中司得三
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府泉大津市 |
生年月日 | 1953年5月18日(71歳) |
身長 体重 |
179 cm 78 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 1978年 ドラフト外 |
初出場 | 1979年10月20日 |
最終出場 | 1982年10月9日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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中司 得三(なかつかさ とくぞう、1953年5月18日 - )は、岡山県出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。
来歴・人物
[編集]近大附高では、1971年にエースとして春の選抜に出場。1回戦で水谷新太郎、新谷嘉孝を擁する三重高、2回戦で芦別工業高を降す。しかし、準々決勝では坂出商業高の岩崎良夫と投げ合い、延長13回の熱戦の末に0-1で惜敗[1]。
高校卒業後は、近畿大学に進み、左翼手として活躍。関西六大学野球リーグでは、同期のエース森口益光を擁し、1974年春季リーグ、1975年秋季リーグで優勝。ベストナイン3回。1975年阪急ブレーブスに6位指名されるもこれを拒否。
大学卒業後、社会人野球の日本生命に入社し、1976年から3年連続で都市対抗野球大会に出場。
1979年にはイースタンリーグの打点王となり、同年オフの長嶋茂雄監督による「地獄の伊東キャンプ」にも参加する。
1981年の日本ハムファイターズとの日本シリーズでは2試合に守備固めとして出場。
1984年限りで現役引退。その後は会社員。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1979 | 巨人 | 2 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | .000 | .000 | .000 | .000 |
1981 | 4 | 4 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .250 | .000 | .250 | |
1982 | 9 | 7 | 6 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | .167 | .286 | .167 | .452 | |
通算:3年 | 15 | 13 | 11 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 4 | 1 | .091 | .231 | .091 | .322 |
記録
[編集]- 初出場:1979年10月20日、対広島東洋カープ26回戦(後楽園球場)、7回裏に山本功児の代打で出場
- 初先発出場:1982年9月13日、対阪神タイガース26回戦(後楽園球場)、7番・右翼手で先発出場
- 初安打:1982年9月14日、対中日ドラゴンズ22回戦(後楽園球場)、3回裏に都裕次郎から
背番号
[編集]- 45 (1979年)
- 23 (1980年 - 1984年)
脚注
[編集]- ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年