上加納村
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かみかのうむら 上加納村 | |
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廃止日 | 1903年4月1日 |
廃止理由 |
編入 |
現在の自治体 | 岐阜市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 岐阜県 |
郡 | 稲葉郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
1,538人 (震災誌[1]、1891年) |
上加納村役場 | |
所在地 | 岐阜県稲葉郡上加納村 |
ウィキプロジェクト |
上加納村(かみかのうむら)は、かつて岐阜県稲葉郡(廃止時)に存在した村である。
現在の岐阜市の中心部の東部、水道山の南から新荒田川にかけての地域に該当する。
村の北半分は岐阜市発足時から岐阜市域となり、この地域には現在のJR岐阜駅や名鉄岐阜駅周辺、柳ヶ瀬など、現在の岐阜市の中心部が含まれていた。
歴史
[編集]美濃国厚見郡に所属。江戸時代を通じて加納藩領。1872年(明治5年)まで村内は東加納村、西加納村、南加納村、北加納村、御園村に分かれていた。1888年(明治21年)時点の人口は、4386人[2]。
- 1889年(明治22年)7月1日 - 厚見郡岐阜町[3]、富茂登村、稲束村、小熊村、今泉村と上加納村の北半分[4]が合併して市制を施行し、岐阜市が発足。上加納村の南半分[5]が単独で町村制を施行。
- 1897年(明治30年)4月1日[6] - 郡の統廃合により、所属郡が稲葉郡に変更される。
- 1903年(明治36年)4月1日 - 岐阜市に編入され、岐阜市大字稲葉となる。
現在の地名との関係
[編集]区画整理や地名変更が多い地域であるが、現在も上加納村の字名が残っている地区もある。
学校
[編集]- 徹明義校[7] (後の岐阜市立徹明小学校。統合により廃校となり、現・岐阜市立徹明さくら小学校)
神社・仏閣
[編集]その他
[編集]- 岐阜市にあるソープランド街「金津園」は、1888年に上加納村に設置された「金津遊廓」が始まりという。名称は、上加納村の字名「金津」に由来するというが、実際の開設場所の字名は高巌である[8]。遊廓設置後に地名を変更した可能性がある。金津遊廓の所在地は現在の岐阜市大富町・栄枝町・柳ケ瀬通5 - 6丁目・日ノ出町4 - 5丁目付近だったが、その後の移転により、現在の金津園の所在地である岐阜市加納水野町付近はかつての下加納村の一部となる。
脚注
[編集]- ^ 角川日本地名大辞典21岐阜
- ^ 岐阜県町村合併史
- ^ 正確には51の町(本町、中竹屋町、東材木町、西材木町、上大久和町、上今町、下今町、北今町、中今町、上新町、中新町、下新町、大和町、相生町、米屋町、魚屋町、下大久和町、布屋町、釜石町、扇町、木造町、万力町、上竹屋町、笹土居町、榊町、七曲町、松屋町、若松町、甚衛町、愛宕町、錠鍛屋町、加茂町、珠城町、末広町、久屋町、中大久和町、堀江町、加和屋町、間之町、矢島町、白木町、靭屋町、栄町、上門町、常盤町、蜂屋町、大工町、桜町、車之町、山下達目洞、伊奈波境内)
- ^ 字町邸、字金園、字西屋敷、字高厳、字柳ケ瀬、字神室(金神社裏作道以東)、字長住(東海道本線以北)
- ^ 字室津、字清田、字玉姓、字松鴻、字田生越、字祈年、字一松道、字五坪、字鶴田、字田神、字八頭、字瑞龍前、字金勝森、字上加納、字神室(金神社裏作道以西)、字長住(東海道本線以南)
- ^ 『揖斐郡志』、揖斐郡教育会、1924年12月、292-295頁
- ^ 1889年からは岐阜市が管轄している。
- ^ 1888年8月6日付けで岐阜県に提出された「遊廓設置願」による。