三条季晴
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保18年10月22日(1733年11月28日) |
死没 | 天明元年11月28日(1782年1月11日) |
別名 | 号:後誠心院 |
墓所 | 右京区二尊院 |
官位 | 従一位、右大臣 |
主君 | 桜町天皇→桃園天皇→後桜町天皇→後桃園天皇 |
氏族 | 三条家 |
父母 | 父:三条実顕、母:三条公充の娘 |
兄弟 |
季晴、河鰭実祐、中山忠尹室 養兄弟:三条西延季 |
妻 | 正室:歌智 |
子 | 実起、武者小路実純、大炊御門家孝室 |
三条 季晴(さんじょう すえはる)は、江戸時代中期の公卿。右大臣・三条実顕の子。官位は従一位・右大臣。三条家26代当主。号は後誠心院。桜町天皇(115代)・桃園天皇(116代)・後桜町天皇(117代)・後桃園天皇(118代)の四朝にわたって仕えた。
経歴
[編集]享保20年(1735年)、叙爵。以降、三条家の当主として、寛延3年(1750年)、従三位に達し公卿に列する。権中納言・権大納言・踏歌節会外弁を経て、明和7年(1770年)に正二位内大臣。安永元年(1772年)には従一位となる。安永8年(1779年)には右大臣となるもすぐに辞職する。