ヘンリー・パーシー (第7代ノーサンバーランド公爵)
第7代ノーサンバーランド公爵ヘンリー・ジョージ・パーシー(Henry George Percy, 7th Duke of Northumberland KG PC FRS、1846年5月29日 – 1918年5月14日)は、イギリスの貴族、保守党の政治家。政治家としては庶民院議員、第2次ディズレーリ内閣の王室会計長官を務め[1]、保守党協会全国同盟会長を歴任した[2]。1910年から1912年まで王立協会副会長、1913年から1918年までダラム大学総長を務めた[3]。
生涯
[編集]第6代ノーサンバーランド公爵アルジャーノン・パーシーと妻ルイーザ(銀行家ヘンリー・ドラモンドの娘)の息子として、1846年5月29日にメイフェアのチャールズ・ストリートで生まれた[1]。1865年4月21日、オックスフォード大学クライスト・チャーチに入学した[4]。
1868年イギリス総選挙で保守党候補としてノース・ノーサンバーランド選挙区から出馬、無投票で当選した[5]。1874年イギリス総選挙では無投票、1880年イギリス総選挙では2,163票(得票数1位)で再選した[5]。1885年の第3回選挙法改正によりノース・ノーサンバーランド選挙区が廃止され、パーシーは1885年イギリス総選挙をもって議員を退任した[5]。
第2次ディズレーリ内閣において、1874年3月2日に枢密顧問官および王室会計長官に任命され[6]、後者を1875年12月まで務めた[7]。1882年、保守党協会全国同盟会長を務めた[2]。
1887年7月23日、繰上勅書により父の存命中にロヴェイン男爵位を継承して、貴族院議員になった[1][8]。
1899年1月2日に父が死去すると、ノーサンバーランド公爵位を継承した[1]。同年5月22日にガーター勲章を授与された[1][9]。1911年のジョージ5世と王妃メアリーの戴冠式で大家令を務め、聖エドワード王冠を持つ役割を果たした[10]。
地方政治では1904年12月13日にノーサンバーランド統監に任命され[11]、1918年に死去するまで務めた[12]。1909年6月、ミドルセックス州議会の長老議員に当選した[13]。1892年に民兵隊におけるヴィクトリアのエー=ド=カン(副官)に任命され、以降エドワード7世、ジョージ5世の即位後にも再任された[3]。
1900年に大英博物館理事に就任した[1]。1900年11月22日に王立協会フェローに選出され、1910年から1912年まで王立協会副会長を務めた[3]。1913年5月3日にダラム大学総長に就任[14]、1918年まで務めた[15]。
1918年5月14日にアニック・カースルで病死、四男アラン・イアンが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1868年12月28日、イーディス・キャンベル(Edith Campbell、1849年11月7日 – 1913年7月6日、第8代アーガイル公爵ジョージ・キャンベルの娘)と結婚[1]、7男6女をもうけた[16]。
- ルイーザ・エリザベス(1869年11月7日 – 1893年11月29日) - 生涯未婚[16]
- イーディス・イリナ(1869年11月7日 – 1937年4月2日) - 生涯未婚[17]
- ヘンリー・アルジャーノン・ジョージ(1871年1月21日 – 1909年12月30日) - 政治家、生涯未婚[1]
- ジョスリン(1872年1月26日 – 1898年1月31日) - 生涯未婚[1]
- マーガレット(1873年8月30日 – 1934年1月29日) - 生涯未婚[17]
- ヴィクトリア・アレクサンドリナ(1875年2月12日 – 1958年1月18日) - 生涯未婚[17]
- ラルフ・ウィリアム(1877年3月9日 – 1889年3月28日[1])
- メアリー(1878年8月30日 – 1965年3月18日) - 1909年10月20日、エイマー・エドワード・マクスウェル(Aymer Edward Maxwell、1914年10月8日没、第7代準男爵サー・ハーバート・マクスウェルの息子)と結婚、子供あり[16][17]
- アラン・イアン(1880年4月17日 – 1930年8月23日) - 第8代ノーサンバーランド公爵[1]
- ウィリアム・リチャード(1882年5月17日 – 1963年2月8日) - 法廷弁護士、陸軍軍人、鳥類学者[18]。1922年7月25日、メアリー・キャンベル・スウィントン(Mary Campbell Swinton、1984年6月25日没、ジョージ・キャンベル・スウィントンの娘)と結婚、子供あり[17][19]
- ジェームズ(1885年1月6日 – 1903年5月20日) - 生涯未婚[16]
- ユースタス・サザーランド・キャンベル(1887年3月21日 – 1958年4月3日) - 初代ニューカッスルのパーシー男爵[20]
- ミュリエル・エヴリン・ノーラ(1890年7月14日 – 1956年11月23日) - 生涯未婚[17]
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1936). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Moels to Nuneham) (英語). Vol. 9 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 749–750.
- ^ a b Cook, Chris; Keith, Brendan. British Historical Facts, 1830–1900 (英語). London: Macmillan Press. p. 93. ISBN 978-1-349-01348-7。
- ^ a b c "Percy; Henry George (1846 - 1918); 7th Duke of Northumberland; British Conservative politican". Record (英語). The Royal Society. 2024年9月21日閲覧。
- ^ Foster, Joseph (1888–1892). . Alumni Oxonienses: the Members of the University of Oxford, 1715–1886 (英語). Vol. 3. Oxford: Parker and Co. p. 1098. ウィキソースより。
- ^ a b c Craig, F. W. S. (1977). British Parliamentary Election Results 1832–1885 (英語). London: Macmillan Press. pp. 435–436. ISBN 978-1-349-02349-3。
- ^ "No. 24071". The London Gazette (英語). 3 March 1874. pp. 1449, 1453.
- ^ "No. 24276". The London Gazette (英語). 17 December 1875. p. 6467.
- ^ "No. 25723". The London Gazette (英語). 22 July 1887. p. 4001.
- ^ "No. 27099". The London Gazette (英語). 14 July 1899. p. 4343.
- ^ "No. 28535". The London Gazette (Supplement) (英語). 26 September 1911. p. 7084.
- ^ "No. 27744". The London Gazette (英語). 16 December 1904. p. 8634.
- ^ "No. 30808". The London Gazette (英語). 23 July 1918. p. 8606.
- ^ "Middlesex County Council". Acton Gazette (英語). London. 25 June 1909. p. 7. The British Newspaper Archiveより。
- ^ "University and Educational Intelligence". Nature (英語). 91: 258. 8 May 1913. doi:10.1038/091258a0. ISSN 1476-4687。
- ^ "University and Educational Intelligence". Nature (英語). 101: 357. 4 July 1918. doi:10.1038/101357a0. ISSN 1476-4687。
- ^ a b c d Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth Peter, eds. (1934). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, The Privy Council, and Knightage (英語). Vol. 2 (92nd ed.). London: Burke's Peerage, Ltd. p. 1807.
- ^ a b c d e f Mosley, Charles, ed. (2003). Burke’s Peerage, Baronetage & Knightage Clan Chiefs Scottish Feudal Barons (英語). Vol. 2 (107th ed.). London: Burke's Peerage Limited. pp. 2946–2947. ISBN 978-0-97119662-9。
- ^ Murphy, Robert Cushman; Amadon, D. (July 1963). "Obituaries". The Auk (英語). Oxford University Press. 80 (3): 414. JSTOR 4082926。
- ^ Mosley, Charles, ed. (2003). Burke’s Peerage, Baronetage & Knightage Clan Chiefs Scottish Feudal Barons (英語). Vol. 1 (107th ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 750. ISBN 978-0-97119662-9。
- ^ Cokayne, George Edward; Hammond, Peter W., eds. (1998). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Addenda & Corrigenda) (英語). Vol. 14 (2nd ed.). Stroud: Sutton Publishing. pp. 804–805. ISBN 978-0-7509-0154-3。
外部リンク
[編集]- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by Earl Percy
- ヘンリー・パーシー - ナショナル・ポートレート・ギャラリー
- "ヘンリー・パーシーの関連資料一覧" (英語). イギリス国立公文書館.
グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会 | ||
---|---|---|
先代 ヘンリー・パーシー卿 サー・マシュー・リドリー準男爵(父) |
庶民院議員(ノース・ノーサンバーランド選挙区選出) 1868年 – 1885年 同職:サー・マシュー・リドリー準男爵(子) |
選挙区廃止 |
公職 | ||
先代 第7代モンソン男爵 |
王室会計長官 1874年 – 1875年 |
次代 ヘンリー・シン卿 |
党職 | ||
先代 第3代ソールズベリー侯爵 |
保守党協会全国同盟会長 1882年 |
次代 第8代ボーフォート公爵 |
名誉職 | ||
先代 第4代グレイ伯爵 |
ノーサンバーランド統監 1904年 – 1918年 |
次代 第8代ノーサンバーランド公爵 |
宮廷職 | ||
空位 最後の在位者 第9代マールバラ公爵
|
大家令 1911年 |
空位 次代の在位者 第4代ソールズベリー侯爵
|
学職 | ||
先代 ジョージ・キッチン |
ダラム大学総長 1913年 – 1918年 |
次代 第3代ダラム伯爵 |
グレートブリテンの爵位 | ||
先代 アルジャーノン・パーシー |
ノーサンバーランド公爵 1899年 – 1918年 |
次代 アラン・パーシー |
ロヴェイン男爵 (繰上勅書により) 1887年 – 1918年 |