下村兼史
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下村 兼史(しもむら けんじ、1903年2月10日 − 1967年4月27日)は、日本の鳥類生態写真家、記録映画監督。
評価と受賞
[編集]映画作品『或日の干潟』(理研科学映画、1940年)が文部大臣賞、皇紀2600年奉祝芸能祭文化映画コンクール首席、『ちどり』(東宝教育映画部、1947年9月公開)が映画世界賞受賞、文部省選定[1]、『こんこん鳥物語』(東宝教育映画、1949年)が文部大臣賞、第4回毎日映画コンクール教育文化映画賞受賞[1]。その他の作品でも受賞多数。鳥類を中心に、写真や映像に野生生物をフィルムに収め、日本初の鳥類生態写真集を刊行し、鳥類標本では得られない生態の研究に貢献した。
鳥類を撮影した写真は、財団法人山階鳥類研究所にかなりの数が収蔵されている。また、映画作品は、(株)東宝ステラが「日映アーカイブ」として管理しているものがある他、東京国立近代美術館フィルムセンターなどがプリントを所蔵している。
日本最初の野鳥生態写真家と評されている。カメラそのものが珍しかった1920~30年代に、自由に飛びまわる野鳥を日本で初めて撮影し、今では失われてしまった自然環境も記録した。
2018年9月21-26日には、有楽町朝日ギャラリーにて、下村の生涯と功績についても紹介する写真展「日本最初の野鳥生態写真家ー下村兼史生誕115周年ー100年前にカワセミを撮った男」も開かれた。[2]
経歴
[編集]- 1903年(明治36年):佐賀県佐賀市で生まれる[3]。
- 1930年(昭和5年):農林省畜産局および山林局で鳥獣調査室に勤務[3]。
- 1939年(昭和14年):農林省の鳥獣調査室を辞し、理研科学映画に入社[3]。
- 1945年(昭和20年):終戦により理研科学映画が解散[3]。
- 1946年(昭和21年):東宝教育映画部に入社[3]。
- 1948年(昭和23年):東宝教育映画部の解散により、東宝教育映画株式会社に移籍[3]。
- 1952年(昭和27年):東宝教育映画解散[3]。
- 1967年(昭和42年):逝去。
主な映画作品
[編集]- 『水鳥の生活−第一輯−』(16分、1939年)
- 『或日の干潟』(25分、理研科学映画、1940年)
- 『慈悲心鳥』(15分、理研科学映画、1942年)
- 『ちどり』(32分、映画世界賞・文部省選定、東宝教育映画部、1947年9月公開)
- 『石の中の鳥』(49分、東宝教育映画部、1948年)
- 『こんこん鳥物語』(29分、文部大臣賞、第4回毎日映画コンクール教育文化映画賞受賞、東宝教育映画、1949年)
- 『鶴と子供たち』(41分、成瀬巳喜男・如月敏脚色、藤原杉雄との共同演出、東宝教育映画、1949年)
- 『雀の生活』(東宝教育映画、1951年)
- 『或日の沼池』(東宝教育映画、1951年)
- 『富士は生きている』(東映教育映画部、1956年)
- 『特別天然記念物 ライチョウ』(32分・カラー、日本シネセル、1967年)
主な著書
[編集]- 『北の鳥・南の鳥』(三省堂、1936年)
- 『原色野外鳥類図譜』(三省堂、1938年)
- 『生物学実験法講座 〔1-13〕』(建文館、1937年-1938年)
- 『野鳥生態写真集 第1輯』(清棲幸保共著、芸艸堂、1940年)
- 『ちどり』望月衛文、森芳雄・挿絵、まひる書房、1947年)
- 『鳥類図絵』(国民図書刊行会、1949年)
- 『カメラ野鳥記』(誠文堂新光社、1952年)
- 『十一の卵』(さ・え・ら書房、1953年)
- 『原色日本鳥類図鑑』(風間書房、1955年)
- 『生物学実験法講座 第2巻』(岡田弥一郎、中山書店、1955年)
- 『野鳥の観察』(さ・え・ら書房、1956年)
- 『富士山』(さ・え・ら書房、1960年)
- 『原色狩猟鳥獣図鑑』(狩猟界社、1965年)
- 『全集日本動物誌 9』(講談社、1983年)
出典
[編集]- ^ a b 下村兼史製作映画作品リスト財団法人山階鳥類研究所
- ^ http://www.yamashina.or.jp/hp/hyohon_tosho/shimomura_kenji/shashinten2018.html
- ^ a b c d e f g 下村兼史 生涯の記録財団法人山階鳥類研究所