上土方嶺向
上土方嶺向 | |
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大字 | |
高天神城址の遠景 | |
北緯34度41分59.57653秒 東経138度1分55.20234秒 / 北緯34.6998823694度 東経138.0320006500度座標: 北緯34度41分59.57653秒 東経138度1分55.20234秒 / 北緯34.6998823694度 東経138.0320006500度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 静岡県 |
市町村 | 掛川市 |
人口情報(2024年11月末日[1]) | |
人口 | 262 人 |
世帯数 | 91 世帯 |
郵便番号 | 437-1435 |
市外局番 | 0537(掛川MA) |
ナンバープレート | 浜松 |
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上土方嶺向(かみひじかたみねむかい、英語: Kamihijikataminemukai)は、静岡県掛川市にある大字。
地理
[編集]静岡県掛川市の南部に位置する。合併前の旧大東町においては北西部に位置していた。西は山地であり楞厳寺山、高天神山といった山々が聳えている。中央には平地が広がり田畑として利用されている。東の平地には人家も多い。東端を下小笠川が流れている。
集落としては隣接する大字とともにまとめて「嶺向」[2][3]との名で呼ばれているが、大字としての住所表記では「上土方嶺向」[4]と記される。なお、集落としての嶺向は、掛川市の自治区においては上土方区ではなく土方区に属している[5]。
山岳
[編集]- 高天神山
- 楞厳寺山
河川
[編集]- 下小笠川
湖沼
[編集]- 林の谷池
歴史
[編集]古くより要衝として知られており、西に聳える高天神山には高天神城が築かれていた。この城が築城された正確な時期は不明であるが、少なくとも16世紀には既に城があったとみられている。戦国時代の末期には、この城をめぐって武田勝頼と徳川家康との間で高天神城の戦いが繰り広げられてきた。
1581年(旧暦天正9年3月)の第二次高天神城の戦いにより高天神城は落城し、その後は再建されることもなく廃城となった。江戸時代に入ると静かな農村として発展する。
上土方嶺向と呼ばれている地は、もともとは自然村である遠江国城東郡上土方村の一部であった[6][7][8]。正保郷帳には上土方村として記載されている[8]。その後、上土方村は落合村、向村、嶺村の3村に分割された[6][8]。元禄郷帳には落合村、向村、嶺村はそれぞれ別々の村として記載されている[8]。そのうち向村の村域の一部[7]、および、嶺村の村域の全てが[6]、のちの上土方嶺向に該当する[6][7]。内山真龍の『遠江国風土記伝』によれば当時の石高は向村が446石7斗7升6合、嶺村が266石3斗6升であったとされている[8]。1868年(明治元年)に嶺村と向村が合併することになり、新たに嶺向村が発足した。
明治維新を経て町村制が施行された1889年(明治22年)時点では、この地は静岡県城東郡土方村の一部となっていた。その後の度重なる市町村合併を経て、2005年(平成17年)4月よりこの地は掛川市の一部となった。
地名の由来
[編集]「上土方嶺向」と呼ばれている地は、かつては土形郷の一部であり、時代が下ると「上土方村」の一部となっていた[8]。その後、上土方村は落合村、「向村」、「嶺村」に分割されたが[6][8]、そのうち嶺村と向村が1868年(明治元年)に合併して「嶺向村」と命名された。そのため「嶺向」は合成地名の一つである。
沿革
[編集]- 1868年 - 遠江国城東郡嶺村、向村が合併して嶺向村を設置。
- 1871年 - 城東郡が静岡県に移管。
- 1871年 - 城東郡が浜松県に移管。
- 1875年 - 浜松県城東郡落合村、嶺向村、旦付新田が合併して上土方村を設置。
- 1876年 - 城東郡が静岡県に移管。
- 1889年 - 静岡県城東郡下土方村、入山瀬村、今滝村、上土方村、川久保村の大部分、中村の一部が合併して土方村を設置。
- 1896年 - 静岡県佐野郡、城東郡が合併して小笠郡を設置。
- 1955年 - 静岡県小笠郡佐束村、土方村が合併して城東村を設置。
- 1973年 - 静岡県小笠郡大浜町、城東村が合併して大東町を設置。
- 2005年 - 静岡県掛川市、小笠郡大東町、大須賀町が合併して掛川市を設置。
世帯数と人口
[編集]2024年(令和6年)11月末日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
上土方嶺向 | 91世帯 | 262人 |
事業所
[編集]2021年(令和3年)現在の事業所数と従業員数は以下の通りである[9]。
大字 | 事業所数 | 従業員数 |
---|---|---|
上土方嶺向 | 5事業所 | 50人 |
小・中学校の学区
[編集]番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 掛川市立土方小学校 | 掛川市立城東中学校 |
施設
[編集]史跡
[編集]その他
[編集]郵便
[編集]- 郵便番号:437-1435[4](集配局:遠江大東郵便局)
警察
[編集]警察の管轄区域は以下の通りである[20]。
番地 | 警察署 | 交番・駐在所 |
---|---|---|
全域 | 掛川警察署 | 城東駐在所 |
消防
[編集]消防の管轄区域は以下の通りである[21]。
番地 | 消防署・分署 | 消防団分団 |
---|---|---|
全域 | 南消防署 | 大東第四分団 |
ギャラリー
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 『令和6年11月末日現在掛川市人口・世帯数』。
- ^ a b 笹本裕大稿「報徳社の活動実態の変化と存続・解散に関わる地域的要因」『日本地理学会発表要旨集』2013年版、日本地理学会、2013年。
- ^ a b 笹本裕大稿「静岡県および三重県における報徳社の活動実態にみる地域的差異」『日本地理学会発表要旨集』2015年版、日本地理学会、2015年。
- ^ a b 「郵便番号・住所」『静岡県 掛川市 上土方嶺向の郵便番号 - 日本郵便』日本郵便。
- ^ 「地区・自治区・小区――大東・大須賀区域」『地区・自治区・小区 大東・大須賀区域 - 掛川市』掛川市役所、2020年4月8日。
- ^ a b c d e 平凡社稿「上土方嶺村」『上土方嶺村(かみひじかたみねむら)とは? 意味や使い方 - コトバンク 上土方嶺村(かみひじかたみねむら)とは? 意味や使い方 - コトバンク』DIGITALIO・C-POT。
- ^ a b c 平凡社稿「上土方向村」『上土方向村(かみひじかたむかいむら)とは? 意味や使い方 - コトバンク』DIGITALIO・C-POT。
- ^ a b c d e f g 內山基康著述者相續人『逺江國風圡記傳』郁文舍書店、1900年、473頁。
- ^ 「経済センサス‐活動調査/令和3年経済センサス‐活動調査/事業所に関する集計――産業横断的集計――事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)」『経済センサス‐活動調査 22 静岡県 31 経営組織(2区分)、産業(中分類)別全事業所数及び男女別従業者数-市区町村、町丁・大字 | ファイル | 統計データを探す | 政府統計の総合窓口』統計センター。
- ^ 「掛川市内小・中学校通学区一覧」『掛川市内小・中学校通学区一覧 - 掛川市』掛川市役所、2024年5月1日。
- ^ 「嶺向公会堂」『嶺向公会堂 - 掛川市』掛川市役所。
- ^ 「郷土の偉人の功績を発信――亀次郎公園小記念館が落成」『2021年3月6日 郷土の偉人の功績を発信 亀次郎公園小記念館が落成 - 掛川市』掛川市役所、2021年3月6日。
- ^ 「松本亀次郎の偉業後世に――日中友好貢献、掛川に『鶴峯堂』完成」『松本亀次郎の偉業後世に 日中友好貢献、掛川に「鶴峯堂」完成 :中日新聞しずおかWeb』中日新聞社、2021年3月8日。
- ^ 「鷲山医院」『鷲山医院 - 掛川市』掛川市役所、2018年12月13日。
- ^ 「高天神社」『高天神社 - 静岡県神社庁』静岡県神社庁。
- ^ 「津島神社」『津島神社 - 静岡県神社庁』静岡県神社庁。
- ^ 「基本情報」『宗源庵 - 曹洞禅ナビー寺院検索― 曹洞宗公式 寺院ポータルサイト』曹洞宗宗務庁。
- ^ 「基本情報」『長壽庵 - 曹洞禅ナビー寺院検索― 曹洞宗公式 寺院ポータルサイト』曹洞宗宗務庁。
- ^ 「ACCESS」『今、よみがえる高天神城』掛川市。
- ^ 「管轄区域」『城東駐在所|静岡県警察』静岡県警察本部。
- ^ 掛川市消防本部編集『消防年報』令和2年版、掛川市消防本部、2021年4月、69頁。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 嶺向公会堂 - 掛川市 - 嶺向公会堂を紹介する掛川市役所の公式ページ
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