マーガレット・オブ・イングランド (1346-1361)
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マーガレット・オブ・イングランド Margaret of England | |
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出生 |
1346年7月20日![]() |
死去 |
1361年10月1日/12月25日 |
埋葬 |
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配偶者 | 第2代ペンブルック伯ジョン・ヘイスティングス |
家名 | プランタジネット家 |
父親 | イングランド王エドワード3世 |
母親 | フィリッパ・オブ・エノー |
マーガレット・オブ・イングランド(Margaret of England, 1346年7月20日 - 1361年10月1日/12月25日)は、イングランド王エドワード3世とその王妃フィリッパ・オブ・エノーの娘。マーガレット・オブ・ウィンザー(Margaret of Windsor)ともよばれる。第2代ペンブルック伯ジョン・ヘイスティングスと結婚した。
生涯
[編集]マーガレットは当初、オーストリア公アルブレヒト3世と結婚する予定であったが、政情の変化により取りやめとなった[1]。数年後、マーガレットはシャルル・ド・ブロワの息子でブルターニュ公位をめぐってジャン5世と争うこととなるジャン1世・ド・シャティヨンと婚約したが、この婚約は、姉のメアリーがすでにブルターニュ公嗣ジャン4世と婚約していたため破棄された[2]。
マーガレットは、ペンブルック伯ローレンス・ヘイスティングスとその妻でロジャー・モーティマー(イザベラ・オブ・フランスの寵臣)の娘アグネスの間の息子の第2代ペンブルック伯ジョン・ヘイスティングスとともに育った。子供の頃から2人は親しい友人であった。1359年5月13日、マーガレットはジョン・ヘイスティングスと結婚した。その同じ週に、マーガレットの兄である初代ランカスター公ジョン・オブ・ゴーントがレディングにおいてブランシュ・オブ・ランカスターと結婚した[3][4]。
結婚の2年後にマーガレットは亡くなり、アビンドン修道院に埋葬された[5]。正確な没日と原因は不明であるが、最後に生存が記録されているのは1361年10月1日である[6]。
脚注
[編集]- ^ Green 1857, p. 296.
- ^ Green 1857, pp. 296–297.
- ^ Weir 1996, pp. 113, 98–99.
- ^ Green 1857, p. 298.
- ^ Green 1857, p. 287.
- ^ Weir 1996, p. 113.
参考文献
[編集]- Green, Mary Anne Everett (1857). Lives of the Princesses of England Vol. III. London. pp. 295-301 2 November 2023閲覧。
- Weir, Alison (1996). Britain's Royal Families: The Complete Genealogy. London: Pimlico. ISBN 0-7126-7448-9. OCLC 35042093