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リッキー・デイビス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
リッキー・デイビス
Ricky Davis
現役時代 (マイアミ・ヒート) のデイビス
引退
ポジション SG/SF
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1979-09-23) 1979年9月23日(45歳)
出身地 ネバダ州ラスベガス
身長(現役時) 201cm (6 ft 7 in)
体重(現役時) 88kg (194 lb)
キャリア情報
出身 アイオワ大学
ドラフト 1998年 全体21位
選手経歴
1998-2000
2000-2001
2001-2003
2003-2006
2006-2007
2007-2008
2008-2010
2010
2010
2011
2011-2012
2012-2013
2013-2014
ニューオリンズ・ホーネッツ
マイアミ・ヒート
クリーブランド・キャバリアーズ
ボストン・セルティックス
ミネソタ・ティンバーウルブズ
マイアミ・ヒート
ロサンゼルス・クリッパーズ
トルコの旗 トゥルク・テレコム
中華人民共和国の旗 江蘇ドラゴンズ
フランスの旗 コラール・ロアンヌ・バスケット
メイン・レッドクローズ (Dリーグ)
)プエルトリコの旗 Piratas de Quebradillas
エリー・ベイホークス(Dリーグ)
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten

リッキー・デイビスRicky Davis, フルネーム Tyree Ricardo Davis, 1979年9月23日 - )は、アメリカ合衆国ネバダ州ラスベガス出身の元バスケットボール選手。身長201cm、体重88kg。ポジションはシューティングガードスモールフォワード

経歴

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アイオワ大学在学中に、NBAドラフトにアーリーエントリーすることを宣言。1998年のNBAドラフトで全体21位でシャーロット・ホーネッツ(現ニューオーリンズ・ペリカンズ)に指名された。

デビュー後2年間ホーネッツでプレーするが、50試合前後の出場にとどまり、伸び悩む。3年目にマイアミ・ヒートに移籍するも、怪我のためにほぼ全休となった。

01-02シーズン開幕前にヒートはクリーブランド・キャバリアーズトロント・ラプターズを交えた三角トレードを実行し、デイビスをキャブスに放出する。ベンチ出場ながらローテーションに食い込み、キャリア初の全試合出場と、1試合平均2桁得点の成績を残す。02-03シーズンはチームのエースとしてプレーした。チームは下位に止まったが、デイビスは初の平均20点オーバーの成績を残した。しかし、翌シーズンのドラフトで、キャブスはレブロン・ジェームズを1位指名。レブロン中心のチーム作りのため、デイビスはボストン・セルティックスへ放出された。

セルティックスではポール・ピアースらの控えとしてプレー。シックスマンとして毎試合30分以上出場するなど、チームに欠かせない存在となっていた。セルティックスでの3シーズン目となる05-06シーズン、デイビスは先発に昇格するが、チームは低迷。シーズン途中のトレードでミネソタ・ティンバーウルブズに移籍した。

ウルブズでも先発の座を確保し、ケビン・ガーネットらと共にプレーするも、チームは2年連続でプレーオフ出場を逃してしまった。

07-08シーズン開幕前に緊急獲得でマイアミ・ヒートに移籍。

08-09シーズン、ロサンゼルス・クリッパーズと契約。2シーズンプレーした。

2010年以降はNBAのチームと契約することが出来ず、Dリーグや海外リーグでプレー。2014年以降は引退状態となっている。

トリプル・ダブル達成事件

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キャブスのエースとしてプレーしていた02-03シーズンの本拠地でのユタ・ジャズ戦で、デイビスはキャリア初のトリプル・ダブルまであと1リバウンドと迫っていた。このとき、デイビスは前代未聞の暴挙に出る。タイムアウトが明け味方からインバウンズ・パスを受け取ると、攻め込むべき相手陣地へ向かわず自軍のゴールに向かってドリブルして行き、そのまま自軍ゴールにレイアップシュート、わざとリングの下にボールをあて自らリバウンドをキャッチしたのである。この行動に相手チームだったジャズのジェリー・スローンヘッドコーチは激怒し、すぐさまデショーン・スティーブンソンにファールを指示、デイビスは思いきり体当たりを喰らった。当然ながらアリーナのファンも大ブーイング。トリプル・ダブルの記録は間もなく取り消され、アメリカのメディアもデイビスに対し容赦なく批判をぶつけた。[1]

この事件がきっかけでデイビスのイメージは「自分勝手な男」として固まったが、セルティックス移籍後は一変し、ポール・ピアースゲイリー・ペイトンらのフォローを淡々とこなした。

本人もこのことに関しては反省しており、「あの時自分は若かった」と述べている。

脚注

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外部リンク

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