メナイ吊橋
メナイ吊橋 Menai Suspension Bridge Pont Grog y Borth | |
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メナイ吊橋(2013年9月) | |
座標 | 北緯53度13分13秒 西経4度9分48秒 / 北緯53.22028度 西経4.16333度 |
OSグリッド照合 | |
通行対象 |
A5 (ロンドン-ホリーヘッド) |
交差 | メナイ海峡 |
所在地 |
ウェールズ(北ウェールズ)アングルシー メナイ・ブリッジ |
別称 |
メナイ橋[1] Menai Bridge Pont y Borth |
特性 | |
形式 | 吊橋 |
資材 |
錬鉄(後に鋼) 石材(石灰岩[2]切石[3]) |
全長 | 521 m (1,709 ft)[4][5] |
幅 | 12 m (39 ft) |
高さ |
30.5 m (100 ft)[4] 塔総高 46.6 m (153 ft)[5] |
最大支間長 | 176.4 m (579 ft) |
支間数 |
中央支間: 1(単支間) アーチ: 7径間(3・4径間[4][6]) |
橋脚数 | 5脚 |
設計寿命 |
1893年: 木製の床版を鋼製に置換 1938-1941年: 錬鉄製の鎖(チェーン)を鋼製に交換 |
歴史 | |
設計者 | トーマス・テルフォード |
建設開始 | 1819年8月10日 |
開通 | 1826年1月30日: 198 年前 |
脚注 | |
指定建築物 – 等級 I | |
登録日 | 1949年5月27日 |
登録コード | 18572[7][8] |
メナイ吊橋(メナイつりばし、英語: Menai Suspension Bridge、ウェールズ語: Pont Grog y Borth)は、北ウェールズのアングルシー島とウェールズの本土(グレートブリテン島)のグウィネズ間の道路交通を結ぶためにメナイ海峡に架かけられた吊橋である。橋はトーマス・テルフォードにより設計され、1826年に完成したもので、イギリス指定建造物1級 (Grade I) に指定されている[8]。完成から1834年までは世界最長の吊橋であった[2]。
背景
[編集]メナイ海峡は、メナイ海峡断層系に関連する脆弱な線上沿いに[9]、氷食により形成されものである。一連の更新世の氷期(約258万年前から1万1700年前まで)の間に、連続した氷床がアングルシー島とそれに隣り合うアルフォンを横切って北東から南西に移動し、下にある岩を研磨して、連なる線状基盤岩の谷間を形成した。これらの流路の最深部は、氷床が後退してメナイ海峡を形造ると最終的に海水に水没した[3]。メナイ (Menai) という名称は、ウェールズ語の main-aw または main-wy に由来し、「狭い水域」(英: ‘narrow water’)を意味する[10]。
アングルシーは、記録にあるヒトの歴史において島であり、そこに到達する唯一の方法は海峡の横断であった。しかし、それは常に危険な試みであり、なぜなら2方向に満ち引きする一日4度の潮汐が、小船が沈没するほどの激しい潮流や渦流を引き起こすことによる。そんな危険をよそに、渡し船(英: ferries)がメナイ海峡に絶え間なく運航され、島と本土を結び乗客や物品を運搬した。1785年、55人を乗せた船(英: boat)がメナイ海峡の南端で大強風のなか座礁して沈没し始め、カーナーヴォンからの救助艇が大破して沈む船にたどり着く前に、生き延びたのは1人だけであった[11]。同じように、アングルシーの主な収入源はウシの販売であり、ロンドンなど本土の市場への移動には、ウシを水に追いやって海峡を泳ぎ渡るように仕向ける必要があり、貴重な家畜を失うような事態もしばしば起こった[12][13]。干潮時には水深 17インチ (0.4 m) となるような砂州もあったが、歩いて渡るのはやはり非常に困難であった[11]。
1800年、アイルランドは連合法の可決によりグレートブリテンに併合されることになった。これによりアイルランド島のダブリンに向かう途上、ロンドンとアングルシー島のホリーヘッドの間を移動する渡航者が急速に増加した[14]。しかし橋が架かるまで、アングルシー島にはウェールズ本土との接続が確立しておらず、メナイ海峡の危険な水域を渡し船で横断することを余儀なくされていた[15]。1815年、連合王国議会は土木技師のトーマス・テルフォードに与えた事業の責任において[16]、ホリーヘッド・ロード (A5) 建設の法令を制定した。克服することが困難ないくつかの地理的障害があるにもかかわらず、アイルランドへの最短(約100km[17])地点であるホリーヘッドがダブリンに渡るフェリーの主要港であったことから、この経路が選択された。テルフォードはロンドンからホリーヘッドまでの経路の調査を完了した後、メナイ海峡における本土のバンガー付近からアングルシー島の Porthaethwy(今日のメナイ・ブリッジ)の村に向けて橋を架けることが最善の選択であると提案した[12]。
架橋の場所は、下を通過する帆船(トールシップ)の航行を可能とする十分な高さのある高い土手があったことから選定された。テルフォードは、この地点が海峡の流れの速い水域を渡すには十分な径間となることから、吊橋が最良の選択であると提言した。1818年[18]、テルフォードの提案は議会により承認された[12]。
建設
[編集]テルフォードの設計による橋の建設は、1819年8月10日より[16]、海峡の両側の石積みのアーチと塔から開始され、この工事に6年を要した[19]。これらはペンモンの石灰岩により構築され、内部は隔壁を備えた空洞であった[20]。
次いで、支間長 176.4メートル (579 ft) を支持するため[21]、それぞれ長さ 2.9メートル (9.5 ft) の錬鉄の棒材(アイバー)[4][22]935本でできた16本の膨大な鎖(チェーン)ケーブルに取り掛かった[23]。製造から使用までの間に錆びるのを避けるため、鉄は亜麻仁油に浸され[4]、後に塗装された[24]。鎖(チェーン)はそれぞれ 522.3メートル (1,714 ft) を測り、重量は 121ロングトン (123 t; 136ショートトン) であった。それらの吊る強さは 2,016ロングトン (2,048 t; 2,258ショートトン) と計算された[12]。鉄材は合計2187トンが使用された[4]。
1825年4月26日に最初の鎖ケーブルが架けられた[4][20]。総員150人により[20]、長さ 140メートル (460 ft) 余り、幅 1.8メートル (5.9 ft) のいかだから、ウインチ2台でケーブルを引き上げて固定するという大作業が成功した際、テルフォードはひざまずき神に感謝の祈りを捧げたといわれる[25]。その後7月25日にはすべて引き上げられ[4]、橋は1826年1月30日[4][16]、大ファンファーレのうちに開通し[12]、最初にロンドンからホリーヘッドに向かう郵便馬車が渡った[5]。
開通以降
[編集]車道の幅はわずか 24フィート (7.3 m) であり、間もなくトラスで補強しなければ、風に揺れて非常に不安定であることが分かった[13]。1840年に、メナイ橋の橋床が W・A・プロビス (W. A. Provis) により補強され、1893年には木製の表層部(床版[13])全体がベンジャミン・ベイカーにより設計された鋼製の橋床に置き換えられた[26]。また、長年にわたる4.5トンの重量制限は、増加する運輸産業に対して問題があるとされると、1938年から1941年に[4][5]、もとの錬鉄製のチェーンが、橋を閉じることなく鋼製のチェーンに交換された。1999年には、橋は橋床の強化と[16] 道路の再舗装のために約1か月閉鎖され、その間すべての行き来は隣のブリタニア橋を経由することを必要とした。
2005年2月28日、橋は世界遺産の候補としてユネスコに奨励された。同じ日に橋の1車線が6か月閉鎖され、交通は1つの片側車線に絞られて、午前中は本土へ、午後はアングルシー島への往還通行がなされた。橋は1940年以来65年ぶりの大規模な再塗装の後[16][27]、2005年12月11日、双方向の通行が再開されるようになった[28]。
文化
[編集]アングルジー島の沿岸を巡るアングルジー・コースタル・パスは橋の下を通過する。最寄りの居住地はメナイ・ブリッジの町である[15]。
メナイ吊橋の橋脚の欄干から支柱の間にかけての表象が、2005年鋳造のイギリスの1ポンド硬貨の裏に描かれた[29]。硬貨はイギリス人デザイナーで彫版工(エングレーバー)のエドウィナ・エリス (Edwina Ellis) によりデザインされた[30]。
「メナイ・ブリッジ」はチャールズ3世のコードネームであり、チャールズが亡くなった際には、公式葬儀計画として「オペレーション・メナイ・ブリッジ」(Operation Menai Bridge) が発動される[31][32]。
引用
[編集]白の騎士からアリスへ:(白の騎士の歌)
"I heard him then, for I had just
Completed my design
To keep the Menai bridge from rust
By boiling it in wine."
「それは聞こえた、たったいま
工夫をおえたばかりゆえ
メナイ橋をばぶどう酒で
煮てさびるのを防ぐ法(て)を。」[33]
ウェールズの「エングリン(詩)」
[編集]Uchelgaer uwch y weilgi – gyr y byd
Ei gerbydau drosti,
Chwithau, holl longau y lli,
Ewch o dan ei chadwyni.—Dewi Wyn o Eifion[34]
High fortress above the sea – the world drives
Its carriages across it;
And you, all you ships of the sea,
Pass beneath its chains.
(高い砦は海を越え – 世界を駆ける
その馬車がそこを渡り、
そしてあなた、あなたと海の船はみな
その鎖の真下を過ぎる。)—デイヴィッド・オーウェン (David Owen, 1784–1841)
脚注
[編集]- ^ “メナイ橋”. コトバンク. 2021年5月15日閲覧。
- ^ a b デュプレ、46頁
- ^ a b Dr Amanda Young. “The Menai Strait - A Proposed Marine Nature Reserve”. British Marine Life Study Society. glaucus.org.uk. 2021年5月14日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j ガボル・メドベド 著、成瀬輝男 訳『世界の橋物語』山海堂、1999年(原著1987年)、47頁。ISBN 4-381-01211-9。
- ^ a b c d Brown (2001)、59頁
- ^ NHKテクノパワー・プロジェクト (1993)、144頁
- ^ “18572: Menai Suspension Bridge”. Full Report for Listed Buildings. Cadw. 2021年11月14日閲覧。
- ^ a b “Menai Suspension Bridge”. British Listed Buildings. 2021年5月14日閲覧。
- ^ Gibbons, Wes (1987-08-01). “Menai Strait faults system: An early Caledonian terrane boundary in north Wales”. Giology (The Giological Society of America) 15 (8): 744-747 2021年5月14日閲覧。.
- ^ Morgan, Thomas (1887). Handbook of the origin of place-names in Wales and Monmouthshire. H.V. Southey, "Express" Office. p. 17 2021年5月16日閲覧。
- ^ a b “Crossing the Menai Strait”. Casgliad y Werin Cymru. peoplescollection.wales. 2021年5月14日閲覧。
- ^ a b c d e Bartlett, W. H.; Harding, J. D.; Creswick, T. (2009). The Ports Harbours Watering Places (Reprint ed.). BiblioLife. ISBN 978-1-115-95868-4
- ^ a b c マーカス・ビニー 著、黒輪篤嗣 訳『巨大建築の美と技術の粋 世界の橋』河出書房新社、2017年、108頁。ISBN 978-4-309-27838-4。
- ^ “Menai Suspension Bridge: Completed 1826 — A Brief History”. Menai Heritage. 2021年5月15日閲覧。
- ^ a b “(7) Suspension Bridge” (PDF). Weatherman Walking: Menai Bridge. BBC (2015年). 2021年5月15日閲覧。
- ^ a b c d e “Menai Bridge Timeline”. Menai Heritage. 2021年5月15日閲覧。
- ^ NHKテクノパワー・プロジェクト (1993)、148頁
- ^ NHKテクノパワー・プロジェクト (1993)、149頁
- ^ NHKテクノパワー・プロジェクト (1993)、144-145頁
- ^ a b c Brown (2001)、58頁
- ^ Brown (2001)、84頁
- ^ Brown (2001)、58-59頁
- ^ Drewry, Charles Stewart (1832). A Memoir of Suspension Bridges: Comprising The History of Their Origin And Progress. London: Longman, Rees, Orme, Brown, Green & Longman. pp. 46–66[1]
- ^ Kovach, Warren (2010年). “Menai Strait Bridges”. Anglesey History. 2021年5月15日閲覧。
- ^ NHKテクノパワー・プロジェクト (1993)、145-146頁
- ^ “Menai Suspension Bridge”. ASCE. American Society of Civil Engineers. 2021年5月15日閲覧。
- ^ デュプレ、47頁
- ^ “Bridge repainting nearly finished”. BBC News (BBC). (2005年12月8日) 2021年5月15日閲覧。
- ^ “UK 2005 Menai Bridge Circulation £1”. The Westminster Collection. 2021年5月15日閲覧。
- ^ “2005 One Pound”. Check Your Change. 2021年5月15日閲覧。
- ^ “The Royal Family secret code words revealed - what they are and why they use them...”. woman&home. 2021年5月16日閲覧。
- ^ “ロイヤルファミリーが亡くなった時に使われる秘密の「コードネーム」”. Harper's BAZAAR. ハースト婦人画報社. 2021年5月16日閲覧。
- ^ ルイス・キャロル 著、多田幸蔵 訳『鏡の国のアリス』グーテンベルク21、2012年12月19日(原著1871年)。ASIN B00AQRYOVS 。2021年5月16日閲覧。
- ^ “Llwybr y Llewod 8-13” (ウェールズ語). BBC Lleol. BBC. 2021年5月16日閲覧。
参考文献
[編集]- NHKテクノパワー・プロジェクト『巨大建設の世界②長大橋への挑戦』日本放送出版協会(NHK出版)〈NHKスペシャル「テクノパワー」〉、1993年。ISBN 4-14-080110-7。
- Brown, David J. 著、加藤久人、綿引透 訳『世界の橋 - 3000年にわたる自然への挑戦』丸善、2001年(原著1993年)。ISBN 4-621-04853-8。
- ジュディス・デュプレ 著、牧尾晴喜 訳『世界の橋の秘密ヒストリア』エクスナレッジ、2020年(原著2017年)。ISBN 978-4-7678-2496-3。
関連文献
[編集]- Norrie, Charles Matthew (1956). Bridging the Years: a short history of British Civil Engineering. Edward Arnold (Publishers) Ltd
- Richards, Robin (2004). Two Bridges over Menai (new revised ed.). Llanrwst: Gwasg Carreg Gwalch. ISBN 1845241304
- Jones, Reg Chambers (2011). Crossing the Menai: an illustrated history of the ferries and bridges of the Menai Strait. Wrexham: Bridge Books. ISBN 9781844940745
- Daimond, Bob (2019). Menai Suspension Bridge: The First 200 Years. Menai Heritage. ISBN 978-0-9932351-3-9 11 September 2020閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- “橋の歴史物語 第3章 産業革命が生んだ鉄の橋: ケーブルを使わない吊り橋「メナイ橋」”, 建設博物誌 (鹿島建設), (2001)
- Menai Bridge: The Town of Menai Bridge, Menai Bridge Partnership, (2010)
- Menai Heritage, Menai Bridge Community Heritage Trust
- Menai Strait Bridge - Structurae