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マイアミ・ドルフィンズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マイアミ・ドルフィンズ
Miami Dolphins
創設 1965年8月16日 (59年前) (1965-08-16)
AFL参入 1966年シーズン
所属地区
  • NFL(1970-現在)
    • AFC(1970-現在)
東地区(1970-現在)
東地区(1966-1969)
チームデザイン
チームロゴ

太陽[注 1]をバックに跳ねるイルカ
チームカラー
  アクア
  オレンジ
 
ユニフォーム
チーム名
  • マイアミ・ドルフィンズ(1966-現在)
ホームタウン
1966-現在の位置(アメリカ合衆国内)
1966-現在
1966-現在

フロリダ州マイアミガーデンズ(1987-現在)
フロリダ州マイアミ(1966-1986)

ハードロック・スタジアム (1987-現在)
旧称

  • サンライフ・スタジアム (2010-2016)
  • ランドシャーク・スタジアム (2009-2010)
  • ドルフィンズ・スタジアム (2005-2006)
  • プロ・プレイヤー・スタジアム (1996-2005)
  • ジョー・ロビー・スタジアム (1987-1996)
  • ドルフィン・スタジアム (1984-1987, 2007-2008)

マイアミ・オレンジボウル (1966-1986)

永久欠番
獲得タイトル
スーパーボウル・チャンピオン (2回)
カンファレンス・チャンピオン (5回)
AFC
  • 1971
  • 1972
  • 1973
  • 1982
  • 1984
地区優勝 (13回)
旧AFC東地区
  • 1971
  • 1972
  • 1973
  • 1974
  • 1979
  • 1981
  • 1983
  • 1984
  • 1985
  • 1992
  • 1994
  • 2000
AFC東地区
  • 2008
ワイルドカード(11回)
  • 1970
  • 1978
  • 1990
  • 1995
  • 1997
  • 1998
  • 1999
  • 2001
  • 2016
  • 2022
  • 2023
プレーオフ進出(25/59回)
  • 1970
  • 1971
  • 1972
  • 1973
  • 1974
  • 1978
  • 1979
  • 1981
  • 1982
  • 1983
  • 1984
  • 1985
  • 1990
  • 1992
  • 1994
  • 1995
  • 1997
  • 1998
  • 1999
  • 2000
  • 2001
  • 2008
  • 2016
  • 2022
  • 2023
球団組織
オーナー スティーブン・ロス
GM クリス・グライアー
ヘッドコーチ マイク・マクダニエル

マイアミ・ドルフィンズ英語: Miami Dolphins、略称: MIA)は、アメリカ合衆国フロリダ州マイアミ都市圏に位置するマイアミガーデンズに本拠地をおくNFLチーム。AFC東地区に所属している。ホームスタジアムは、ハードロック・スタジアム。フロリダ州にあるプロスポーツチームの中で最も古い歴史を持っている。AFC東地区の4チームの中で唯一、アメリカン・フットボール・リーグ(AFL)の創設メンバーではない。

概要

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チームは1966年、弁護士で政治家のジョー・ロビーと俳優でコメディアンのダニー・トーマスによって創設され、AFLの一員となった。マイアミにはかつて、のちにボルチモア・コルツとなるオール・アメリカ・フットボール・カンファレンス(AAFC)のチーム「マイアミ・シーホークス」が1946年の1年だけ存在したが、以降フットボールチームはなかった。チーム創設後の数年間、トレーニングキャンプと練習施設は、ボカラトンにある全寮制の私立男子予備校「セント・アンドリュー・スクール」に設けられた。1970年にAFLとNFLが合併したことにより、NFLに加盟し、AFC東地区に所属することになった。

スーパーボウルは、第7回1972年)と第8回1973年)の2度制覇しており、1972年にはNFL史上唯一となるパーフェクトシーズン(レギュラーシーズン14試合全勝、ポストシーズン3試合全勝)を果たしている。またドルフィンズを26年指揮したヘッドコーチ、ドン・シュラの時代、チームはわずか2回しか負け越さなく、現在までNFLの最多勝利ヘッドコーチとなっている。

チーム名

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チーム名は、チーム創設前年の1965年に公募された。19,843人の応募によって1000を越える候補があり、マリナーズ、マロウダーズ、ムスタングス、ミサイルズ、ムーンズ、シャークス、サンズなどが有力候補にあがった中、最も多い622通の応募があり、またフロリダ近海に生息し人気がある動物であることから、イルカの「ドルフィンズ」が選ばれた。「ドルフィンズ」に応募した人の中から抽選に当選したファンには、ドルフィンズのホームゲームを生涯にわたり観戦できるパスが贈られた。ドルフィンには、イルカのほか、スピード感、知性という意味を持たせている。

歴史

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創設者で初代オーナーのジョー・ロビー

チームはジョー・ロビーダニー・トーマスによって創設され[注 2]1966年AFLに加盟した。最初の4シーズンはジョージ・ウィルソンヘッドコーチの下で15勝39敗2分の成績しか残すことはできなかった。しかし1970年にポール・ブラウンの教え子であり、ボルチモア・コルツ第3回スーパーボウルに出場させたドン・シュラがヘッドコーチになると好成績をあげるようになる。

1970年に10勝4敗の好成績をあげて地区優勝を果たし初のプレーオフ進出を果たした。この年はオークランド・レイダースにプレーオフで敗れたが、QBボブ・グリーシーRBラリー・ゾンカジム・キイックWRポール・ウォーフィールドを擁したチームはこの年からAFC東地区で4年連続優勝を果たすこととなった。

1971年にはディビジョナル・プレーオフでダブルオーバータイムまでもつれNFL史上最長となった82分40秒のカンザスシティ・チーフスとの試合を制するなどして第6回スーパーボウル出場を決めたがダラス・カウボーイズに3-24で敗れた。

1972年、スーパーボウルで勝利し、全勝優勝を果たした。

1972年、ドン・シュラヘッドコーチに率いられたチームはシーズンを14勝0敗の全勝で終え、プレーオフでも負けなく[1]第7回スーパーボウルワシントン・レッドスキンズを14-7で破りスーパーボウル初優勝を果たし、シーズン無敗のパーフェクトシーズンを達成した[注 3]。このシーズン第5週のチャージャーズ戦でエースQBのボブ・グリーシーが負傷し、それ以降の試合を控えQBだったアール・モラルが先発した[注 4]。グリーシーはピッツバーグ・スティーラーズとのAFCチャンピオンシップゲームで復帰し、スーパーボウルでも先発出場した。またノーネームディフェンスと呼ばれた[注 5]ラインバッカーのニック・ブオニコンティ、ディフェンシブエンドのビル・スタンフィル、ディフェンシブタックルのマニー・フェルナンデス、セイフティのディック・アンダーソンジェイク・スコットらの守備はリーグ1の成績を残した。

ドルフィンズは1シーズンのラッシング記録を作り、ゾンカとマーキュリー・モリスは2人とも1000ヤードラッシャーとなった。2人のランニングバックが1000ヤードラッシャーとなったのはNFL初の記録であった。この攻撃は後にプロフットボール殿堂入りを果たすOTのジム・ランガー、Gのラリー・リトルら強力なオフェンスラインによって支えられた。

1973年シーズンも12勝2敗でレギュラーシーズンを終え、第8回スーパーボウルではミネソタ・バイキングスを24-7で破りスーパーボウル連覇を遂げた。翌1974年も地区優勝を果たしたが、プレーオフ初戦でオークランド・レイダースに敗れ、スーパーボウル3連覇はならなかった[2]。このシーズン終了後、ゾンカ、キイック、ウォーフィールドの3人がワールド・フットボール・リーグ(WFL)に移籍しチームを離れた。

1976年チームは6勝8敗に終わったが続く5シーズン中4シーズンに10勝以上をあげた。1977年、10勝4敗で終えたがボルチモア・コルツに地区優勝を奪われプレーオフを逃した。1978年にはワイルドカードでプレーオフ出場を果たしたがヒューストン・オイラーズに敗れた。

1979年、ゾンカが復帰し10勝6敗で地区優勝を果たしたがプレーオフではピッツバーグ・スティーラーズに敗れた。

1980年、ボルチモア・コルツ戦でQBボブ・グリーシーが肩を負傷、ルイジアナ州立大学出身のデビッド・ウッドリーが先発することになった。グリーシーはこの後復帰することなくシーズン終了とともに引退した。チームは8勝8敗でプレーオフを逃した。

1981年、11勝4敗1分で地区優勝を果たした。この年のQBはウッドリーとドン・ストロックが先発した。チームはプレーオフでサンディエゴ・チャージャーズと対戦、第1Qだけで相手に24点をあげられてリードを許したが38-38と追いつき延長の末38-41で敗れた[3] (Epic in Miami

ストライキでシーズンが短縮された1982年には、7勝2敗でAFC2位となり第17回スーパーボウルまで進んだがワシントン・レッドスキンズに敗れた。このシーズンのドルフィンズのディフェンスはボブ・バウムハウワービル・バーネットライル・ブラックウッドキム・ボカンバーグレン・ブラックウッドダグ・ベターズボブ・ブルジンスキーらBの頭文字の選手がそろっていたためキラーBディフェンスと呼ばれた。またこの年から1987年まで、Cドワイト・スティーブンソンらオフェンスラインが相手に許したサックは、6年連続リーグ最少であった[4]

マリーノ時代

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1984年には2年目のQBダン・マリーノがNFLシーズン記録となる48本のタッチダウンパスを投げて第19回スーパーボウルまで進みサンフランシスコ・49ersと対戦した。マリーノ対ジョー・モンタナとして注目された試合はモンタナに軍配があがりドルフィンズはまたしても優勝を逃した。

1990年代初めには同地区のライバル、バッファロー・ビルズと激しく地区優勝を争ったがビルズが4年連続スーパーボウルに出場することとなった。

1992年は地区優勝を果たしてホームアドバンテージを持っていたが、ワイルドカードプレーオフでヒューストン・オイラーズを相手に32点差からの逆転で勝ち上がったビルズにAFCチャンピオンシップゲームで敗れてスーパーボウル出場は果たせなかった。

1994年11月27日のジェッツ戦でダン・マリーノアーロン・グレンにサックされそうになったがスパイクするフェイクを見せた後、マーク・イングラムへの逆転のTDパスを成功させた。このプレイは"The Fake Spike"として知られている( (Clock Play)。

1995年ドン・シュラがプレーオフも含めて347勝とNFLヘッドコーチ歴代最多勝利(それまでの記録はジョージ・ハラスの324勝)退任、ダラス・カウボーイズで2度のスーパーボウルを制したジミー・ジョンソンが後任となりGMを兼任した。

ジョンソンの就任2年目の1997年からチームは3年連続でワイルドカードでプレーオフ出場を果たしたがいずれも初戦で敗退した。

1999年10月の試合でマリーノが負傷し戦線を離脱[5]、シーズン終了後NFLのQB記録を数々塗り替えたマリーノが現役を引退した。彼が在籍している間チームは地区優勝5回、プレーオフには10回出場し、スーパーボウルにも1回出場を果たした。

2000年以降

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2000年1月16日ジョンソンは突如辞任を発表、彼の下で長年アシスタントコーチを務めているデイブ・ウォンステッドが後任となりチームは2000年2001年とプレーオフに出場したが、2004年チームが1勝8敗となったところで母校、ピッツバーグ大学のヘッドコーチに就任するため辞任、ジム・ベイツが指揮を執り残り7試合を3勝4敗で終えた。

2002年3月8日にニューオーリンズ・セインツとのトレードで2つの1巡目指名権を含む4つのドラフト指名権と引き換えに、リッキー・ウィリアムズ英語版を獲得した。

2005年、チームはルイジアナ州立大学のヘッドコーチ、ニック・セイバンを新ヘッドコーチに迎えた。

2006年ジェイソン・テイラーが最優秀守備選手に選ばれた[4]

2007年シーズンはトレント・グリーンがエースQBとなったが4試合が終了したところでグリーンは故障者リスト入りしてしまった。残りの試合はクレオ・レモンジョン・ベックが先発したがその後その時点でNFLのリーディングラッシャーを走っていたRBのロニー・ブラウンも失ってしまった。このシーズンニューヨーク・ジャイアンツとのホームゲームがロンドンで行われた。これはNFLのレギュラーシーズンのゲームが北米大陸以外で行われる初の試合となった。この試合後2001年からチームに在籍したWRのクリス・チェンバースサンディエゴ・チャージャーズに放出した。12月16日のボルチモア・レイブンズ戦に延長の末勝利したがこのシーズン1勝に終わり15敗した8チーム目となった。シーズン終盤、ビル・パーセルズがチームのフロント入りを果たした。第15週の12月16日のボルチモア・レイブンズ戦に延長の末22-16で勝ち連敗を16で止めた。しかしこのシーズンは1勝に終わりレギュラーシーズンに15敗した[6]8チーム目となった。(その後2008年にデトロイト・ライオンズがシーズン16連敗で記録を更新した。)

シーズン終了とともにGMのランディ・ミューラー、ヘッドコーチのキャム・キャメロンは解任された。またシーズンオフに2人のプロボウル選出選手を放出した(LBのザック・トーマスとは再契約をせず、DEのジェイソン・テイラーをワシントン・レッドスキンズのドラフト2巡目指名権とトレードした。)。新ヘッドコーチにはパーセルズがダラス・カウボーイズのヘッドコーチを務めていた時のアシスタントコーチであるトニー・スパラノが就任[7]、ドラフト全体1位でミシガン大学のOTのジェイク・ロングを獲得した。またブレット・ファーヴを獲得したニューヨーク・ジェッツのQB、チャド・ペニントンと契約を結んだ[6]

ワイルドキャットからパスを投げようとするロニー・ブラウン

2008年シーズンも開幕戦・第2週と連敗スタートであったが、第3週のニューイングランド・ペイトリオッツ戦に38-13で勝利し、ロードゲームでの連敗を11で止めたばかりか、ペイトリオッツが2006年シーズンの第15週以来続けてきたレギュラーシーズンでの連勝も21で止めた[8](なお2006年シーズンの第14週の相手はこのドルフィンズである)。この試合で導入し大成功したオフェンス・プレー「ワイルドキャット・フォーメーション」は、2008年シーズンのトレンドとなり、ドルフィンズのみならず、NFLの多くのチームが導入した。前年の1勝15敗から11勝5敗と大きく勝ち星をあげたチームは2000年以来の地区優勝を果たした。前年より10勝多く勝ち星を積み上げたチームはこれまでに1999年のインディアナポリス・コルツのみであった。プレーオフではボルチモア・レイブンズと対戦し敗れた。

2009年、スティーブ・ロスにより買収される。落札額は、11億ドル。米スポーツ界のフランチャイズ契約で最高額を記録した。シーズン早々にエースQBペニントンを怪我で失ったがQBチャド・ヘニーが先発QBとなった。シーズン終盤まで7勝6敗と大混戦のプレーオフ争いに参加したが最後の3試合に連敗してプレーオフを逃した。

2010年、ディフェンスコーディネーターにマイク・ノーランが就任した[9]。シーズンではエースQBのペニントン、2番手QBのチャド・ヘニーが故障がちで苦戦を強いられて[10]プレーオフを逃した[11]

2011年2月、ポール・ソリアイをフランチャイズ選手に指定した[12]。第4週にエースQBのヘニーがシーズン絶望となり[13]、マット・ムーアが先発QBとなった。チームは開幕から7連敗し、その後3連勝したが、4勝9敗となったところで、スパラノヘッドコーチは解任されトッド・ボウルスアシスタントヘッドコーチが暫定ヘッドコーチに就任した[14]。ボウルスが指揮を執った初戦、この年加入したレジー・ブッシュが自己ベストの203ヤードを走る活躍を見せて勝利した[15]。ボウルスヘッドコーチ就任後の3試合でチームは2勝1敗の成績をあげて[16]、6勝10敗でシーズンを終えた。シーズン終了後の1月20日、チームはグリーンベイ・パッカーズのオフェンスコーディネーターを務めていたジョー・フィルビンを新ヘッドコーチとして発表した[17]

2012年、チームはドラフト1巡目(全体8位)で指名したライアン・タネヒルを開幕QBに指名した。

2013年10月、ジョナサン・マーティンが心の病となりチームを離脱した。その背景には、チームメートのリッチー・インコグニートから人種差別的中傷のボイスメールを受けるなどの嫌がらせを受けたことが明らかとなった[18]。インコグニートはNFLから無期限の出場停止処分を受けた[19]。2014年2月14日、独立した調査機関による調査報告書が公表され、マーティンだけでなくアシスタントトレーナーもパワーハラスメントを受けていたと指摘がなされた[20]

地区一位を続けるニューイングランド・ペイトリオッツの陰で不振を続けたが、2016年には新HCにアダム・ゲイズを迎え、8年ぶりにワイルドカードでプレーオフ進出を果たした。2017年2018年には連続してプレーオフを逃し、アダム・ゲイズは解雇された。後任はニューイングランド・ペイトリオッツのプレーコーラーを務めていたブライアン・フローレスとなった。2019年3月、ドラフト指名権とのトレードでライアン・タネヒルをテネシー・タイタンズへ放出した[注 6]。4月、アリゾナ・カージナルスのQBジョシュ・ローゼンをドラフト指名権とのトレードで獲得した。この年は地区最下位となった。

2020年は前年に獲得したライアン・フィッツパトリックとドラフト1巡目(全体5位)ルーキーのトゥア・タゴヴァイロアの2人のQBが先発試合を分け合い、10勝を挙げながらもプレーオフを逃した。

2021年は開幕戦の勝利の後7連敗を喫したが、その後は7連勝を重ねたものの、地区3位となり5年連続してプレーオフを逃した。シーズン直後、HCのフローレスが解雇された。後任にはサンフランシスコ・フォーティーナイナーズのOCマイク・マクダニエルが就任した。2022年3月24日、WRタイリーク・ヒルカンザスシティ・チーフスから2022年のNFLドラフト1巡目(全体29番目)、2巡目、4巡目、さらに2023年のNFLドラフト4巡目、6巡目と交換にトレードで得た[21]

マイク・マクダニエルの時代

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2022年2月、前HCのフローレスはドルフィンズ、ジャイアンツ、ブロンコス、そしてリーグを相手取って集団訴訟を起こした[22]。コーチ雇用に関してジャイアンツとブロンコスに人種差別的な行動があったと主張し、ドルフィンズのオーナーはドラフトでの上位順位を得るために意図的に試合に負けるよう促して負けるごとに賞金を出し、さらにはFAになる前の選手と接触するよう促したと主張している。他の元NFLコーチも原告として訴訟に参加している。

2022年は、終盤で5連敗を喫し、さらに最後の2試合はタゴヴァイロアが脳震盪プロトコルでの対象となって欠けるも、最終戦でジェッツに勝利して第7シードのワイルドカードで6年ぶりにプレーオフ進出を果たした。プレーオフ初戦ではトンプソンが先発QBとなり、ビルズに敗れた。DCジョシュ・ボイヤーを解雇した。

2023年は第16週にプレーオフ進出を決めた。地区首位で迎え、地区2位のビルズ相手の勝てば第2シードとなるはずの最終試合では第4QTRまで14-7とリードするも、ハーティーの96ヤード・パントリターン・タッチダウンで同点に追いつかれ、その後逆転されて地区2位に落ち、第6シードでプレーオフに進んだ。プレーオフ初戦でカンザスシティ・チーフスに敗れた。

チーム施設

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練習場

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ドルフィンズトレーニング施設

チームの練習場と球団本部は、同じマイアミ都市圏のデイビーに置かれている。1993年、ノバ・サウスイースタン大学の構内にチーム専用のトレーニング施設を開設し、2006年には「ザ・バブル」と呼ばれるドーム型のフィールドが建てられた。しかし、2021年、ハードロック・スタジアム(マイアミガーデンズ)北西側に1億3500万ドルかけて建築した新しいトレーニング施設「バプティスト・ヘルス・トレーニング・コンプレックス」に移転予定である。

文化

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マイアミ・ドルフィンズ・チアリーダーズ

マスコット

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チームの公式マスコットは、T.D.(The Dolphin)。チーム公式サイトによると、1997年4月18日にジミー・ジョンソン前ヘッドコーチがサインしたと書かれている。初出場は、1997年8月10日のシカゴ・ベアーズ戦。2001年にはオハイオ州カントンで開催されたホール・オブ・フェイム・ゲームにNFLのマスコットとして初めて参加した。2005年の春節パレードin香港に招待されて参加した。他にも、2015年5月2日にイリノイ州シカゴで行われた2015 NFLドラフトタウンに招かれている。

チアリーディング

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チーム公式のチアリーディングチームのマイアミ・ドルフィンズ・チアリーダーズ(Miami Dolphins Cheerleaders)は、試合日などにハードロック・スタジアムで様々なダンスを披露している。毎年、プロボウルにチアリーダーを送っている。また、毎年インディアン・プレミアリーグに多くの卒業生を送っている。

2024年シーズン

2024年シーズンのドルフィンズの対戦相手
AFC NFC
前年 西地区 南地区 北地区 東地区 西地区 南地区 北地区 東地区
1位 チーフス テキサンズ レイブンズ ビルズ 49ers バッカニアーズ ライオンズ カウボーイズ
2位 レイダース ジャガーズ ブラウンズ ドルフィンズ ラムズ セインツ パッカーズ イーグルス
3位 ブロンコス コルツ スティーラーズ ジェッツ シーホークス ファルコンズ バイキングス ジャイアンツ
4位 チャージャーズ タイタンズ ベンガルズ ペイトリオッツ カージナルス パンサーズ ベアーズ コマンダース

 :1度対戦  :2度対戦

2024年シーズン及び過去20シーズンの成績
成績 AFC 地区 Div Con 総得点 総失点 平均得点 平均失点 SOS SOV
2024 9位 2位 7 8 0 .467 3-2 5-5 305 329 20.3 21.9 .442 .295
2023 ワイルドカード敗退 6位 2位 11 6 0 .647 4–2 7–5 496 391 29.2 23.0 .450 .358
2022 ワイルドカード敗退 7位 2位 9 8 0 .529 3-3 7-5 397 399 23.4 23.5 .537 .457
2021 レギュラー敗退 9位 3位 9 8 0 .529 4-2 6-6 341 373 20.1 21.9 .464 .379
2020 レギュラー敗退 8位 2位 10 6 0 .625 3-3 7-5 404 338 25.3 21.1 .467 .347
2019 レギュラー敗退 15位 4位 5 11 0 .313 2-4 4-8 306 494 19.1 30.9 .484 .463
2018 レギュラー敗退 10位 2位 7 9 0 .438 4–2 6–6 319 433 19.9 27.1 .469 .446
2017 レギュラー敗退 11位 3位 6 10 0 .375 2-4 5-7 281 393 17.6 24.6 .543 .531
2016 ワイルドカード敗退 6位 2位 10 6 0 .625 4-2 7-5 363 380 22.7 23.8 .455 .341
2015 レギュラー敗退 11位 4位 6 10 0 .375 1-5 4-8 310 389 19.4 24.3 .469 .469
2014 レギュラー敗退 11位 3位 8 8 0 .500 3-3 6-6 388 373 24.3 23.3 .512 .406
2013 レギュラー敗退 10位 3位 8 8 0 .500 2-4 7-5 317 335 19.8 20.9 .523 .523
2012 レギュラー敗退 9位 2位 7 9 0 .438 2-4 5-7 288 317 18.0 19.8 .500 .415
2011 レギュラー敗退 12位 3位 6 10 0 .375 3-3 5-7 329 313 20.6 19.6 .504 .417
2010 レギュラー敗退 10位 3位 7 9 0 .438 5-7 5-7 275 332 17.2 20.8 .539 .438
2009 レギュラー敗退 11位 3位 7 9 0 .438 4-2 5-7 360 390 22.5 24.4 .559 .464
2008 ワイルドカード敗退 3位 1位 11 5 0 .688 4-2 8-4 345 317 21.6 19.8 .461 .398
2007 レギュラー敗退 16位 4位 1 15 0 .063 1-7 1-11 267 437 16.7 27.3
2006 レギュラー敗退 14位 4位 6 10 0 .375 1-5 3-9 260 283 16.3 17.7
2005 レギュラー敗退 8位 2位 9 7 0 .563 3-3 7-5 318 317 19.9 19.8
2004 レギュラー敗退 15位 4位 4 12 0 .250 1-5 2-10 275 354 17.2 22.1

2024年シーズン成績

AFC東地区 2024
チーム 勝率 Div Con 総得点 総失点 平均得点 平均失点 SOS SOV 残試合
(y)バッファロー・ビルズ 12 3 0 .800 4-0 8-2 469 331 31.3 22.1 .489 .456 2
マイアミ・ドルフィンズ 7 8 0 .467 3-2 5-5 305 329 20.3 21.9 .442 .295 2
ニューヨーク・ジェッツ 4 11 0 .267 1-3 4-6 292 344 19.5 22.9 .484 .300 2
ニューイングランド・ペイトリオッツ 3 12 0 .200 1-4 2-8 259 361 17.3 24.1 .431 .333 2
AFC 2024

チーム
勝率 DIV CON SOS SOV
地区1位
1 y-チーフス 西 14 1 0 .933 5-0 9-1 .471 .447
2 y-ビルズ 12 3 0 .800 4-0 8-2 .489 .456
3 x-スティーラーズ 10 5 0 .667 3-2 7-3 .460 .433
4 y-テキサンズ 9 6 0 .600 4-1 7-3 .489 .388
ワイルドカード圏内
5 x-レイブンズ 10 5 0 .667 3-2 6-4 .547 .541
6 チャージャーズ 西 9 6 0 .600 3-2 6-4 .511 .381
7 ブロンコス 西 9 6 0 .600 2-3 5-5 .471 .338
プレーオフ圏外
8 コルツ 7 8 0 .467 2-3 6-5 .500 .324
9 ドルフィンズ 7 8 0 .467 3-2 5-5 .442 .295
10 ベンガルズ 7 8 0 .467 2–3 4–6 .455 .231
11 ジェッツ 4 11 0 .267 1-3 4-6 .484 .300
12 ブラウンズ 3 12 0 .200 2–3 3–7 .525 .511
13 ジャガーズ 3 12 0 .200 2-2 3-7 .500 .289
14 タイタンズ 3 12 0 .200 1-3 3-7 .527 .422
15 レイダース 西 3 12 0 .200 0-5 3-8 .554 .356
16 ペイトリオッツ 3 12 0 .200 1-4 2-8 .431 .333
タイブレーク
参照
z - 第1シード確定・プレーオフ1回戦免除
y - 地区優勝
x - プレーオフ確定
w - ワイルドカード確定
暗転 - レギュラーシーズン敗退
                                   
ワイルドカード・プレーオフ ディビジョナル・プレーオフ
2025年1月11日か12日か13日
    1月18日か19日
    1月26日
    2月9日
シーザーズ・スーパードーム
 6    
 3      
2025年1月11日か12日か13日
     
         
 7     AFC
 2       1月18日か19日
2025年1月11日か12日か13日
     
         
AFCチャンピオンシップ
1月26日
 5    
     
 4        
 1      
2025年1月11日か12日か13日
1月18日か19日
     
       
 6     第59回スーパーボウル
 3      
2025年1月11日か12日か13日
     
         
 7     NFC
 2       1月18日か19日
2025年1月11日か12日か13日
     
         
NFCチャンピオンシップ
 5    
     
 4        
 1      
  • 対戦カードはレギュラーシーズン成績に基づくシード順で決定され、上位シードチームのホームで対戦する。そのラウンドに残ったチームの内の最上位シードが最下位シードと対戦するルールであるため、ディビジョナル・プレーオフの対戦カードはワイルドカードの結果により変動する。
  • スーパーボウル開催地は事前にオーナー会議で決定。その他の試合はシード上位のチームのホームで開催する。
  • チーム名の左の数字はシード順。
  • * 延長戦決着
  • 日付はアメリカ東部時間

成績

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AFC東地区(4地区制)

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地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム
2024 BUF
2023 BUF(2d) 11 6 0 MIA(6w) 11 6 0 NYJ 7 10 0 NE 4 13 0
2022 BUF(2d) 13 3 0 MIA(7w) 9 8 0 NE 8 9 0 NYJ 7 10 0
2021 BUF(3d) 11 6 0 NE (6w) 10 7 0 MIA 9 8 0 NYJ 4 13 0
2020 BUF(2c) 13 3 0 MIA 10 6 0 NE 7 9 0 NYJ 2 14 0
2019 NE (3w) 12 4 0 BUF(5w) 10 6 0 NYJ 7 9 0 MIA 5 11 0
2018 NE (2v) 11 5 0 MIA 7 9 0 BUF 6 10 0 NYJ 4 12 0
2017 NE (1s) 13 3 0 BUF(6w) 9 7 0 MIA 6 10 0 NYJ 5 11 0
2016 NE (1v) 14 2 0 MIA(6w) 10 6 0 BUF 7 9 0 NYJ 5 11 0
2015 NE (2c) 12 4 0 NYJ 10 6 0 BUF 8 8 0 MIA 5 11 0
2014 NE (1v) 12 4 0 BUF 9 7 0 MIA 8 8 0 NYJ 4 12 0
2013 NE (2c) 12 4 0 NYJ 8 8 0 MIA 8 8 0 BUF 6 10 0
2012 NE (2c) 12 4 0 MIA 7 9 0 NYJ 6 10 0 BUF 6 10 0
2011 NE (1s) 13 3 0 NYJ 8 8 0 MIA 6 10 0 BUF 6 10 0
2010 NE (1d) 14 2 0 NYJ(6c) 11 5 0 MIA 7 9 0 BUF 4 12 0
2009 NE (3w) 10 6 0 NYJ(5c) 9 7 0 MIA 7 9 0 BUF 6 10 0
2008 MIA(3w) 11 5 0 NE 11 5 0 NYJ 9 7 0 BUF 7 9 0
2007 NE (1s) 16 0 0 BUF 7 9 0 NYJ 4 12 0 MIA 1 15 0
2006 NE (4c) 12 4 0 NYJ(5w) 10 6 0 BUF 7 9 0 MIA 6 10 0
2005 NE (4d) 10 6 0 MIA 9 7 0 BUF 5 11 0 NYJ 4 12 0
2004 NE (2v) 14 2 0 NYJ(5d) 10 6 0 BUF 9 7 0 MIA 4 12 0
2003 NE (1v) 14 2 0 MIA 10 6 0 BUF 6 10 0 NYJ 6 10 0
2002 NYJ(4d) 9 7 0 NE 9 7 0 MIA 9 7 0 BUF 8 8 0

AFC東地区(3地区制)

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地区優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム
2001 NE(2v) 11 5 0 MIA(4w) 11 5 0 NYJ(6w) 10 6 0 IND 6 10 0 BUF 3 13 0
2000 MIA(3d) 11 5 0 IND(6w) 10 6 0 NYJ 9 7 0 BUF 8 8 0 NE 5 11 0
1999 IND(2d) 13 3 0 BUF(5w) 11 5 0 MIA(6d) 9 7 0 NYJ 8 8 0 NE 8 8 0
1998 NYJ(2c) 12 4 0 MIA(4d) 10 6 0 BUF(5w) 10 6 0 NE(6w) 9 7 0 IND 3 13 0
1997 NE(3d) 10 6 0 MIA(6w) 9 7 0 NYJ 9 7 0 BUF 6 10 0 IND 3 13 0
1996 NE(2s) 11 5 0 BUF(4w) 10 6 0 IND(6w) 9 7 0 MIA 8 8 0 NYJ 1 15 0
1995 BUF(3d) 10 6 0 IND(5c) 9 7 0 MIA(6w) 9 7 0 NE 6 10 0 NYJ 3 13 0
1994 MIA(3d) 10 6 0 NE(5w) 10 6 0 IND 8 8 0 BUF 7 9 0 NYJ 6 10 0
1993 BUF(1s) 12 4 0 MIA 9 7 0 NYJ 8 8 0 NE 5 11 0 IND 4 12 0
1992 MIA(2c) 11 5 0 BUF(4s) 11 5 0 IND 9 7 0 NYJ 4 12 0 NE 2 14 0
1991 BUF(1s) 13 3 0 NYJ(6w) 8 8 0 MIA 8 8 0 NE 6 10 0 IND 1 15 0
1990 BUF(1s) 13 3 0 MIA(4d) 12 4 0 IND 7 9 0 NYJ 6 10 0 NE 1 15 0
1989 BUF(3d) 9 7 0 IND 8 8 0 MIA 8 8 0 NE 5 11 0 NYJ 4 12 0
1988 BUF(2c) 12 4 0 IND 9 7 0 NE 9 7 0 NYJ 8 7 1 MIA 6 10 0
1987 IND(3d) 9 6 0 NE 8 7 0 MIA 8 7 0 BUF 7 8 0 NYJ 6 9 0
1986 NE(3d) 11 5 0 NYJ(4d) 10 6 0 MIA 8 8 0 BUF 4 12 0 IND 3 13 0
1985 MIA(2c) 12 4 0 NYJ(4w) 11 5 0 NE(5s) 11 5 0 IND 5 11 0 BUF 2 14 0
1984 MIA(1s) 14 2 0 NE 9 7 0 NYJ 7 9 0 IND 4 12 0 BUF 2 14 0
1983 MIA(2d) 12 4 0 NE 8 8 0 BUF 8 8 0 BAL 7 9 0 NYJ 7 9 0
1982 MIA(2s) 7 2 0 NYJ(6c) 6 3 0 NE(7w) 5 4 0 BUF 4 5 0 BAL 0 8 1
1981 MIA(2d) 11 4 1 NYJ(4w) 10 5 1 BUF(5d) 10 6 0 BAL 2 14 0 NE 2 14 0
1980 BUF(3d) 11 5 0 NE 10 6 0 MIA 8 8 0 BAL 7 9 0 NYJ 4 12 0
1979 MIA(3d) 10 6 0 NE 9 7 0 NYJ 8 8 0 BUF 7 9 0 BAL 5 11 0
1978 NE(2d) 11 5 0 MIA(4w) 11 5 0 NYJ 8 8 0 BUF 5 11 0 BAL 5 11 0
1977 BAL(2d) 10 4 0 MIA 10 4 0 NE 9 5 0 BUF 3 11 0 NYJ 3 11 0
1976 BAL(2d) 11 3 0 NE(4d) 11 3 0 MIA 6 8 0 NYJ 3 11 0 BUF 2 12 0
1975 BAL(3d) 10 4 0 MIA 10 4 0 BUF 8 6 0 NYJ 3 11 0 NE 3 11 0
1974 MIA(d) 11 3 0 BUF(d) 9 5 0 NE 7 7 0 NYJ 7 7 0 BAL 2 12 0
1973 MIA(v) 12 2 0 BUF 9 5 0 NE 5 9 0 NYJ 4 10 0 BAL 4 10 0
1972 MIA(v) 14 0 0 NYJ 7 7 0 BAL 5 9 0 BUF 4 9 1 NE 3 11 0
1971 MIA(s) 10 3 1 BAL(c) 10 4 0 NE 6 8 0 NYJ 6 8 0 BUF 1 13 0
1970 BAL(v) 11 2 1 MIA(d) 10 4 0 NYJ 4 10 0 BUF 3 10 1 BOS 2 12 0

AFL東地区

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地区優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム
1969 NY(d) 10 4 0 HOU(d) 6 6 2 BOS 4 10 0 BUF 4 10 0 MIA 3 10 1
1968 NY(V) 11 3 0 HOU 7 7 0 MIA 5 8 1 BOS 4 10 0 BUF 1 12 1
1967 HOU(a) 9 4 1 NY 8 5 1 BUF 4 10 0 MIA 4 10 0 BOS 3 10 1
1966 BUF(a) 9 4 1 BOS 8 4 2 NY 6 6 2 HOU 3 11 0 MIA 3 11 0

主な選手

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現役選手

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永久欠番

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マイアミ・ドルフィンズ 永久欠番一覧
背番号 選手 ポジション 在籍期間
12 ボブ・グリーシー Bob Griese QB 1967–1980
13 ダン・マリーノ Dan Marino QB 1983–1999
39 ラリー・ゾンカ Larry Csonka FB 1968-1974, 1979

永久欠番にはなっていないものの、選手への敬意を込めて以下の背番号は現在使用されていない。

プロフットボール殿堂入り

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プロフットボール殿堂入りメンバー一覧
選手
背番号 名前 ポジション 在籍期間 選出年
42 ポール・ウォーフィールド Paul Warfield WR 1970–1974 1983
39 ラリー・ゾンカ Larry Csonka FB 1968–1974, 1979 1987
62 ジム・ランガー Jim Langer C 1970–1979 1987
12 ボブ・グリーシー Bob Griese QB 1967–1980 1990
66 ラリー・リトル Larry Little OG 1969–1980 1993
57 ドワイト・スティーブンソン Dwight Stephenson C 1980–1987 1998
85 ニック・ブオニコンティ Nick Buoniconti LB 1969–1974, 1976 2001
13 ダン・マリーノ Dan Marino QB 1983–1999 2005
34 サーマン・トーマス Thurman Thomas RB 2000 2007
88 クリス・カーター Cris Carter WR 2002 2013
55 ジュニア・セアウ Junior Seau LB 2003–2005 2015
99 ジェイソン・テイラー Jason Taylor DE 1997–2007, 2009, 2011 2017
コーチ・エグゼクティブ
名前 役職 在籍期間 選出年
347 ドン・シュラ Don Shula ヘッドコーチ 1970–1995 1997
ビル・パーセルズ Bill Parcells エグゼクティブ副社長 2008–2010 2013
ボビー・ベサード Bobby Beathard ディレクター 1972–1977 2018
ジミー・ジョンソン Jimmy Johnson ヘッドコーチ 1996–1999 2020
ジョージ・ヤング George Young スカウト 1975–1978 2020

注)ドン・シュラの番号 347 は、コーチとしてのNFL勝利数。(ドルフィンズでは 276 勝)

オナー・ロール

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歴代ヘッドコーチ

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脚注

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注釈

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  1. ^ フロリダ州の愛称にちなんだ
  2. ^ 創設後、トーマスはロビーにチームの株を売却し、ロビーがオーナーに就任した
  3. ^ 2007年シーズン16勝0敗の成績を残したニューイングランド・ペイトリオッツが史上2度目となるシーズン完全制覇を目指したがニューヨーク・ジャイアンツスーパーボウルで敗れ再現はならなかった。
  4. ^ シュラ、モラルは、1969年にもエースQB不在のボルチモア・コルツをスーパーボウルに導いている。
  5. ^ オフェンス選手に比べてスーパースターがいなかったため
  6. ^ ドルフィンズ側は2019年ドラフト6巡指名権も差し出している。

出典

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  1. ^ 最終ゲームで達成された2つの偉大な記録”. NFL JAPAN (2010年12月16日). 2010年12月19日閲覧。
  2. ^ Brian Ditullio (2010年12月2日). “Dolphins Vs. Raiders (Sea Of Hands)”. bleacherreport.com. 2013年8月4日閲覧。
  3. ^ リーグ史上に残るオーバータイム名勝負トップ5”. NFL JAPAN (2011年7月19日). 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年8月2日閲覧。
  4. ^ a b チーム別ドラフト成功トップ5 -ドルフィンズ-”. NFL JAPAN (2013年4月12日). 2013年4月14日閲覧。
  5. ^ Alex Marvez (1999年10月28日). “Marino Out, Huard In For 2 More Weeks”. サン・センティネル. 2014年3月4日閲覧。
  6. ^ a b 昨季1勝から大躍進、ドルフィンズ復活の6つの理由とは?”. NFL JAPAN (2008年12月7日). 2011年12月25日閲覧。
  7. ^ 4人の新ヘッドコーチが挑戦”. NFL JAPAN. 2011年12月25日閲覧。
  8. ^ ドルフィンズ ペイトリオッツの連勝記録止める”. AFP (2008年9月22日). 2008年9月22日閲覧。
  9. ^ ドルフィンズ、DEダグラスと2年契約で合意”. NFL JAPAN (2010年7月24日). 2011年12月25日閲覧。
  10. ^ ドルフィンズ快勝、地区優勝争いに踏みとどまる”. NFL JAPAN (201-11-29). 2011年12月25日閲覧。
  11. ^ 【第16週プレビュー】ドルフィンズ、手負いの獅子退治で勝率5割を”. NFL JAPAN (2010年12月25日). 2011年12月25日閲覧。
  12. ^ 年俸27倍増! ドルフィンズDTソリアイが契約延長”. NFL JAPAN (2011年2月27日). 2011年12月25日閲覧。
  13. ^ ドルフィンズに痛手、先発QBヘニーが今季絶望に”. NFL JAPAN (2011年10月7日). 2011年12月25日閲覧。
  14. ^ ドルフィンズ、ついにスパラノHCを解任”. NFL JAPAN (2011年12月13日). 2011年12月25日閲覧。
  15. ^ RBブッシュがラン203ヤード、ドルフィンズ新体制で勝利”. NFL JAPAN (2011年12月19日). 2011年12月25日閲覧。
  16. ^ レイダース、新指揮官候補にドルフィンズ暫定HC浮上”. NFL JAPAN (2012年1月12日). 2012年1月21日閲覧。
  17. ^ 新HC就任のドルフィンズ、正QB候補にパッカーズのフリン”. NFL JAPAN (2012年1月21日). 2012年1月21日閲覧。
  18. ^ ドルフィンズHC、Gインコグニート出場停止処分に言及”. NFL JAPAN (2013年11月5日). 2013年11月13日閲覧。
  19. ^ ドルフィンズQBタネヒル、「インコグニートは良いチームメイト」”. NFL JAPAN (2013年11月7日). 2013年11月13日閲覧。
  20. ^ いじめ問題の調査結果、トレーナーへの人種差別も発覚か”. NFL JAPAN (2014年2月15日). 2014年2月16日閲覧。
  21. ^ Chiefs trading WR Tyreek Hill to Dolphins for multiple draft picks, including 2022 first-rounder”. NFL. 2022年3月24日閲覧。
  22. ^ Belson, Ken; Vrentas, Jenny (2022年2月1日). “Brian Flores Sues N.F.L., Claiming Bias in Giants Coaching Search” (英語). The New York Times. ISSN 0362-4331. https://www.nytimes.com/2022/02/01/sports/football/brian-flores-giants-discrimination-lawsuit.html 2022年2月2日閲覧。 

関連項目

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  • マッド・ボウル - 1983年1月23日のAFCチャンピオンシップゲーム、マイアミ・オレンジボウルで行われたニューヨーク・ジェッツとの試合。試合開始前に大雨が降りぬかるんだフィールドでドルフィンズがジェッツを破ったが、試合終了後にジェッツはドルフィンズのヘッドコーチ、ドン・シュラがジェッツのパワーランをドルフィンズのキラーBディフェンスで封じるため意図的に雨が降ったのにフィールドにカバーをしなかったのではないかと抗議した。
  • Whale Whores - アニメ「サウスパーク」のエピソード。チーム名が「ドルフィン」であることから、イルカ繋がりで日本人の襲撃を受ける。

外部リンク

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