プーン・シーパスート
プーン・シーパスート ພູນ ສີປະເສີດ Phoun Sipaseuth | |
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生年月日 | 1920年2月16日 |
出生地 | フランス領インドシナ、ラオス南部 |
没年月日 | 1994年12月8日 |
所属政党 |
インドシナ共産党 ラオス人民党 ラオス人民革命党 |
称号 | 国家黄金勲章 |
内閣 |
カイソーン・ポムウィハーン内閣 カムタイ・シーパンドーン内閣 |
在任期間 | 1975年12月2日 - 1994年12月8日 |
国家主席 |
スパーヌウォン カイソーン・ポムウィハーン ヌーハック・プームサワン |
内閣 |
カイソーン・ポムウィハーン内閣 カムタイ・シーパンドーン内閣 |
在任期間 | 1975年12月2日 - 1993年2月 |
国家主席 |
スパーヌウォン カイソーン・ポムウィハーン ヌーハック・プームサワン |
プーン・シーパスート(ラーオ語: ພູນ ສີປະເສີດ / Phoun Sipaseuth, 1920年2月16日 - 1994年12月8日)はラオスの軍人、政治家。ラオス人民革命党政治局員。ラオス内戦においては左派パテート・ラーオ軍を率いて戦い、人民民主共和国成立後は長らく副首相兼外務大臣を務めた。
経歴
[編集]1920年、ラオス南部サワンナケートに生まれる[1]。第二次世界大戦後にラーオ・イサラ(自由ラオス)運動に参加し、フランス軍に対抗した。タケークの戦いに参加し、仏軍に敗北した後もラオス国内に残留。東部ラオス抗戦委員会に加わり、ベトナム=ラオス国境地帯でゲリラ戦を展開した。1950年、インドシナ共産党に入党し、同年8月には自由ラオス戦線大会に南部ラオス代表として派遣された[1]。
1954年7月、第一次インドシナ戦争の停戦を定めたジュネーヴ協定が締結されると、同協定の施行に伴う軍隊の統合について、パテート・ラーオ軍大佐・軍事代表団長として王国軍と交渉した[2][3]。
1955年のラオス人民党第1回党大会で中央委員に選出された。さらに、1956年1月のネオ・ラーオ・ハクサート(ラオス愛国戦線)第1回全国大会で中央委員に選出。1958年の国民議会議員補欠選挙において、ネーオ・ラーオ・ハクサートの候補としてカムムアン県(タケーク)選挙区から立候補し、国民議会議員に当選した。しかし翌1959年7月、親米右派のプイ・サナニコーン政権により逮捕されると、スパーヌウォンや他の左派議員とともに投獄され、1960年5月に脱獄するまでビエンチャンの監獄にいた。同年8月の中立派コン・レー大尉のクーデターと、その後の中立派軍のジャール平原撤退後は、中立派軍=左派パテート・ラーオ軍で形成された高級軍事委員会においてパテート・ラーオ副代表を務めた[1]。
1964年、ネオ・ラーオ・ハクサート第2回全国大会で中央委員に再選出。また同年、前線高級軍事会議の委員に任ぜられ、将軍に昇格した[1]。1970年9月2日、王国政府との交渉におけるネオ・ラーオ・ハクサート全権代表に任命。
1972年、ラオス人民革命党第2回党大会で政治局員、書記局員に選出され、党内序列第6位となる。
1975年に内戦が終結し、ラオス人民民主共和国が成立すると、同年12月2日、カイソーン内閣の閣僚評議会副議長(副首相)兼外務大臣に就任した。
1982年4月、第3回党大会で党政治局員に再選出。党対外関係委員会委員長を兼任する。
1986年11月、第4回党大会で政治局員に再選出。
1991年3月、第5回党大会で政治局員に再選出され、序列第4位に昇格した。同年8月、カムタイ・シーパンドーンが首相に就任するが、同内閣でも副首相兼外相に留任。
1993年2月の内閣改造において、外相職をソムサワート・レンサワットに譲り、副首相(外交問題担当)専任となった[4]。
1994年12月8日に亡くなると国葬が執り行われた[5]。
日本との関係
[編集]1988年(昭和63年)3月27日から4月1日、外務省賓客として訪日。竹下総理、宇野外務大臣と会談した。
1989年(平成元年)2月、昭和天皇の大喪の礼に参列し、また翌1990年11月、明仁天皇の即位の礼にも参列した。
顕彰
[編集]1993年12月1日、ヌーハック国家主席、プーミ党中央委員会顧問とともに、ラオス最高栄誉の国家黄金勲章を受章した。
2014年5月23日、カイソーン・ポムウィハーン博物館委員会は、プーンの故郷サワンナケートに記念館を建設する契約を結んだ[6]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『アジア動向年報』 アジア経済研究所、1971年
- 木村哲三郎『党組織強化による体制固め : 1993年のラオス』アジア経済研究所〈アジア動向年報 1994年版〉、1994年、247-256頁。doi:10.20561/00038873。hdl:2344/00002210。ISBN 9784258010943 。「ZAD199400_012」
- 山田紀彦「ラオス人民革命党第7回大会 ― 残された課題 ― 」石田暁恵編 『2001年党大会後のヴィエトナム・ラオス ― 新たな課題への挑戦』 アジア経済研究所、2002年3月
- 山田紀彦「ラオス内戦史資料(1954年-1975年)」武内進一編 『アジア・アフリカの武力紛争―共同研究会中間成果報告』 アジア経済研究所、2002年3月
- 山田紀彦「ラオス人民革命党による地方管理体制の構築過程」山田紀彦編 『ラオス チンタナカーン・マイ(新思考)政策の新展開』 アジア経済研究所、2010年3月
- プーミー・ヴォンヴィチット 『激動のラオス現代史を生きて ― 回想のわが生涯』 めこん、2010年
- Stuart-Fox, Martin (2008). "PHOUN SIPRASEUTH (Phūn Sīpasoet) (1920-94)". Historical Dictionary of Laos (Third ed.). Scarecrow Press. pp. 261–262. ISBN 9780810856240。
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