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ルイージ・クレモナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ルイージ・クレモナ

Luigi Cremona

誕生 (1830-12-07)1830年12月7日

オーストリア帝国ロンバルド=ヴェネト王国ロンバルディア州パヴィア
死没 1903年6月10日(72歳没)

国籍 イタリア
母校 パヴィア大学
科学
功績 代数曲線
分野 数学
研究機関 ローマ大学
博士課程指導教員 フランチェスコ・ブリオスキ
博士課程指導学生 ジュゼッペ・ヴェロネーゼ英語版

アントニオ・ルイージ[注釈 1]・ガウデンツィオ・ジュゼッペ・クレモナ: Antonio Luigi Gaudenzio Giuseppe Cremona1830年12月7日1903年6月10日)は、イタリア数学者幾何学の研究に専念し、イタリアの高等数学教育を改革した。 主に代数曲線代数曲面を研究し、論文 Introduzione ad una teoria geometrica delle curve piane ("平面曲線の幾何学理論の導入")を書いた。イタリア代数幾何学派英語版イタリア語版の設立者でもある[2]

経歴

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ロンバルディア州パヴィーアに生まれた。弟に画家のトランクイッロ・クレモナがいる[3]

1848年、ミラノヴェネツィアオーストリアに対抗し、17歳のクレモナも義勇兵として参加した。 国の自由のため1849年まで戦争に残った。この戦争はヴェネツィアの降伏で終結した[2]

パヴィアに帰還して、クレモナは大学でフランチェスコ・ブリオスキのもとに学び、数学教師としてのキャリアを歩むことを決めた。1853年に「土木工学および建築学」の学位を得て卒業した。

クレモナは、イタリアに重要な幾何学の進歩を引き起こしたことで認識される。19世紀初頭、数学界におけるイタリアの立場は極めて小さかったが、19世紀末においては主にクレモナの功績で幾何学の最先端を走ることができた。彼はイタリアの中等教育改革に大きな影響力を持ち、数学教育学及び知識の進歩に関する問題における、指導者的な立ち位置を取った。19世紀中期の後のイタリアの数学の進歩は、クレモナとブリオスキ、ベルトラミの主導のもとで行われた[4]

クレモナの最初の仕事は都市クレモナリチェオ(高等学校)イタリア語版英語版ジンナジオ(後期中等学校)の初等数学の教師だった。後にミラノでも同様の職に就いた。1860年にボローニャ大学の高等幾何学教授、1866年にミラノ・カレッジの高等幾何学・図解力学教授に任命された。同年ベルリンアカデミーより論文 Memoria sulle superfici del terzo ordineシュタイナー賞スツルムと競合した。2年後には、競合相手無しで授与された[2]

1856年前期、クレモナは雑誌 Annali di scienze matematiche e fisicheAnnali di matematica に寄稿を始めた。後者はクレモナも編集を務めた。彼の論文はイタリアの他フランス、ドイツ、イングランドの雑誌やその他の重要な雑誌で翻訳されたものを見ることができる。 例えば彼の手書きの Graphical StaticsElements of Projective Geometryトマス・ハドソン・ビーア英語版とC. Leudesdorfが各々翻訳)はオックスフォード大学出版局より英語で出版されている。

1873年、クレモナは工学の王立大学の調整のためにローマに呼ばれ、ローマ大学の高等数学教授に抜擢された[5]。クレモナの評判はヨーロッパ中に広まり、1879年には王立協会準会員に選出された。同年イタリア王国元老院議員になった。1898年には短期間教育大臣英語版を務めた[6]。王立スウェーデン科学アカデミーは1901年にクレモナを会員に選んだ。翌年、クレモナにドイツの科学・芸術のプール・ル・メリット勲章が送られた。

1903年、クレモナはローマで没した[7]

作品

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脚注

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脚注

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  1. ^ ルイジ とも[1]

出典

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  1. ^ 蟹江 2020; カジョリ 1974.
  2. ^ a b c Guerraggio, Angelo; Nastasi, Pietro (2005). Italian mathematics between the two World Wars. Science Networks. Historical Studies. 29. Birkhäuser Verlag. p. 9. ISBN 978-3-7643-6555-4. MR2188015. https://books.google.com/books?isbn=9783764365554 
  3. ^ Brigaglia, Aldo; Di Sieno, Simonetta (February 2011). “The Luigi Cremona Archive of the Mazzini Institute of Genoa”. Historia Mathematica 38 (1): 96–110. doi:10.1016/j.hm.2010.03.006. 
  4. ^ George Abram Miller, Historical Introduction to Mathematical Literature The Macmillan Company, 1916
  5. ^ La storia dell'Istituto Matematico Guido Castelnuovo”. Dipartimento di Matematica, Sapienza Università di Roma. 26 November 2016閲覧。
  6. ^ Scheda Senatore CREMONA Luigi”. Senato di Republicca. 2024年2月4日閲覧。
  7. ^ Smith, David Eugene (1959). A Source Book in Mathematics. 2. New York: Dover Publications. pp. 477 
  8. ^ White, Henry S. (1918). “Cremona's Works”. Bull. Amer. Math. Soc. 24 (5): 238–243. doi:10.1090/S0002-9904-1918-03054-1. http://projecteuclid.org/euclid.bams/1183424424. 

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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