ミスター・モト
ミスター・モト | |
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1951年 | |
プロフィール | |
リングネーム |
ミスター・モト 不知火 ヤング・シラヌイ チャーリー・シラヌイ |
本名 | チャールズ・マサル・イワモト[1] |
ニックネーム | 日系の不知火 |
身長 | 183cm |
体重 | 104kg(全盛時) |
誕生日 | 1915年8月11日 |
死亡日 | 1991年7月6日(75歳没) |
出身地 |
アメリカ合衆国 ハワイ州 ホノルル郡ホノルル |
スポーツ歴 | 相撲 |
デビュー | 1939年[2] |
ミスター・モト(Mr. Moto、本名:Masaru "Charlie" Iwamoto[3]、1915年8月11日 - 1991年7月6日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ハワイ州生まれの日系アメリカ人[4]。現役時代の公称は1920年生まれとしていた[1]。
来歴
[編集]熊本生まれの父と沖縄生まれハワイ育ちの母のもとに生まれる[1]。コーヒー園で働く一方、当時日系社会で盛り上がっていた相撲にも少年期から取り組み、ハワイ相撲の横綱 "不知火"としての競技生活も並行して送る[2]。1939年11月28日、プロモーターからの要請を受けて、ヤング・シラヌイ(Young Shiranuhi)のリングネームでプロレス界にデビュー[2]。チャーリー・シラヌイ(Charley Shiranuhi)とも名乗り、1940年代はハワイを主戦場に活動した[3]。
1950年よりミスター・モトのリングネームでアメリカ本土に本格的に進出[3]。このリングネームは本名の「岩本」に加え、日本人探偵を主人公にした1930年代の小説『Mr. Moto』(ジョン・マーカインド著)から拝借[5]。当初は小説内の衣装である黒ジャケットと蝶ネクタイ、丸メガネにシルクハットというコスチュームでの登場も考慮されたが、伝統的なオリエンタル・スタイルである「田吾作タイツと下駄」という出で立ちで試合をした[5]。
1952年2月26日にはテキサス州ダラスにおいて、デューク・ケオムカと組んでNWAテキサス・タッグ王座を獲得[6]。1954年7月19日にはノースカロライナ州シャーロットにおいて、キンジ渋谷と組んでNWA南部タッグ王座を奪取[7]するなど、日系レスラーの後輩をパートナーに各地で活躍。シングルでも、日系移民の多いロサンゼルスにおいて、サンダー・ザボーやウイルバー・スナイダーを相手にインターナショナルTV王座を争った[8]。
1950年代後半より太平洋岸を中心に活動。1961年3月20日にはカナダのバンクーバーにおいて、ミツ荒川とのコンビでNWA太平洋岸タッグ王座を獲得[9]。主戦場としたロサンゼルスのWWAでは、1963年12月10日に大木金太郎と組んでベアキャット・ライト&レッド・バスチェンからUSタッグ王座を奪取[10]。1964年10月27日にはフレッド・ブラッシーをパートナーに、ザ・デストロイヤー&ハードボイルド・ハガティを破ってWWA世界タッグ王座を獲得した[11]。
日本マットには1964年4月、日本プロレスの『第6回ワールド・リーグ戦』に初参戦[12]。日本陣営の選手としてリーグ戦に出場する一方、同時来日したジン・キニスキー、カリプス・ハリケーン、ブル・カリー、チーフ・ホワイト・ウルフ、ザ・マミーなどの外国人レスラー全員のブッキングも担当した[13]。以降、日本プロレスには1966年9月にかけて、通算5回来日している[4]。
引退後はWWAおよび後継団体NWAハリウッド・レスリングのブッカーとなり、日本プロレスから絶縁されたグレート東郷に代わる外国人招聘窓口として、力道山亡き後の日本プロレスを解散までバックアップした。またアントニオ猪木や坂口征二をはじめ、海外武者修行に出た日本プロレスのレスラーはモトの居住するロサンゼルスを拠点に、モトの采配によって各テリトリーにブッキングされていくなど、さながら「日本プロレスのアメリカ支局長」であったとされる[1]。
1991年7月6日、ロサンゼルス市内のグレイル・セントラル病院において、心臓弁膜症のため75歳で死去[1]。
得意技
[編集]- ジュードー・チョップ
- フィニッシャー。開いた掌を相手の喉元に叩きつける。フォームとしては掌底打ちに近い。
- 反則攻撃
- 髪の毛を掴んで引き倒す、チョーク(喉絞め)、金的蹴り、サミングなど、姑息な反則行為で日系小悪党ギミックを際立たせた。
- キーロック
- オリエンタル・クロー
獲得タイトル
[編集]- NWA南部タッグ王座(ミッドアトランティック版):4回(w / キンジ渋谷×2、デューク・ケオムカ×2)[7]
- NWAインターナショナルTV王座:3回[8]
- NWA世界タッグ王座(ミッドアメリカ版):3回(w / Tor Yamato)[16]
- NWAハワイ・タッグ王座:1回(w / Nikita Mulkovich)[17]
- インターナショナルTVタッグ王座:3回(w / Hans Hermann、Henry Lenz、フレッド・ブラッシー)[18]
- WWA USタッグ王座:2回(w / ベアキャット・ライト、大木金太郎)[10]
- WWA世界タッグ王座:1回(w / フレッド・ブラッシー)[11]
参考文献
[編集]- 『Gスピリッツ Vol.57』辰巳出版、2020年。ISBN 4777826600。
脚注
[編集]- ^ a b c d e 『Gスピリッツ Vol.57』、P49。
- ^ a b c 『Gスピリッツ Vol.57』、P50。
- ^ a b c “Mr. Moto”. Wrestlingdata.com. 2022年2月8日閲覧。
- ^ a b “ミスター・モト Mr. Moto”. ミック博士の昭和プロレス研究室. 2020年9月28日閲覧。
- ^ a b 『Gスピリッツ Vol.57』、P51。
- ^ a b “NWA Texas Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2022年2月8日閲覧。
- ^ a b “NWA Southern Tag Team Title [The Carolinas & Virginia]”. Wrestling-Titles.com. 2022年2月8日閲覧。
- ^ a b “International Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2022年2月8日閲覧。
- ^ a b “NWA Pacific Coast Tag Team Title [Vancouver]”. Wrestling-Titles.com. 2022年2月8日閲覧。
- ^ a b “WWA United States Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2022年2月8日閲覧。
- ^ a b “WWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2022年2月8日閲覧。
- ^ “JWA 1964 The 6th Annual World League & World Selection Match Series”. Puroresu.com. 2022年2月8日閲覧。
- ^ 『Gスピリッツ Vol.57』、P55。
- ^ “NWA Texas Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2022年2月8日閲覧。
- ^ “NWA World Tag Team Title [E. Texas]”. Wrestling-Titles.com. 2022年2月8日閲覧。
- ^ “NWA World Tag Team Title [Mid-America]”. Wrestling-Titles.com. 2022年2月8日閲覧。
- ^ “NWA Hawaii Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2022年2月8日閲覧。
- ^ “International Television Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2022年2月8日閲覧。