コンテンツにスキップ

ベネトン・B186

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ベネトン・B186
カテゴリー F1
コンストラクター ベネトン
デザイナー ロリー・バーン
先代 トールマン・TG185
後継 ベネトン・B187
主要諸元[1]
シャシー カーボンファイバー コンポジット モノコック
サスペンション(前) ダブルウィッシュボーン, プルロッド
サスペンション(後) ダブルウィッシュボーン, プッシュロッド
トレッド 前:1,816 mm (71.5 in)
後:1,683 mm (66.3 in)
ホイールベース 2,743 mm (108.0 in)
エンジン BMW・M12/13, 1,499 cc (91.5 cu in), 直列4気筒, ターボ, ミッドエンジン, 縦置き
トランスミッション ベネトン製 6速 MT
重量 548 kg (1,208 lb)
燃料 BMW ヴィンテルスハル
タイヤ ピレリ
主要成績
チーム ベネトン・フォーミュラ Ltd
ドライバー 19. イタリアの旗 テオ・ファビ
20. オーストリアの旗 ゲルハルト・ベルガー
コンストラクターズタイトル 0
ドライバーズタイトル 0
初戦 1986年ブラジルグランプリ
初勝利 1986年メキシコグランプリ
出走優勝ポールFラップ
16123
テンプレートを表示

ベネトンB186 (Benetton B186) は、ベネトン・フォーミュラ1986年のF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラ1カーロリー・バーンを責任者として設計された。

概要

[編集]

前年までトールマンとして活動していたチームを、同チームのスポンサーだったベネトンが買収し、ベネトン・フォーミュラチームとして参戦した初年度のマシンである。

エンジン

[編集]

前年トールマンが使用していたハートエンジンをやめ、BMW直4ターボエンジンを搭載した。ハートからBMWへの変更が決まったのが遅かったため、バーンは前年の10月までB186の設計に取り掛かかることができなかった[2]。搭載エンジンの変更はドライバー人事にも影響を及ぼし、テオ・ファビは前年からの継続であったが、そのチームメイトにはBMWの秘蔵っ子と呼ばれていた[3]ゲルハルト・ベルガーアロウズより移籍加入した。

1986年シーズン

[編集]

バーンは前作のTG185よりもB186ではフロントノーズを細めに設計し、空力抵抗の低減を図った[4]。B186の直線スピードは速く、低中速コースでは苦戦したが、エステルライヒリンクモンツァなどの高速コースの予選アタックでは他チームを寄せ付けない直線スピードを見せ、テオ・ファビが連続ポール・ポジションを獲得[5]。モンツァで行われたイタリアGPでは、ベネトンの使用していたBMWエンジンは予選時に5.5バールの記録的な高過給圧で1350馬力を発生し[6][注釈 1]、ベルガーが351km/hの最高速を記録した[5]ほか、第5戦ベルギーGP予選でのフロントロー、ベルガーにより2度のファステストラップ第10戦ドイツGP・第12戦イタリアGP)など、リタイヤも多かったがB186は速さで存在をアピールした[3]

第15戦メキシコGPでは、タイヤ無交換作戦で他チームを出し抜き[注釈 2]、B186でベルガーがF1初優勝を挙げた。これはベネトンチームにとっても初優勝であり、バーンにとっても自身のデザインしたF1マシンで初めて得た勝利となった。

カラーリングは車体前半がベネトンのイメージカラーの緑色で、エンジンカウル上には筆で様々な色をなぞった様な模様があるポップなデザインだった。

設計者であるロリー・バーンはB186について、「BMWのターボエンジンが強烈なパワーで、それも急激に発生するタイプだった。それが度を越して強烈なパワーだったから、我々は年間を通してずっとホイールスピン対策に追われていたよ。」と当時の印象を述べている[7]

1年間ドライブしたベルガーも、「スパやモンツァのようなトラックではB186は爆弾のようだった。パワーは信じられないほどだったが、ターボラグも大きかった。コーナーの出口でパワーを得るためには入口でスロットルを開け始めておかなければならないんだ、ラグが約1、2秒あるからね。パワーが発生し始めるのが想定より5mか10mずれようものなら何もできないでスピンするしかないよ。」とそのパワー特性を解説している[8]

最終戦終了後の年末、翌シーズンのベネトン加入が決まったティエリー・ブーツェンがB186を初めてドライブした際には、「僕はアロウズで3シーズンを過ごしていたけど、B186に乗るとすぐにアロウズとは違うランクのシャシーだと分かって、興奮したよ。アロウズもベネトンも同じBMWターボを載せていたから、そのコーナーリング性能差は明白だったんだ。来年はさらにブランニューのB187に変わる訳だから、期待してるよ。」とシャシー性能がアロウズ・A8A9より明確に優れていたと評している[9]

シャシー履歴

[編集]

B186は7台が製造された[10]。開幕戦には3台のシャシーが投入されたが、最後のシャシーは開幕戦の前週に完成した[10]。 4号車はモントリオールでファビが大きなクラッシュに見舞われて廃棄されたが、ブレーキのテスト中に大クラッシュした3号車は修復されてイギリスGPにスペアカーとして持ち込まれた[11]

オーストリアGPイタリアGPで2度のポールポジションを獲得したのはファビの6号車、メキシコGPで初優勝を挙げたのはベルガーの7号車だった[10]

成績

[編集]
タイヤ No. ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 ポイント ランキング
BRA
ブラジルの旗
ESP
スペインの旗
SMR
サンマリノの旗
MON
モナコの旗
BEL
ベルギーの旗
CAN
カナダの旗
DET
アメリカ合衆国の旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
AUT
オーストリアの旗
ITA
イタリアの旗
POR
ポルトガルの旗
MEX
メキシコの旗
AUS
オーストラリアの旗
1986 B186 P 19 イタリアの旗 ファビ 10 5 Ret Ret 7 Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret 8 Ret 10 19 6位
20 オーストリアの旗 ベルガー 6 6 3 Ret 10 Ret Ret Ret Ret 10 Ret 7 5 Ret 1 Ret

関連項目

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 1986年当時ベネトンに在籍していた津川哲夫は、制限なしだった同年の予選では6.5バールを越える過給圧をかけて1450馬力出ていたと述べている。 ベネトンB186のBMW1.5ターボエンジンは、予選では1450馬力を超えた ベストカーweb 2023年1月15日
  2. ^ このレースではタイヤが勝負を左右し、多くのチームが使用していたグッドイヤー勢はエルマノス・ロドリゲス・サーキットの路面に苦労し2回の交換が必要だったのに対し、ベネトンが使用していたピレリはタイヤ無交換が可能な耐久性があった。ベルガーはタイヤ交換を1回にとどめることが出来たアラン・プロストに25秒の差をつけたトップでゴール、タイヤ交換2回勢の最上位である3位のアイルトン・セナとは52秒の大差であったが、無交換作戦はギャンブルであり実行したのはベルガーのみだった。

出典

[編集]
  1. ^ Hamilton (ed.), pp.53, 56
  2. ^ Henry, Alan (1998) (英語). FORMULA1 THE TURBO ERA. Hazleton Publishing. pp. 106. ISBN 1-874557-97-7 
  3. ^ a b R'on INTERVIEW ゲルハルト・ベルガー「フェラーリへの道」 by James Daly Racing On 1987年2月号 60-65頁 武集書房 1987年2月1日発行
  4. ^ F1 Design Renaissance 技術革新の中で研ぎ澄まされていく「空力」新しい考え方 大串信 F1グランプリ特集 5月号 116-117ぺージ ソニーマガジンズ 1996年5月16日発行
  5. ^ a b F1デザイナー ロリー・バーン '88日本グランプリ公式プログラム 85頁 鈴鹿サーキットランド 1988年10月発行
  6. ^ イアン・バムゼイ 著、三重宗久 訳『世界のレーシングエンジン』株式会社グランプリ出版、東京都新宿区、1990年、p.36頁。ISBN 4-906189-99-7 
  7. ^ ベネトン・デザイナー ロリー・バーンインタビュー 人真似嫌いなデザイナーは元グライダー選手権チャンピオン グランプリ・エクスプレス '87モナコGP号 30-31頁 1987年6月15日発行
  8. ^ The wildest turbocharged cars that dominated the racing world BENETTON B186 WHICH CAR.com 2020年7月25日
  9. ^ NAに賭ける Thierry Boutsen-BENETTON グランプリ・エクスプレス'88ブラジルGP号 19頁 1988年4月23日発行
  10. ^ a b c Hamilton, Maurice (ed.) (1986). AUTOCOURSE 1986-87. Hazleton Publishing. pp. p.228. ISBN 0-905138-44-9 
  11. ^ Hamilton, Maurice (ed.) (1986). AUTOCOURSE 1986-87. Hazleton Publishing. pp. p.146. ISBN 0-905138-44-9 
  12. ^ 無念ミドルブリッジF1出走かなわず GPX 1987年イタリアGP号 30頁 山海堂 1987年9月25日発行

外部リンク

[編集]