ローザ・オトゥンバエヴァ
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ローザ・オトゥンバエヴァ Роза Отунбаева | |
ローザ・オトゥンバエヴァ(2011年3月)
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任期 | 2010年4月7日 – 2011年12月1日 2010年7月3日まで暫定 |
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首相 | アルマズベク・アタンバエフ オムルベク・ババノフ(代行) アルマズベク・アタンバエフ |
任期 | 1992年2月26日 – 10月10日 |
任期 | 1994年 – 1997年 |
元首 | アスカル・アカエフ |
任期 | 2005年 – 2005年 |
元首 | クルマンベク・バキエフ |
出生 | 1950年8月23日(74歳) ソビエト連邦 キルギス・ソビエト社会主義共和国、フルンゼ |
政党 | キルギス社会民主党 |
ローザ・イサコヴナ・オトゥンバエヴァ(キルギス語: Роза Исаковна Отунбаева、英語: Roza Otunbayeva、1950年8月23日 - )は、キルギスの政治家、外交官。同国大統領を務めた。ジョゴルク・ケネシ(国会)代議員。「統合国民運動」政治局員。ソビエト連邦時代、独立後を通じて外相、各国大使を務めた。報道ではオツンバエワ、オトゥンバエワとも表記される。
経歴
[編集]ソ連時代
[編集]- 1972年 - ロモノソフ名称モスクワ国立大学哲学部を優等で卒業
- 1975年 - ロモノソフ名称モスクワ国立大学大学院を卒業
- 1975年-1981年 - キルギス国立大学の講師、先任講師、哲学講座主任
- 1981年-1983年 - ソ連共産党フルンゼ市レーニンスキー地区第二書記
- 1983年-1986年 - 党フルンゼ市委員会第二書記
- 1986年-1989年 - キルギス・ソビエト社会主義共和国閣僚会議副議長、外務相
- 1989年-1991年 - ソ連ユネスコ問題委員会責任書記、議長、ソ連外務省参事
キルギス共和国時代
[編集]- 1992年 - 副首相、外相
- 1992年-1994年 - 駐米加非常全権大使
- 1994年-1997年 - 外相
- 1997年 - 駐英・北アイルランド非常全権大使
- 2002年5月~ - 駐グルジア国連事務総長副特別代表
- 2004年12月9日 - 「アタ・ジュルト」(祖国)運動共同議長[注釈 1]
2005年3月~9月、外相代行。同年9月27日、フェリックス・クロフ政権の外相に推薦されたが、ジョゴルク・ケネシにより拒否された。10月12日から憲法評議会議員。
2006年1月から「アサバ」(愛国)党共同議長。2008年1月、キルギス社会民主党からジョゴルク・ケネシ代議員に当選。2008年12月24日、「統合国民運動」政治局員。
2010年4月、野党勢力による反政府デモ(2010年キルギス騒乱)が発生しクルマンベク・バキエフ政権が崩壊、オトゥンバエヴァは自らを代表とする暫定政府の発足を宣言した[1]。同年5月19日、「暫定キルギス共和国大統領」[注釈 2]に就任。7月14日、暫定政府に代わる「技術政府」を発足。
2011年12月1日をもって大統領を退任。退任後は自身の名を冠した国際公共財団を2012年1月に設立[2] し、同財団を中心に活動している。
2022年9月より国連アフガニスタン支援団(UNAMA)トップを務めている[3]。
ギャラリー
[編集]-
米国のヒラリー・クリントン国務長官と(2011年3月8日)
-
インドのA・K・アントニー国防相と(2011年7月5日)
-
米国のウェンディ・ルース・シャーマン国務副長官と(2022年12月15日)
人物
[編集]- 既婚、1男1女を有する。[要追加記述]
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ Kyrgyzstan: The Bittersweet Fruits Of The Revolution 2008年3月23日 Radio Free Europe - Radio Liberty
- ^ “МОФ "Инициатива Розы Отунбаевой" »...”. roza.kg. 2019年8月31日閲覧。
- ^ “Leadership UNAMA"”. unama.unmissions.org. 2024年8月26日閲覧。
外部リンク
[編集]- ローザ・オトゥンバエヴァ国際公共財団(МОФ Инициатива Розы Отунбаевой)
公職 | ||
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先代 クルマンベク・バキエフ |
キルギス共和国大統領 2010年4月7日~7月3日は暫定 2010年 - 2011年 |
次代 アルマズベク・アタンバエフ |
先代 (創設) エドナン・カラバエフ アスカル・アイトマトフ |
キルギス共和国外務大臣 初代:1992年 第3代:1994年 - 1997年 (代行)2005年 |
次代 エドナン・カラバエフ ムラトベク・イマナリエフ アリクベク・ジェクシェンクロフ |