三条公富
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 元和6年1月2日(1620年2月5日) |
死没 | 延宝5年6月12日(1677年7月11日) |
別名 | 号:唯心院 |
墓所 | 右京区二尊院 |
官位 | 従一位、右大臣 |
主君 | 後水尾天皇→明正天皇→後光明天皇→後西天皇→霊元天皇 |
氏族 | 三条家 |
父母 | 父:三条実秀、母:日野資勝[1]の娘 |
兄弟 | 公富、内藤義概継室 |
妻 | 勝(宗義成の娘) |
子 | 実治、法雲院、宗義真養女ら |
三条 公富(さんじょう きんとみ)は、江戸時代前期の公卿。左大臣・三条実秀の子。官位は従一位・右大臣。三条家21代当主。号は唯心院。主に明正天皇(109代)・後光明天皇(110代)・後西天皇(111代)・霊元天皇(112代)の四代に亘って仕えた。
経歴
[編集]寛永4年(1627年)、従五位上に叙爵してから清華家嫡男として速いスピードで昇進し、寛永14年(1637年)左近衛中将に叙されると共に元服。寛永16年(1639年)には従三位権中納言となり公卿に列した。権大納言・踏歌節会外弁・右近衛大将などを歴任。
明暦2年(1656年)、内大臣に叙せられ、万治元年(1658年)まで務めた。寛文4年(1664年)に右大臣に任ぜられるも翌年辞職。寛文12年(1672年)に従一位を授与された。