。1952年に映画映写法が改正され、各地の検閲委員会を統合した中央映画検閲委員会(Central Board of Film Censors)が発足し、インド映画の検閲を集権的に担う機関に再編された。1983年に再び映画映写法が改正され、中央映画検閲委員会は中央映画認証委員会(Central Board of Film Certification)に改組された[3]

中央映画認証委員会は委員長1名と非公開の委員25名で構成され、全員がインド政府によって任命される。委員会本部はムンバイに置かれており、ティルヴァナンタプラム、チェンナイ、ハイデラバードバンガロールカタックグワーハーティー、コルカタ、ニューデリーに支部が置かれている。

映画の認証区分

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ミルカ』の認証証明書(U認証)
若さは向こう見ず』の認証証明書(U/A認証)

映画は4つのカテゴリーに分類される。発足当初は「U」と「A」の2つのカテゴリーしか存在しなかったが、1983年6月に新たに「U/A」と「S」のカテゴリーが追加された[4]。この他に認証を拒否する権限も有している。

  • U(全年齢対象):家族向け映画が対象で、教育・家族・ドラマ・ロマンス・SF・アクションなど普遍的な題材が採用されている。この区分では軽度の暴力描写や間接的な性描写が許容されている。
  • U/A(12歳未満の児童が鑑賞する際には保護者の指導が必要とされる):適度な成人向けテーマを採用することができ、保護者の指導の下で児童が鑑賞することが認められる。この区分では中程度の暴力描写や性描写、恐怖を煽る描写や暴力的な言動が許容されている。
  • A(成人対象):非常に強い暴力描写やヌード描写(トップ、アンダー露出を除く)、暴力的な言動(女性を侮辱する言葉を除く)が許容されている。社会的に論争を呼んだテーマを題材にしているものも多く、若年層の鑑賞は推奨されない。テレビ放送やソフト販売に際して指定される場合がある。
  • S(特別な条件を満たした者のみが対象):一般の人々が鑑賞することは認められず、その題材に関する人々(技術者、医師、科学者など)のみが鑑賞することができる。

歴代委員長

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委員長 就任日 退任日
1 C・S・アグルワール 1951年1月15日 1954年6月14日
2 B・D・ミルチャンダニ 1954年6月15日 1955年6月9日
3 M・D・バット 1955年6月10日 1959年11月21日
4 D・L・コタリ 1959年11月22日 1960年3月24日
5 B・D・ミルチャンダニ 1960年3月25日 1960年11月1日
6 D・L・コタリ 1960年11月2日 1965年4月22日
7 B・P・バット 1965年4月23日 1968年4月22日
8 R・P・ナヤック 1968年4月31日 1969年11月15日
9 M・V・デサリ 1969年12月12日 1970年10月19日
10 R・スリニヴァサン 1970年10月20日 1971年11月15日
11 ヴィレンドラ・ヴィヤース 1972年2月11日 1976年6月30日
12 K・L・カーンドプリ 1976年7月1日 1981年1月31日
13 リシケーシュ・ムカルジー英語版 1981年2月1日 1982年8月10日
14 アパルナ・モイル 1982年8月11日 1983年3月14日
15 シャラード・ウパサニ 1983年3月15日 1983年5月9日
16 スレーシュ・マトゥール 1983年5月10日 1983年7月7日
17 ヴィクラム・シン 1983年7月8日 1989年2月19日
18 モレシュワール・ヴァンマリ 1989年2月20日 1990年4月25日
19 B・P・シンガル 1990年4月25日 1991年4月1日
20 シャクティ・サマンタ英語版 1991年4月1日 1998年6月25日
21 アシャ・パレク 1998年6月25日 2001年9月25日
22 ヴィジャイ・アーナンド英語版 2001年9月26日 2002年7月19日
23 アルヴィンド・トリヴェディ 2002年7月20日 2003年10月16日
24 アヌパム・カー[5] 2003年10月16日 2004年10月13日
25 シャルミラ・タゴール[6] 2004年10月13日 2011年3月31日
26 リーラー・サムソン英語版 2011年4月1日 2015年1月16日
27 パフラージ・ニハラーニー英語版 2015年1月19日 2017年8月11日
28 プラスーン・ジョーシー英語版 2017年8月12日

トラブル

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中央映画認証委員会は映画製作者から多額の賄賂を受け取っていると批判されている(「U」認証されれば娯楽税の30%が免除されるため、認証されるための便宜を図っているとされている)[7]

2002年、アナンド・パトワルダンが製作した『戦争と平和 非暴力から問う核ナショナリズム』は核実験や9・11テロを題材にしていたが、中央映画認証委員会は21シーンのカットを要求した[8]。パトワルダンは要求に対して「非常に馬鹿げた要求であり、法廷に提訴する」「このカット要求が認められれば、インドの表現の自由は終わりだ」と反論している[9]。裁判の結果、パトワルダンは勝訴し、映画はカットされずに上映が認められた。同年、中央映画認証委員長ヴィジャイ・アーナンド英語版は「インドのいたる場所でポルノ映画が違法上映されており、これに対抗する最善の方法は法的に認めた場所で公然と上映することである」として特定の映画館でX認証英語版作品の鑑賞を合法化するべきと提唱して論争を巻き起こした[10]。これにより彼は全国的な批判にさらされ、委員長を辞任に追い込まれた[11]

2014年、中央映画認証委員会CEOラケーシュ・クマールが映画認証に際して、賄賂を受け取っていたことが発覚して逮捕された[12]

2015年、中央映画認証委員長リーラー・サムソン英語版は『MSG: The Messenger』の認証拒否に関し、政府からの干渉があったとして抗議のために委員長を辞任した。インド政府はパフラージ・ニハラーニー英語版を後任に指名したが、彼が与党に近い人物であることを理由に委員会メンバーの半数が辞任した。ニハラーニーは2017年8月に委員長を退任したが、その際にインド政府から少なくとも2本の映画について上映を拒否または延期させるように指示されたことを公表した[13]

出典

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  1. ^ 過激集団によるセット破壊、主演女優が懸賞首に… インド「パドマーワト」が直面した過酷な危機”. 映画.com (2019年5月29日). 2019年6月16日閲覧。
  2. ^ バーフバリなど話題作多数のインド映画は他と何が違う?プロが教える「初心者向けインド映画講座」”. テレ東プラス (2018年12月16日). 2019年6月16日閲覧。
  3. ^ Background”. CBFC Website. Central Board of Film Certification. 2010年8月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。9 January 2012閲覧。
  4. ^ UA, S, X, R demystified: How films are rated”. News18 (2011年6月15日). 2019年6月16日閲覧。
  5. ^ rediff. com Entertainment Bureau Staff reporter (8 October 2003). “Anupam Kher is new chief of censors”. Rediff Movies. rediff. com. 9 January 2012閲覧。
  6. ^ Indo-Asian News Service (16 October 2004). “Sharmila Tagore replaces Kher”. IndiaGlitz. 2012年10月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。9 January 2012閲覧。
  7. ^ “Tamil Nadu film producers grease palms to get ‘U’ certificates”. The Times of India. (20 August 2014). http://timesofindia.indiatimes.com/city/chennai/Tamil-Nadu-film-producers-grease-palms-to-get-U-certificates/articleshow/40437673.cms 2019年6月16日閲覧。 
  8. ^ BBC NEWS | Entertainment | Film | India cuts 'anti-war' film”. news.bbc.co.uk. 2017年7月21日閲覧。
  9. ^ “Censorship and Indian Cinema: The Case of Anand Patwardhan's War and Peace - Bright Lights Film Journal” (英語). Bright Lights Film Journal. (2002年11月1日). http://brightlightsfilm.com/censorship-indian-cinema-case-anand-patwardhans-war-peace/#.WXGNc4iGPIV 2017年7月21日閲覧。 
  10. ^ BBC NEWS | Business | India's film censor wants to legalise porn”. news.bbc.co.uk. 2017年7月21日閲覧。
  11. ^ BBC NEWS | Entertainment | Film | India's chief film censor quits”. news.bbc.co.uk. 2017年7月21日閲覧。
  12. ^ “Censor board CEO held for accepting bribes to clear films quickly”. The Times of India. (19 August 2014). http://timesofindia.indiatimes.com/india/Censor-board-CEO-held-for-accepting-bribes-to-clear-films-quickly/articleshow/40384783.cms 2019年6月16日閲覧。 
  13. ^ “'Sacked As I Didn't Clear Indu Sarkar Without Cuts': Pahlaj Nihalani”. NDTV. (19 August 2017). http://www.ndtv.com/entertainment/clearing-indu-sarkar-without-cuts-main-reason-behind-my-sacking-says-pahlaj-nihalani-1739488 20 August 2017閲覧。 

外部リンク

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