マイアミ・ドルフィンズ
マイアミ・ドルフィンズ Miami Dolphins | ||||||||||||||||||||||
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所属地区 | ||||||||||||||||||||||
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チームデザイン | ||||||||||||||||||||||
チームロゴ | ||||||||||||||||||||||
太陽[注 1]をバックに跳ねるイルカ | ||||||||||||||||||||||
チームカラー | ||||||||||||||||||||||
アクア オレンジ 白 | ||||||||||||||||||||||
ユニフォーム | ||||||||||||||||||||||
チーム名 | ||||||||||||||||||||||
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ホームタウン | ||||||||||||||||||||||
ハードロック・スタジアム (1987-現在)
マイアミ・オレンジボウル (1966-1986) | ||||||||||||||||||||||
永久欠番 | ||||||||||||||||||||||
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獲得タイトル | ||||||||||||||||||||||
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球団組織 | ||||||||||||||||||||||
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マイアミ・ドルフィンズ(英語: Miami Dolphins、略称: MIA)は、アメリカ合衆国フロリダ州のマイアミ都市圏に位置するマイアミガーデンズに本拠地をおくNFLチーム。AFC東地区に所属している。ホームスタジアムは、ハードロック・スタジアム。フロリダ州にあるプロスポーツチームの中で最も古い歴史を持っている。AFC東地区の4チームの中で唯一、アメリカン・フットボール・リーグ(AFL)の創設メンバーではない。
概要
[編集]チームは1966年、弁護士で政治家のジョー・ロビーと俳優でコメディアンのダニー・トーマスによって創設され、AFLの一員となった。マイアミにはかつて、のちにボルチモア・コルツとなるオール・アメリカ・フットボール・カンファレンス(AAFC)のチーム「マイアミ・シーホークス」が1946年の1年だけ存在したが、以降フットボールチームはなかった。チーム創設後の数年間、トレーニングキャンプと練習施設は、ボカラトンにある全寮制の私立男子予備校「セント・アンドリュー・スクール」に設けられた。1970年にAFLとNFLが合併したことにより、NFLに加盟し、AFC東地区に所属することになった。
スーパーボウルは、第7回(1972年)と第8回(1973年)の2度制覇しており、1972年にはNFL史上唯一となるパーフェクトシーズン(レギュラーシーズン14試合全勝、ポストシーズン3試合全勝)を果たしている。またドルフィンズを26年指揮したヘッドコーチ、ドン・シュラの時代、チームはわずか2回しか負け越さなく、現在までNFLの最多勝利ヘッドコーチとなっている。
チーム名
[編集]チーム名は、チーム創設前年の1965年に公募された。19,843人の応募によって1000を越える候補があり、マリナーズ、マロウダーズ、ムスタングス、ミサイルズ、ムーンズ、シャークス、サンズなどが有力候補にあがった中、最も多い622通の応募があり、またフロリダ近海に生息し人気がある動物であることから、イルカの「ドルフィンズ」が選ばれた。「ドルフィンズ」に応募した人の中から抽選に当選したファンには、ドルフィンズのホームゲームを生涯にわたり観戦できるパスが贈られた。ドルフィンには、イルカのほか、スピード感、知性という意味を持たせている。
歴史
[編集]チームはジョー・ロビーとダニー・トーマスによって創設され[注 2]、1966年にAFLに加盟した。最初の4シーズンはジョージ・ウィルソンヘッドコーチの下で15勝39敗2分の成績しか残すことはできなかった。しかし1970年にポール・ブラウンの教え子であり、ボルチモア・コルツを第3回スーパーボウルに出場させたドン・シュラがヘッドコーチになると好成績をあげるようになる。
1970年に10勝4敗の好成績をあげて地区優勝を果たし初のプレーオフ進出を果たした。この年はオークランド・レイダースにプレーオフで敗れたが、QBのボブ・グリーシー、RBのラリー・ゾンカ、ジム・キイック、WRのポール・ウォーフィールドを擁したチームはこの年からAFC東地区で4年連続優勝を果たすこととなった。
翌1971年にはディビジョナル・プレーオフでダブルオーバータイムまでもつれNFL史上最長となった82分40秒のカンザスシティ・チーフスとの試合を制するなどして第6回スーパーボウル出場を決めたがダラス・カウボーイズに3-24で敗れた。
1972年、ドン・シュラヘッドコーチに率いられたチームはシーズンを14勝0敗の全勝で終え、プレーオフでも負けなく[1]、第7回スーパーボウルでワシントン・レッドスキンズを14-7で破りスーパーボウル初優勝を果たし、シーズン無敗のパーフェクトシーズンを達成した[注 3]。このシーズン第5週のチャージャーズ戦でエースQBのボブ・グリーシーが負傷し、それ以降の試合を控えQBだったアール・モラルが先発した[注 4]。グリーシーはピッツバーグ・スティーラーズとのAFCチャンピオンシップゲームで復帰し、スーパーボウルでも先発出場した。またノーネームディフェンスと呼ばれた[注 5]ラインバッカーのニック・ブオニコンティ、ディフェンシブエンドのビル・スタンフィル、ディフェンシブタックルのマニー・フェルナンデス、セイフティのディック・アンダーソン、ジェイク・スコットらの守備はリーグ1の成績を残した。
ドルフィンズは1シーズンのラッシング記録を作り、ゾンカとマーキュリー・モリスは2人とも1000ヤードラッシャーとなった。2人のランニングバックが1000ヤードラッシャーとなったのはNFL初の記録であった。この攻撃は後にプロフットボール殿堂入りを果たすOTのジム・ランガー、Gのラリー・リトルら強力なオフェンスラインによって支えられた。
翌1973年シーズンも12勝2敗でレギュラーシーズンを終え、第8回スーパーボウルではミネソタ・バイキングスを24-7で破りスーパーボウル連覇を遂げた。翌1974年も地区優勝を果たしたが、プレーオフ初戦でオークランド・レイダースに敗れ、スーパーボウル3連覇はならなかった[2]。このシーズン終了後、ゾンカ、キイック、ウォーフィールドの3人がワールド・フットボール・リーグ(WFL)に移籍しチームを離れた。
1976年チームは6勝8敗に終わったが続く5シーズン中4シーズンに10勝以上をあげた。1977年、10勝4敗で終えたがボルチモア・コルツに地区優勝を奪われプレーオフを逃した。1978年にはワイルドカードでプレーオフ出場を果たしたがヒューストン・オイラーズに敗れた。
1979年、ゾンカが復帰し10勝6敗で地区優勝を果たしたがプレーオフではピッツバーグ・スティーラーズに敗れた。
1980年、ボルチモア・コルツ戦でQBボブ・グリーシーが肩を負傷、ルイジアナ州立大学出身のデビッド・ウッドリーが先発することになった。グリーシーはこの後復帰することなくシーズン終了とともに引退した。チームは8勝8敗でプレーオフを逃した。
1981年、11勝4敗1分で地区優勝を果たした。この年のQBはウッドリーとドン・ストロックが先発した。チームはプレーオフでサンディエゴ・チャージャーズと対戦、第1Qだけで相手に24点をあげられてリードを許したが38-38と追いつき延長の末38-41で敗れた[3]。 (Epic in Miami)
ストライキでシーズンが短縮された1982年には、7勝2敗でAFC2位となり第17回スーパーボウルまで進んだがワシントン・レッドスキンズに敗れた。このシーズンのドルフィンズのディフェンスはボブ・バウムハウワー、ビル・バーネット、ライル・ブラックウッド、キム・ボカンバー、グレン・ブラックウッド、ダグ・ベターズ、ボブ・ブルジンスキーらBの頭文字の選手がそろっていたためキラーBディフェンスと呼ばれた。またこの年から1987年まで、Cドワイト・スティーブンソンらオフェンスラインが相手に許したサックは、6年連続リーグ最少であった[4]。
マリーノ時代
[編集]1984年には2年目のQBダン・マリーノがNFLシーズン記録となる48本のタッチダウンパスを投げて第19回スーパーボウルまで進みサンフランシスコ・49ersと対戦した。マリーノ対ジョー・モンタナとして注目された試合はモンタナに軍配があがりドルフィンズはまたしても優勝を逃した。
1990年代初めには同地区のライバル、バッファロー・ビルズと激しく地区優勝を争ったがビルズが4年連続スーパーボウルに出場することとなった。
1992年は地区優勝を果たしてホームアドバンテージを持っていたが、ワイルドカードプレーオフでヒューストン・オイラーズを相手に32点差からの逆転で勝ち上がったビルズにAFCチャンピオンシップゲームで敗れてスーパーボウル出場は果たせなかった。
1994年11月27日のジェッツ戦でダン・マリーノはアーロン・グレンにサックされそうになったがスパイクするフェイクを見せた後、マーク・イングラムへの逆転のTDパスを成功させた。このプレイは"The Fake Spike"として知られている( (Clock Play) )。
1995年にドン・シュラがプレーオフも含めて347勝とNFLヘッドコーチ歴代最多勝利(それまでの記録はジョージ・ハラスの324勝)退任、ダラス・カウボーイズで2度のスーパーボウルを制したジミー・ジョンソンが後任となりGMを兼任した。
ジョンソンの就任2年目の1997年からチームは3年連続でワイルドカードでプレーオフ出場を果たしたがいずれも初戦で敗退した。
1999年10月の試合でマリーノが負傷し戦線を離脱[5]、シーズン終了後NFLのQB記録を数々塗り替えたマリーノが現役を引退した。彼が在籍している間チームは地区優勝5回、プレーオフには10回出場し、スーパーボウルにも1回出場を果たした。
2000年以降
[編集]2000年1月16日ジョンソンは突如辞任を発表、彼の下で長年アシスタントコーチを務めているデイブ・ウォンステッドが後任となりチームは2000年、2001年とプレーオフに出場したが、2004年チームが1勝8敗となったところで母校、ピッツバーグ大学のヘッドコーチに就任するため辞任、ジム・ベイツが指揮を執り残り7試合を3勝4敗で終えた。
2002年3月8日にニューオーリンズ・セインツとのトレードで2つの1巡目指名権を含む4つのドラフト指名権と引き換えに、リッキー・ウィリアムズを獲得した。
2005年、チームはルイジアナ州立大学のヘッドコーチ、ニック・セイバンを新ヘッドコーチに迎えた。
2006年、ジェイソン・テイラーが最優秀守備選手に選ばれた[4]。
2007年シーズンはトレント・グリーンがエースQBとなったが4試合が終了したところでグリーンは故障者リスト入りしてしまった。残りの試合はクレオ・レモン、ジョン・ベックが先発したがその後その時点でNFLのリーディングラッシャーを走っていたRBのロニー・ブラウンも失ってしまった。このシーズンニューヨーク・ジャイアンツとのホームゲームがロンドンで行われた。これはNFLのレギュラーシーズンのゲームが北米大陸以外で行われる初の試合となった。この試合後2001年からチームに在籍したWRのクリス・チェンバースをサンディエゴ・チャージャーズに放出した。12月16日のボルチモア・レイブンズ戦に延長の末勝利したがこのシーズン1勝に終わり15敗した8チーム目となった。シーズン終盤、ビル・パーセルズがチームのフロント入りを果たした。第15週の12月16日のボルチモア・レイブンズ戦に延長の末22-16で勝ち連敗を16で止めた。しかしこのシーズンは1勝に終わりレギュラーシーズンに15敗した[6]8チーム目となった。(その後2008年にデトロイト・ライオンズがシーズン16連敗で記録を更新した。)
シーズン終了とともにGMのランディ・ミューラー、ヘッドコーチのキャム・キャメロンは解任された。またシーズンオフに2人のプロボウル選出選手を放出した(LBのザック・トーマスとは再契約をせず、DEのジェイソン・テイラーをワシントン・レッドスキンズのドラフト2巡目指名権とトレードした。)。新ヘッドコーチにはパーセルズがダラス・カウボーイズのヘッドコーチを務めていた時のアシスタントコーチであるトニー・スパラノが就任[7]、ドラフト全体1位でミシガン大学のOTのジェイク・ロングを獲得した。またブレット・ファーヴを獲得したニューヨーク・ジェッツのQB、チャド・ペニントンと契約を結んだ[6]。
2008年シーズンも開幕戦・第2週と連敗スタートであったが、第3週のニューイングランド・ペイトリオッツ戦に38-13で勝利し、ロードゲームでの連敗を11で止めたばかりか、ペイトリオッツが2006年シーズンの第15週以来続けてきたレギュラーシーズンでの連勝も21で止めた[8](なお2006年シーズンの第14週の相手はこのドルフィンズである)。この試合で導入し大成功したオフェンス・プレー「ワイルドキャット・フォーメーション」は、2008年シーズンのトレンドとなり、ドルフィンズのみならず、NFLの多くのチームが導入した。前年の1勝15敗から11勝5敗と大きく勝ち星をあげたチームは2000年以来の地区優勝を果たした。前年より10勝多く勝ち星を積み上げたチームはこれまでに1999年のインディアナポリス・コルツのみであった。プレーオフではボルチモア・レイブンズと対戦し敗れた。
2009年、スティーブ・ロスにより買収される。落札額は、11億ドル。米スポーツ界のフランチャイズ契約で最高額を記録した。シーズン早々にエースQBペニントンを怪我で失ったがQBチャド・ヘニーが先発QBとなった。シーズン終盤まで7勝6敗と大混戦のプレーオフ争いに参加したが最後の3試合に連敗してプレーオフを逃した。
2010年、ディフェンスコーディネーターにマイク・ノーランが就任した[9]。シーズンではエースQBのペニントン、2番手QBのチャド・ヘニーが故障がちで苦戦を強いられて[10]プレーオフを逃した[11]。
2011年2月、ポール・ソリアイをフランチャイズ選手に指定した[12]。第4週にエースQBのヘニーがシーズン絶望となり[13]、マット・ムーアが先発QBとなった。チームは開幕から7連敗し、その後3連勝したが、4勝9敗となったところで、スパラノヘッドコーチは解任されトッド・ボウルスアシスタントヘッドコーチが暫定ヘッドコーチに就任した[14]。ボウルスが指揮を執った初戦、この年加入したレジー・ブッシュが自己ベストの203ヤードを走る活躍を見せて勝利した[15]。ボウルスヘッドコーチ就任後の3試合でチームは2勝1敗の成績をあげて[16]、6勝10敗でシーズンを終えた。シーズン終了後の1月20日、チームはグリーンベイ・パッカーズのオフェンスコーディネーターを務めていたジョー・フィルビンを新ヘッドコーチとして発表した[17]。
2012年、チームはドラフト1巡目(全体8位)で指名したライアン・タネヒルを開幕QBに指名した。
2013年10月、ジョナサン・マーティンが心の病となりチームを離脱した。その背景には、チームメートのリッチー・インコグニートから人種差別的中傷のボイスメールを受けるなどの嫌がらせを受けたことが明らかとなった[18]。インコグニートはNFLから無期限の出場停止処分を受けた[19]。2014年2月14日、独立した調査機関による調査報告書が公表され、マーティンだけでなくアシスタントトレーナーもパワーハラスメントを受けていたと指摘がなされた[20]。
地区一位を続けるニューイングランド・ペイトリオッツの陰で不振を続けたが、2016年には新HCにアダム・ゲイズを迎え、8年ぶりにワイルドカードでプレーオフ進出を果たした。2017年、2018年には連続してプレーオフを逃し、アダム・ゲイズは解雇された。後任はニューイングランド・ペイトリオッツのプレーコーラーを務めていたブライアン・フローレスとなった。2019年3月、ドラフト指名権とのトレードでライアン・タネヒルをテネシー・タイタンズへ放出した[注 6]。4月、アリゾナ・カージナルスのQBジョシュ・ローゼンをドラフト指名権とのトレードで獲得した。この年は地区最下位となった。
2020年は前年に獲得したライアン・フィッツパトリックとドラフト1巡目(全体5位)ルーキーのトゥア・タゴヴァイロアの2人のQBが先発試合を分け合い、10勝を挙げながらもプレーオフを逃した。
2021年は開幕戦の勝利の後7連敗を喫したが、その後は7連勝を重ねたものの、地区3位となり5年連続してプレーオフを逃した。シーズン直後、HCのフローレスが解雇された。後任にはサンフランシスコ・フォーティーナイナーズのOCマイク・マクダニエルが就任した。2022年3月24日、WRタイリーク・ヒルをカンザスシティ・チーフスから2022年のNFLドラフト1巡目(全体29番目)、2巡目、4巡目、さらに2023年のNFLドラフト4巡目、6巡目と交換にトレードで得た[21]。
マイク・マクダニエルの時代
[編集]2022年2月、前HCのフローレスはドルフィンズ、ジャイアンツ、ブロンコス、そしてリーグを相手取って集団訴訟を起こした[22]。コーチ雇用に関してジャイアンツとブロンコスに人種差別的な行動があったと主張し、ドルフィンズのオーナーはドラフトでの上位順位を得るために意図的に試合に負けるよう促して負けるごとに賞金を出し、さらにはFAになる前の選手と接触するよう促したと主張している。他の元NFLコーチも原告として訴訟に参加している。
2022年は、終盤で5連敗を喫し、さらに最後の2試合はタゴヴァイロアが脳震盪プロトコルでの対象となって欠けるも、最終戦でジェッツに勝利して第7シードのワイルドカードで6年ぶりにプレーオフ進出を果たした。プレーオフ初戦ではトンプソンが先発QBとなり、ビルズに敗れた。DCジョシュ・ボイヤーを解雇した。
2023年は第16週にプレーオフ進出を決めた。地区首位で迎え、地区2位のビルズ相手の勝てば第2シードとなるはずの最終試合では第4QTRまで14-7とリードするも、ハーティーの96ヤード・パントリターン・タッチダウンで同点に追いつかれ、その後逆転されて地区2位に落ち、第6シードでプレーオフに進んだ。プレーオフ初戦でカンザスシティ・チーフスに敗れた。
チーム施設
[編集]練習場
[編集]チームの練習場と球団本部は、同じマイアミ都市圏のデイビーに置かれている。1993年、ノバ・サウスイースタン大学の構内にチーム専用のトレーニング施設を開設し、2006年には「ザ・バブル」と呼ばれるドーム型のフィールドが建てられた。しかし、2021年、ハードロック・スタジアム(マイアミガーデンズ)北西側に1億3500万ドルかけて建築した新しいトレーニング施設「バプティスト・ヘルス・トレーニング・コンプレックス」に移転予定である。
文化
[編集]マスコット
[編集]チームの公式マスコットは、T.D.(The Dolphin)。チーム公式サイトによると、1997年4月18日にジミー・ジョンソン前ヘッドコーチがサインしたと書かれている。初出場は、1997年8月10日のシカゴ・ベアーズ戦。2001年にはオハイオ州カントンで開催されたホール・オブ・フェイム・ゲームにNFLのマスコットとして初めて参加した。2005年の春節パレードin香港に招待されて参加した。他にも、2015年5月2日にイリノイ州シカゴで行われた2015 NFLドラフトタウンに招かれている。
チアリーディング
[編集]チーム公式のチアリーディングチームのマイアミ・ドルフィンズ・チアリーダーズ(Miami Dolphins Cheerleaders)は、試合日などにハードロック・スタジアムで様々なダンスを披露している。毎年、プロボウルにチアリーダーを送っている。また、毎年インディアン・プレミアリーグに多くの卒業生を送っている。
2024年シーズン
AFC | NFC | |||||||
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前年 | 西地区 | 南地区 | 北地区 | 東地区 | 西地区 | 南地区 | 北地区 | 東地区 |
1位 | チーフス | テキサンズ | レイブンズ | ビルズ | 49ers | バッカニアーズ | ライオンズ | カウボーイズ |
2位 | レイダース | ジャガーズ | ブラウンズ | ドルフィンズ | ラムズ | セインツ | パッカーズ | イーグルス |
3位 | ブロンコス | コルツ | スティーラーズ | ジェッツ | シーホークス | ファルコンズ | バイキングス | ジャイアンツ |
4位 | チャージャーズ | タイタンズ | ベンガルズ | ペイトリオッツ | カージナルス | パンサーズ | ベアーズ | コマンダース |
:1度対戦 :2度対戦
年 | 成績 | AFC | 地区 | 勝 | 敗 | 分 | 率 | Div | Con | 総得点 | 総失点 | 平均得点 | 平均失点 | SOS | SOV |
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2024 | 9位 | 2位 | 7 | 8 | 0 | .467 | 3-2 | 5-5 | 305 | 329 | 20.3 | 21.9 | .442 | .295 | |
2023 | ワイルドカード敗退 | 6位 | 2位 | 11 | 6 | 0 | .647 | 4–2 | 7–5 | 496 | 391 | 29.2 | 23.0 | .450 | .358 |
2022 | ワイルドカード敗退 | 7位 | 2位 | 9 | 8 | 0 | .529 | 3-3 | 7-5 | 397 | 399 | 23.4 | 23.5 | .537 | .457 |
2021 | レギュラー敗退 | 9位 | 3位 | 9 | 8 | 0 | .529 | 4-2 | 6-6 | 341 | 373 | 20.1 | 21.9 | .464 | .379 |
2020 | レギュラー敗退 | 8位 | 2位 | 10 | 6 | 0 | .625 | 3-3 | 7-5 | 404 | 338 | 25.3 | 21.1 | .467 | .347 |
2019 | レギュラー敗退 | 15位 | 4位 | 5 | 11 | 0 | .313 | 2-4 | 4-8 | 306 | 494 | 19.1 | 30.9 | .484 | .463 |
2018 | レギュラー敗退 | 10位 | 2位 | 7 | 9 | 0 | .438 | 4–2 | 6–6 | 319 | 433 | 19.9 | 27.1 | .469 | .446 |
2017 | レギュラー敗退 | 11位 | 3位 | 6 | 10 | 0 | .375 | 2-4 | 5-7 | 281 | 393 | 17.6 | 24.6 | .543 | .531 |
2016 | ワイルドカード敗退 | 6位 | 2位 | 10 | 6 | 0 | .625 | 4-2 | 7-5 | 363 | 380 | 22.7 | 23.8 | .455 | .341 |
2015 | レギュラー敗退 | 11位 | 4位 | 6 | 10 | 0 | .375 | 1-5 | 4-8 | 310 | 389 | 19.4 | 24.3 | .469 | .469 |
2014 | レギュラー敗退 | 11位 | 3位 | 8 | 8 | 0 | .500 | 3-3 | 6-6 | 388 | 373 | 24.3 | 23.3 | .512 | .406 |
2013 | レギュラー敗退 | 10位 | 3位 | 8 | 8 | 0 | .500 | 2-4 | 7-5 | 317 | 335 | 19.8 | 20.9 | .523 | .523 |
2012 | レギュラー敗退 | 9位 | 2位 | 7 | 9 | 0 | .438 | 2-4 | 5-7 | 288 | 317 | 18.0 | 19.8 | .500 | .415 |
2011 | レギュラー敗退 | 12位 | 3位 | 6 | 10 | 0 | .375 | 3-3 | 5-7 | 329 | 313 | 20.6 | 19.6 | .504 | .417 |
2010 | レギュラー敗退 | 10位 | 3位 | 7 | 9 | 0 | .438 | 5-7 | 5-7 | 275 | 332 | 17.2 | 20.8 | .539 | .438 |
2009 | レギュラー敗退 | 11位 | 3位 | 7 | 9 | 0 | .438 | 4-2 | 5-7 | 360 | 390 | 22.5 | 24.4 | .559 | .464 |
2008 | ワイルドカード敗退 | 3位 | 1位 | 11 | 5 | 0 | .688 | 4-2 | 8-4 | 345 | 317 | 21.6 | 19.8 | .461 | .398 |
2007 | レギュラー敗退 | 16位 | 4位 | 1 | 15 | 0 | .063 | 1-7 | 1-11 | 267 | 437 | 16.7 | 27.3 | ||
2006 | レギュラー敗退 | 14位 | 4位 | 6 | 10 | 0 | .375 | 1-5 | 3-9 | 260 | 283 | 16.3 | 17.7 | ||
2005 | レギュラー敗退 | 8位 | 2位 | 9 | 7 | 0 | .563 | 3-3 | 7-5 | 318 | 317 | 19.9 | 19.8 | ||
2004 | レギュラー敗退 | 15位 | 4位 | 4 | 12 | 0 | .250 | 1-5 | 2-10 | 275 | 354 | 17.2 | 22.1 |
2024年シーズン成績
AFC東地区 2024 | ||||||||||||||
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チーム | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | Div | Con | 総得点 | 総失点 | 平均得点 | 平均失点 | SOS | SOV | 残試合 | |
(y)バッファロー・ビルズ | 12 | 3 | 0 | .800 | 4-0 | 8-2 | 469 | 331 | 31.3 | 22.1 | .489 | .456 | 2 | |
マイアミ・ドルフィンズ | 7 | 8 | 0 | .467 | 3-2 | 5-5 | 305 | 329 | 20.3 | 21.9 | .442 | .295 | 2 | |
ニューヨーク・ジェッツ | 4 | 11 | 0 | .267 | 1-3 | 4-6 | 292 | 344 | 19.5 | 22.9 | .484 | .300 | 2 | |
ニューイングランド・ペイトリオッツ | 3 | 12 | 0 | .200 | 1-4 | 2-8 | 259 | 361 | 17.3 | 24.1 | .431 | .333 | 2 |
AFC 2024 | ||||||||||
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順 位 |
チーム | 地 区 |
勝 | 敗 | 分 | 勝率 | DIV | CON | SOS | SOV |
地区1位 | ||||||||||
1 | y-チーフス | 西 | 14 | 1 | 0 | .933 | 5-0 | 9-1 | .471 | .447 |
2 | y-ビルズ | 東 | 12 | 3 | 0 | .800 | 4-0 | 8-2 | .489 | .456 |
3 | x-スティーラーズ | 北 | 10 | 5 | 0 | .667 | 3-2 | 7-3 | .460 | .433 |
4 | y-テキサンズ | 南 | 9 | 6 | 0 | .600 | 4-1 | 7-3 | .489 | .388 |
ワイルドカード圏内 | ||||||||||
5 | x-レイブンズ | 北 | 10 | 5 | 0 | .667 | 3-2 | 6-4 | .547 | .541 |
6 | チャージャーズ | 西 | 9 | 6 | 0 | .600 | 3-2 | 6-4 | .511 | .381 |
7 | ブロンコス | 西 | 9 | 6 | 0 | .600 | 2-3 | 5-5 | .471 | .338 |
プレーオフ圏外 | ||||||||||
8 | コルツ | 南 | 7 | 8 | 0 | .467 | 2-3 | 6-5 | .500 | .324 |
9 | ドルフィンズ | 東 | 7 | 8 | 0 | .467 | 3-2 | 5-5 | .442 | .295 |
10 | ベンガルズ | 北 | 7 | 8 | 0 | .467 | 2–3 | 4–6 | .455 | .231 |
11 | ジェッツ | 東 | 4 | 11 | 0 | .267 | 1-3 | 4-6 | .484 | .300 |
12 | ブラウンズ | 北 | 3 | 12 | 0 | .200 | 2–3 | 3–7 | .525 | .511 |
13 | ジャガーズ | 南 | 3 | 12 | 0 | .200 | 2-2 | 3-7 | .500 | .289 |
14 | タイタンズ | 南 | 3 | 12 | 0 | .200 | 1-3 | 3-7 | .527 | .422 |
15 | レイダース | 西 | 3 | 12 | 0 | .200 | 0-5 | 3-8 | .554 | .356 |
16 | ペイトリオッツ | 東 | 3 | 12 | 0 | .200 | 1-4 | 2-8 | .431 | .333 |
タイブレーク | ||||||||||
参照 | ||||||||||
z - 第1シード確定・プレーオフ1回戦免除 | ||||||||||
y - 地区優勝 | ||||||||||
x - プレーオフ確定 | ||||||||||
w - ワイルドカード確定 | ||||||||||
暗転 - レギュラーシーズン敗退 |
ワイルドカード・プレーオフ | ディビジョナル・プレーオフ | |||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2025年1月11日か12日か13日 |
1月18日か19日 |
1月26日 |
2月9日 シーザーズ・スーパードーム | |||||||||||||||
6 | ||||||||||||||||||
3 | ||||||||||||||||||
2025年1月11日か12日か13日 |
||||||||||||||||||
7 | AFC | |||||||||||||||||
2 | 1月18日か19日 | |||||||||||||||||
2025年1月11日か12日か13日 |
||||||||||||||||||
AFCチャンピオンシップ | ||||||||||||||||||
1月26日 | ||||||||||||||||||
5 | ||||||||||||||||||
4 | ||||||||||||||||||
1 | ||||||||||||||||||
2025年1月11日か12日か13日 | ||||||||||||||||||
1月18日か19日 | ||||||||||||||||||
6 | 第59回スーパーボウル | |||||||||||||||||
3 | ||||||||||||||||||
2025年1月11日か12日か13日 |
||||||||||||||||||
7 | NFC | |||||||||||||||||
2 | 1月18日か19日 | |||||||||||||||||
2025年1月11日か12日か13日 |
||||||||||||||||||
NFCチャンピオンシップ | ||||||||||||||||||
5 | ||||||||||||||||||
4 | ||||||||||||||||||
1 | ||||||||||||||||||
成績
[編集]AFC東地区(4地区制)
[編集]- BUF:バッファロー・ビルズ、MIA:マイアミ・ドルフィンズ、NE:ニューイングランド・ペイトリオッツ、NYJ:ニューヨーク・ジェッツ
- 数字:シード順
- v:スーパーボウル優勝
- s:スーパーボウル敗退
- c:カンファレンス決勝敗退
- d:ディビジョナルプレーオフ敗退
- w:ワイルドカードプレーオフ敗退
- 年表示の背景色が変わっている年はチームがスーパーボウルを制覇した年
年 | 地区優勝 | 2位 | 3位 | 4位 | ||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | |
2024 | BUF | |||||||||||||||
2023 | BUF(2d) | 11 | 6 | 0 | MIA(6w) | 11 | 6 | 0 | NYJ | 7 | 10 | 0 | NE | 4 | 13 | 0 |
2022 | BUF(2d) | 13 | 3 | 0 | MIA(7w) | 9 | 8 | 0 | NE | 8 | 9 | 0 | NYJ | 7 | 10 | 0 |
2021 | BUF(3d) | 11 | 6 | 0 | NE (6w) | 10 | 7 | 0 | MIA | 9 | 8 | 0 | NYJ | 4 | 13 | 0 |
2020 | BUF(2c) | 13 | 3 | 0 | MIA | 10 | 6 | 0 | NE | 7 | 9 | 0 | NYJ | 2 | 14 | 0 |
2019 | NE (3w) | 12 | 4 | 0 | BUF(5w) | 10 | 6 | 0 | NYJ | 7 | 9 | 0 | MIA | 5 | 11 | 0 |
2018 | NE (2v) | 11 | 5 | 0 | MIA | 7 | 9 | 0 | BUF | 6 | 10 | 0 | NYJ | 4 | 12 | 0 |
2017 | NE (1s) | 13 | 3 | 0 | BUF(6w) | 9 | 7 | 0 | MIA | 6 | 10 | 0 | NYJ | 5 | 11 | 0 |
2016 | NE (1v) | 14 | 2 | 0 | MIA(6w) | 10 | 6 | 0 | BUF | 7 | 9 | 0 | NYJ | 5 | 11 | 0 |
2015 | NE (2c) | 12 | 4 | 0 | NYJ | 10 | 6 | 0 | BUF | 8 | 8 | 0 | MIA | 5 | 11 | 0 |
2014 | NE (1v) | 12 | 4 | 0 | BUF | 9 | 7 | 0 | MIA | 8 | 8 | 0 | NYJ | 4 | 12 | 0 |
2013 | NE (2c) | 12 | 4 | 0 | NYJ | 8 | 8 | 0 | MIA | 8 | 8 | 0 | BUF | 6 | 10 | 0 |
2012 | NE (2c) | 12 | 4 | 0 | MIA | 7 | 9 | 0 | NYJ | 6 | 10 | 0 | BUF | 6 | 10 | 0 |
2011 | NE (1s) | 13 | 3 | 0 | NYJ | 8 | 8 | 0 | MIA | 6 | 10 | 0 | BUF | 6 | 10 | 0 |
2010 | NE (1d) | 14 | 2 | 0 | NYJ(6c) | 11 | 5 | 0 | MIA | 7 | 9 | 0 | BUF | 4 | 12 | 0 |
2009 | NE (3w) | 10 | 6 | 0 | NYJ(5c) | 9 | 7 | 0 | MIA | 7 | 9 | 0 | BUF | 6 | 10 | 0 |
2008 | MIA(3w) | 11 | 5 | 0 | NE | 11 | 5 | 0 | NYJ | 9 | 7 | 0 | BUF | 7 | 9 | 0 |
2007 | NE (1s) | 16 | 0 | 0 | BUF | 7 | 9 | 0 | NYJ | 4 | 12 | 0 | MIA | 1 | 15 | 0 |
2006 | NE (4c) | 12 | 4 | 0 | NYJ(5w) | 10 | 6 | 0 | BUF | 7 | 9 | 0 | MIA | 6 | 10 | 0 |
2005 | NE (4d) | 10 | 6 | 0 | MIA | 9 | 7 | 0 | BUF | 5 | 11 | 0 | NYJ | 4 | 12 | 0 |
2004 | NE (2v) | 14 | 2 | 0 | NYJ(5d) | 10 | 6 | 0 | BUF | 9 | 7 | 0 | MIA | 4 | 12 | 0 |
2003 | NE (1v) | 14 | 2 | 0 | MIA | 10 | 6 | 0 | BUF | 6 | 10 | 0 | NYJ | 6 | 10 | 0 |
2002 | NYJ(4d) | 9 | 7 | 0 | NE | 9 | 7 | 0 | MIA | 9 | 7 | 0 | BUF | 8 | 8 | 0 |
AFC東地区(3地区制)
[編集]- BUF:バッファロー・ビルズ、MIA:マイアミ・ドルフィンズ、BOS→NE:ボストン・ペイトリオッツ→ニューイングランド・ペイトリオッツ、NYJ:ニューヨーク・ジェッツ、BAL→IND:ボルチモア・コルツ→インディアナポリス・コルツ
- 1982年シーズンはストライキの影響により、地区別成績ではなくカンファレンス上位8チームがプレイオフ進出するルールであったが、ここでは地区別に変換して表記する。
- 括弧内の数字はプレイオフ出場時のシード順(シード制導入前は表記なし)、文字はv:スーパーボウル優勝、s:スーパーボウル敗退・カンファレンス優勝、c:カンファレンス決勝敗退、d:ディビジョナルプレーオフ敗退、w:ワイルドカードプレイオフ敗退。1982年についてはd:2回戦敗退、w:1回戦敗退。
年 | 地区優勝 | 2位 | 3位 | 4位 | 5位 | |||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | |
2001 | NE(2v) | 11 | 5 | 0 | MIA(4w) | 11 | 5 | 0 | NYJ(6w) | 10 | 6 | 0 | IND | 6 | 10 | 0 | BUF | 3 | 13 | 0 |
2000 | MIA(3d) | 11 | 5 | 0 | IND(6w) | 10 | 6 | 0 | NYJ | 9 | 7 | 0 | BUF | 8 | 8 | 0 | NE | 5 | 11 | 0 |
1999 | IND(2d) | 13 | 3 | 0 | BUF(5w) | 11 | 5 | 0 | MIA(6d) | 9 | 7 | 0 | NYJ | 8 | 8 | 0 | NE | 8 | 8 | 0 |
1998 | NYJ(2c) | 12 | 4 | 0 | MIA(4d) | 10 | 6 | 0 | BUF(5w) | 10 | 6 | 0 | NE(6w) | 9 | 7 | 0 | IND | 3 | 13 | 0 |
1997 | NE(3d) | 10 | 6 | 0 | MIA(6w) | 9 | 7 | 0 | NYJ | 9 | 7 | 0 | BUF | 6 | 10 | 0 | IND | 3 | 13 | 0 |
1996 | NE(2s) | 11 | 5 | 0 | BUF(4w) | 10 | 6 | 0 | IND(6w) | 9 | 7 | 0 | MIA | 8 | 8 | 0 | NYJ | 1 | 15 | 0 |
1995 | BUF(3d) | 10 | 6 | 0 | IND(5c) | 9 | 7 | 0 | MIA(6w) | 9 | 7 | 0 | NE | 6 | 10 | 0 | NYJ | 3 | 13 | 0 |
1994 | MIA(3d) | 10 | 6 | 0 | NE(5w) | 10 | 6 | 0 | IND | 8 | 8 | 0 | BUF | 7 | 9 | 0 | NYJ | 6 | 10 | 0 |
1993 | BUF(1s) | 12 | 4 | 0 | MIA | 9 | 7 | 0 | NYJ | 8 | 8 | 0 | NE | 5 | 11 | 0 | IND | 4 | 12 | 0 |
1992 | MIA(2c) | 11 | 5 | 0 | BUF(4s) | 11 | 5 | 0 | IND | 9 | 7 | 0 | NYJ | 4 | 12 | 0 | NE | 2 | 14 | 0 |
1991 | BUF(1s) | 13 | 3 | 0 | NYJ(6w) | 8 | 8 | 0 | MIA | 8 | 8 | 0 | NE | 6 | 10 | 0 | IND | 1 | 15 | 0 |
1990 | BUF(1s) | 13 | 3 | 0 | MIA(4d) | 12 | 4 | 0 | IND | 7 | 9 | 0 | NYJ | 6 | 10 | 0 | NE | 1 | 15 | 0 |
1989 | BUF(3d) | 9 | 7 | 0 | IND | 8 | 8 | 0 | MIA | 8 | 8 | 0 | NE | 5 | 11 | 0 | NYJ | 4 | 12 | 0 |
1988 | BUF(2c) | 12 | 4 | 0 | IND | 9 | 7 | 0 | NE | 9 | 7 | 0 | NYJ | 8 | 7 | 1 | MIA | 6 | 10 | 0 |
1987 | IND(3d) | 9 | 6 | 0 | NE | 8 | 7 | 0 | MIA | 8 | 7 | 0 | BUF | 7 | 8 | 0 | NYJ | 6 | 9 | 0 |
1986 | NE(3d) | 11 | 5 | 0 | NYJ(4d) | 10 | 6 | 0 | MIA | 8 | 8 | 0 | BUF | 4 | 12 | 0 | IND | 3 | 13 | 0 |
1985 | MIA(2c) | 12 | 4 | 0 | NYJ(4w) | 11 | 5 | 0 | NE(5s) | 11 | 5 | 0 | IND | 5 | 11 | 0 | BUF | 2 | 14 | 0 |
1984 | MIA(1s) | 14 | 2 | 0 | NE | 9 | 7 | 0 | NYJ | 7 | 9 | 0 | IND | 4 | 12 | 0 | BUF | 2 | 14 | 0 |
1983 | MIA(2d) | 12 | 4 | 0 | NE | 8 | 8 | 0 | BUF | 8 | 8 | 0 | BAL | 7 | 9 | 0 | NYJ | 7 | 9 | 0 |
1982 | MIA(2s) | 7 | 2 | 0 | NYJ(6c) | 6 | 3 | 0 | NE(7w) | 5 | 4 | 0 | BUF | 4 | 5 | 0 | BAL | 0 | 8 | 1 |
1981 | MIA(2d) | 11 | 4 | 1 | NYJ(4w) | 10 | 5 | 1 | BUF(5d) | 10 | 6 | 0 | BAL | 2 | 14 | 0 | NE | 2 | 14 | 0 |
1980 | BUF(3d) | 11 | 5 | 0 | NE | 10 | 6 | 0 | MIA | 8 | 8 | 0 | BAL | 7 | 9 | 0 | NYJ | 4 | 12 | 0 |
1979 | MIA(3d) | 10 | 6 | 0 | NE | 9 | 7 | 0 | NYJ | 8 | 8 | 0 | BUF | 7 | 9 | 0 | BAL | 5 | 11 | 0 |
1978 | NE(2d) | 11 | 5 | 0 | MIA(4w) | 11 | 5 | 0 | NYJ | 8 | 8 | 0 | BUF | 5 | 11 | 0 | BAL | 5 | 11 | 0 |
1977 | BAL(2d) | 10 | 4 | 0 | MIA | 10 | 4 | 0 | NE | 9 | 5 | 0 | BUF | 3 | 11 | 0 | NYJ | 3 | 11 | 0 |
1976 | BAL(2d) | 11 | 3 | 0 | NE(4d) | 11 | 3 | 0 | MIA | 6 | 8 | 0 | NYJ | 3 | 11 | 0 | BUF | 2 | 12 | 0 |
1975 | BAL(3d) | 10 | 4 | 0 | MIA | 10 | 4 | 0 | BUF | 8 | 6 | 0 | NYJ | 3 | 11 | 0 | NE | 3 | 11 | 0 |
1974 | MIA(d) | 11 | 3 | 0 | BUF(d) | 9 | 5 | 0 | NE | 7 | 7 | 0 | NYJ | 7 | 7 | 0 | BAL | 2 | 12 | 0 |
1973 | MIA(v) | 12 | 2 | 0 | BUF | 9 | 5 | 0 | NE | 5 | 9 | 0 | NYJ | 4 | 10 | 0 | BAL | 4 | 10 | 0 |
1972 | MIA(v) | 14 | 0 | 0 | NYJ | 7 | 7 | 0 | BAL | 5 | 9 | 0 | BUF | 4 | 9 | 1 | NE | 3 | 11 | 0 |
1971 | MIA(s) | 10 | 3 | 1 | BAL(c) | 10 | 4 | 0 | NE | 6 | 8 | 0 | NYJ | 6 | 8 | 0 | BUF | 1 | 13 | 0 |
1970 | BAL(v) | 11 | 2 | 1 | MIA(d) | 10 | 4 | 0 | NYJ | 4 | 10 | 0 | BUF | 3 | 10 | 1 | BOS | 2 | 12 | 0 |
AFL東地区
[編集]- BUF:バッファロー・ビルズ、HOU:ヒューストン・オイラーズ、BOS:ボストン・ペイトリオッツ、NY:ニューヨーク・ジェッツ、MIA:マイアミ・ドルフィンズ
- 括弧内の文字はV:スーパーボウル(AFL-NFLワールドチャンピオンシップゲーム)優勝、s:スーパーボウル敗退・AFL優勝、a:AFL決勝敗退、d:ディビジョナルプレイオフ敗退、v:AFL優勝(AFL-NFLワールドチャンピオンシップゲーム設立前)
年 | 地区優勝 | 2位 | 3位 | 4位 | 5位 | |||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | |
1969 | NY(d) | 10 | 4 | 0 | HOU(d) | 6 | 6 | 2 | BOS | 4 | 10 | 0 | BUF | 4 | 10 | 0 | MIA | 3 | 10 | 1 |
1968 | NY(V) | 11 | 3 | 0 | HOU | 7 | 7 | 0 | MIA | 5 | 8 | 1 | BOS | 4 | 10 | 0 | BUF | 1 | 12 | 1 |
1967 | HOU(a) | 9 | 4 | 1 | NY | 8 | 5 | 1 | BUF | 4 | 10 | 0 | MIA | 4 | 10 | 0 | BOS | 3 | 10 | 1 |
1966 | BUF(a) | 9 | 4 | 1 | BOS | 8 | 4 | 2 | NY | 6 | 6 | 2 | HOU | 3 | 11 | 0 | MIA | 3 | 11 | 0 |
主な選手
[編集]現役選手
[編集]クォーターバック
ランニングバック
ワイドレシーバー
タイトエンド |
オフェンシブライン
ディフェンシブライン
|
ラインバッカー
ディフェンスバック
スペシャルチーム
|
Roster December 21, 2024現在
|
永久欠番
[編集]マイアミ・ドルフィンズ 永久欠番一覧 | ||||
背番号 | 選手 | ポジション | 在籍期間 | |
---|---|---|---|---|
12 | ボブ・グリーシー | Bob Griese | QB | 1967–1980 |
13 | ダン・マリーノ | Dan Marino | QB | 1983–1999 |
39 | ラリー・ゾンカ | Larry Csonka | FB | 1968-1974, 1979 |
永久欠番にはなっていないものの、選手への敬意を込めて以下の背番号は現在使用されていない。
- 54 ザック・トーマス(Zach Thomas)、LB、1996-2007
- 99 ジェイソン・テイラー(Jason Taylor)、DE / LB、1997-2007, 2009, 2011
-
ダン・マリーノ
プロフットボール殿堂入り
[編集]プロフットボール殿堂入りメンバー一覧 | |||||
選手 | |||||
---|---|---|---|---|---|
背番号 | 名前 | ポジション | 在籍期間 | 選出年 | |
42 | ポール・ウォーフィールド | Paul Warfield | WR | 1970–1974 | 1983 |
39 | ラリー・ゾンカ | Larry Csonka | FB | 1968–1974, 1979 | 1987 |
62 | ジム・ランガー | Jim Langer | C | 1970–1979 | 1987 |
12 | ボブ・グリーシー | Bob Griese | QB | 1967–1980 | 1990 |
66 | ラリー・リトル | Larry Little | OG | 1969–1980 | 1993 |
57 | ドワイト・スティーブンソン | Dwight Stephenson | C | 1980–1987 | 1998 |
85 | ニック・ブオニコンティ | Nick Buoniconti | LB | 1969–1974, 1976 | 2001 |
13 | ダン・マリーノ | Dan Marino | QB | 1983–1999 | 2005 |
34 | サーマン・トーマス | Thurman Thomas | RB | 2000 | 2007 |
88 | クリス・カーター | Cris Carter | WR | 2002 | 2013 |
55 | ジュニア・セアウ | Junior Seau | LB | 2003–2005 | 2015 |
99 | ジェイソン・テイラー | Jason Taylor | DE | 1997–2007, 2009, 2011 | 2017 |
コーチ・エグゼクティブ | |||||
名前 | 役職 | 在籍期間 | 選出年 | ||
347 | ドン・シュラ | Don Shula | ヘッドコーチ | 1970–1995 | 1997 |
ビル・パーセルズ | Bill Parcells | エグゼクティブ副社長 | 2008–2010 | 2013 | |
ボビー・ベサード | Bobby Beathard | ディレクター | 1972–1977 | 2018 | |
ジミー・ジョンソン | Jimmy Johnson | ヘッドコーチ | 1996–1999 | 2020 | |
ジョージ・ヤング | George Young | スカウト | 1975–1978 | 2020 |
注)ドン・シュラの番号 347 は、コーチとしてのNFL勝利数。(ドルフィンズでは 276 勝)
オナー・ロール
[編集]歴代ヘッドコーチ
[編集]- ジョージ・ウィルソン (1966-1969)
- ドン・シュラ (1970-1995)
- ジミー・ジョンソン (1996-1999)
- デイブ・ウォンステッド (2000-2004)
- ジム・ベイツ (2004暫定HC)
- ニック・セイバン (2005-2006)
- キャム・キャメロン (2007)
- トニー・スパラノ (2008-2011)
- トッド・ボウルス (2011暫定HC)
- ジョー・フィルビン (2012-2015)
- ダン・キャンベル (2015暫定HC)
- アダム・ゲイズ (2016-2018)
- ブライアン・フローレス (2019-2021)
- マイク・マクダニエル (2022-)
-
ドン・シュラ(2009年)
-
ニック・セイバン
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “最終ゲームで達成された2つの偉大な記録”. NFL JAPAN (2010年12月16日). 2010年12月19日閲覧。
- ^ Brian Ditullio (2010年12月2日). “Dolphins Vs. Raiders (Sea Of Hands)”. bleacherreport.com. 2013年8月4日閲覧。
- ^ “リーグ史上に残るオーバータイム名勝負トップ5”. NFL JAPAN (2011年7月19日). 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年8月2日閲覧。
- ^ a b “チーム別ドラフト成功トップ5 -ドルフィンズ-”. NFL JAPAN (2013年4月12日). 2013年4月14日閲覧。
- ^ Alex Marvez (1999年10月28日). “Marino Out, Huard In For 2 More Weeks”. サン・センティネル. 2014年3月4日閲覧。
- ^ a b “昨季1勝から大躍進、ドルフィンズ復活の6つの理由とは?”. NFL JAPAN (2008年12月7日). 2011年12月25日閲覧。
- ^ “4人の新ヘッドコーチが挑戦”. NFL JAPAN. 2011年12月25日閲覧。
- ^ “ドルフィンズ ペイトリオッツの連勝記録止める”. AFP (2008年9月22日). 2008年9月22日閲覧。
- ^ “ドルフィンズ、DEダグラスと2年契約で合意”. NFL JAPAN (2010年7月24日). 2011年12月25日閲覧。
- ^ “ドルフィンズ快勝、地区優勝争いに踏みとどまる”. NFL JAPAN (201-11-29). 2011年12月25日閲覧。
- ^ “【第16週プレビュー】ドルフィンズ、手負いの獅子退治で勝率5割を”. NFL JAPAN (2010年12月25日). 2011年12月25日閲覧。
- ^ “年俸27倍増! ドルフィンズDTソリアイが契約延長”. NFL JAPAN (2011年2月27日). 2011年12月25日閲覧。
- ^ “ドルフィンズに痛手、先発QBヘニーが今季絶望に”. NFL JAPAN (2011年10月7日). 2011年12月25日閲覧。
- ^ “ドルフィンズ、ついにスパラノHCを解任”. NFL JAPAN (2011年12月13日). 2011年12月25日閲覧。
- ^ “RBブッシュがラン203ヤード、ドルフィンズ新体制で勝利”. NFL JAPAN (2011年12月19日). 2011年12月25日閲覧。
- ^ “レイダース、新指揮官候補にドルフィンズ暫定HC浮上”. NFL JAPAN (2012年1月12日). 2012年1月21日閲覧。
- ^ “新HC就任のドルフィンズ、正QB候補にパッカーズのフリン”. NFL JAPAN (2012年1月21日). 2012年1月21日閲覧。
- ^ “ドルフィンズHC、Gインコグニート出場停止処分に言及”. NFL JAPAN (2013年11月5日). 2013年11月13日閲覧。
- ^ “ドルフィンズQBタネヒル、「インコグニートは良いチームメイト」”. NFL JAPAN (2013年11月7日). 2013年11月13日閲覧。
- ^ “いじめ問題の調査結果、トレーナーへの人種差別も発覚か”. NFL JAPAN (2014年2月15日). 2014年2月16日閲覧。
- ^ “Chiefs trading WR Tyreek Hill to Dolphins for multiple draft picks, including 2022 first-rounder”. NFL. 2022年3月24日閲覧。
- ^ Belson, Ken; Vrentas, Jenny (2022年2月1日). “Brian Flores Sues N.F.L., Claiming Bias in Giants Coaching Search” (英語). The New York Times. ISSN 0362-4331 2022年2月2日閲覧。
関連項目
[編集]- マッド・ボウル - 1983年1月23日のAFCチャンピオンシップゲーム、マイアミ・オレンジボウルで行われたニューヨーク・ジェッツとの試合。試合開始前に大雨が降りぬかるんだフィールドでドルフィンズがジェッツを破ったが、試合終了後にジェッツはドルフィンズのヘッドコーチ、ドン・シュラがジェッツのパワーランをドルフィンズのキラーBディフェンスで封じるため意図的に雨が降ったのにフィールドにカバーをしなかったのではないかと抗議した。
- Whale Whores - アニメ「サウスパーク」のエピソード。チーム名が「ドルフィン」であることから、イルカ繋がりで日本人の襲撃を受ける。