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三木市立三木市民病院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三木市立三木市民病院
情報
正式名称 三木市立三木市民病院
英語名称 Miki City Hospital
前身 三木町町立診療所
標榜診療科 内科、消化器内科、循環器内科、呼吸器内科、精神科、神経内科、外科、整形外科、形成外科、脳神経外科、心臓血管外科、婦人科、小児科、眼科、耳鼻いんこう科、皮膚科、泌尿器科、放射線科、リハビリテーション科、麻酔科
許可病床数 323床
一般病床:323床
機能評価 一般200床以上500床未満:Ver5.0
開設者 三木市
管理者 高橋洋(病院長)
地方公営企業法 一部適用
開設年月日 1955年11月1日
所在地
673-0402
位置 北緯34度48分10秒 東経134度59分4秒 / 北緯34.80278度 東経134.98444度 / 34.80278; 134.98444
二次医療圏 北播磨
特記事項 2013年9月30日を以て閉院
PJ 医療機関
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三木市立三木市民病院(みきしりつみきしみんびょういん)は、兵庫県三木市にあった市立の病院。(2013年9月30日廃院)救急告示病院、医師の卒後臨床研修指定病院でもあった。

沿革

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駐車場
閉院のお知らせを知らせる貼り紙

1955年に保険行政対策の一環として内科・外科・産婦人科・小児科・歯科を設置して開院した。

  • 1949年(昭和24年) - 三木町町立診療所開設。
  • 1955年(昭和30年)11月1日 - 三木市立三木市民病院として改組。外科、産婦人科、歯科、小児科、内科の全5科、一般病床20床。
  • 1958年(昭和33年)10月31日 - 一般病棟と結核病棟を増設(一般病床71床、結核病床29床)。
  • 1960年(昭和35年)11月1日 - 簡易人間ドックを開始する。
  • 1963年(昭和38年)7月5日 - 伝染病棟が完成(21床)。
  • 1966年(昭和41年)4月1日 - 眼科を開設し、全6科となる。
  • 1975年(昭和50年)6月10日 - 全面改築工事が完成(現:西館。一般病床149床、伝染病床21床)
  • 1978年(昭和53年)10月1日 - 整形外科と皮膚科が開設され全8科となる。
  • 1978年(昭和53年)12月28日 - 2階を管理部門、5階を病棟に改造(一般病床163床、伝染病床21床)。
  • 1979年(昭和54年)4月1日 - 循環器科と放射線科を開設し、全10科となる。
  • 1979年(昭和54年)7月1日 - コンピュータによる医療情報処理を開始。
  • 1980年(昭和55年)4月15日 - 県が三木市民病院を救急病院として承認。
  • 1980年(昭和55年)7月1日 - 泌尿器科を開設し、全11科となる。
  • 1981年(昭和56年)6月1日 - 消化器科を開設し、全12科となる。
  • 1981年(昭和56年)10月20日 - 伝染病棟の一部を廃止されて10床になる。
  • 1983年(昭和58年)7月1日 - 心臓血管外科、呼吸器科、耳鼻咽喉科、理学診療科を開設し、歯科を休診。全15科となる。
  • 1983年(昭和58年)7月7日 - 増改築工事が完成(現在の東館)。またICUを新設。
  • 1984年(昭和59年)1月1日 - 兵庫県が三木市民病院を総合病院として承認。
  • 1984年(昭和59年)3月25日 - 増築工事が完成(西館・受付・薬局の改造。一般病床320床、伝染病床10床)。
  • 2008年(平成20年)11月5日 - 小野市立小野市民病院との統合に合意。
  • 2013年(平成25年)10月1日北播磨総合医療センター開業に伴い廃院。
  • 2013年(平成25年)11月 - 建物の解体始まる。

小野市民病院との統合について

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2008年11月5日、三木市長、小野市長が共同会見をして北播磨総合医療センターの建設を発表した。

診療科目

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周辺の道路

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最寄駅、バス停

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外部リンク

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