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ブライアン・アディアス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ブライアン・アディアス
ブライアン・アディアスの画像
1987年
プロフィール
リングネーム ブライアン・アディアス[1]
ブライアン・アディダス[1]
本名 ブライアン・ガワー[1]
身長 185cm[2]
体重 108kg(全盛時)[2]
誕生日 (1960-04-06) 1960年4月6日(64歳)[2]
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
テキサス州の旗 テキサス州
デントン郡デントン[2]
スポーツ歴 陸上競技[1]
トレーナー フリッツ・フォン・エリック[3]
デビュー 1979年[3]
引退 2000年[3]
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ブライアン・アディアスBrian Adias、本名:Brian Gower1960年4月6日[2] - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラーテキサス州デントン出身[2]

地元テキサスのダラス地区を主戦場に、初期はベビーフェイス、後に技巧派のヒールとなって活動した[1]

来歴

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フォン・エリック兄弟とは幼馴染であり、ハイスクール時代はケリー・フォン・エリックのクラスメイトで、ケリーと同じく陸上競技で活躍していた[1]

1979年フリッツ・フォン・エリックが主宰するテキサス州ダラスのNWAビッグタイム・レスリング(後のWCCWおよびWCWA)においてデビュー[1]。フォン・エリック兄弟の友人のベビーフェイスとしてプッシュを受ける[1]。当初はブライアン・アディダスBrian Adidas)のリングネームを用いていたが、同名のスポーツ用品メーカーからのクレームもあり、後にブライアン・アディアスBrian Adias)と改名している[1][4]

1982年6月21日にはワイルド・ビル・アーウィンを破り、WCCW認定のTV王座を獲得した[5]1983年太平洋岸北西部パシフィック・ノースウエスト・レスリングにも参戦、8月20日にバディ・ローズと組み、リップ・オリバー&ジ・アサシン(デビッド・シェラ)からNWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座を奪取している[6]。本拠地のダラス地区では12月5日にスーパー・デストロイヤーを下してTV王座に返り咲き[5]、12月25日にはアイスマン・キング・パーソンズと組んでNWAアメリカン・タッグ王座も獲得した[7]

1984年ジム・クロケット・ジュニア主宰のNWAミッドアトランティック地区に参戦して、タリー・ブランチャードボブ・オートン・ジュニアザ・グレート・カブキエイドリアン・ストリートなどと対戦[8]。6月10日には同地区と提携していたトロントメープル・リーフ・レスリングにおいて、ドン・カヌードルからカナディアンTV王座を奪取[9]。同年11月22日にはクロケット・プロの年間最大のイベントだったスターケードに出場し、ミスター・イトーから勝利を収めた[10]

1985年にダラスのWCCWに戻ると、7月29日にジノ・ヘルナンデスを破りNWAテキサス・ヘビー級王座を獲得[11]。9月2日のイベント "WCCW Labor Day Star Wars" においてヘルナンデスに奪還されるも、同日はケリー&ケビン・フォン・エリックとのトリオでマーク・ルーインワンマン・ギャングジャック・ビクトリーからNWA世界6人タッグ王座を奪取している[12][13]。以降もヘルナンデスとテキサス・ヘビー級王座を賭けた抗争を展開し、翌年の7月4日にバズ・ソイヤーに敗れるまで、WCCWのフラッグシップ・タイトルだった同王座を通算3回獲得した[11]

ランス・フォン・エリックを攻撃するアディアス(1987年)

1986年、ヘルナンデスの急逝やケリーのバイク事故による長期欠場など、リング外の諸般の事情に伴い、当時のWCWA(WCCWより改称)でブッカーを務めていたブルーザー・ブロディの発案でヒールに転向[1]マイク・フォン・エリックを裏切ったというアングルのもと、ゲーリー・ハートマネージャーに迎えてフォン・エリック兄弟と抗争を繰り広げた[1]。同年12月1日にはアル・マドリルと組んでランス・フォン・エリック&ディンゴ・ウォリアーからWCWA世界タッグ王座を奪取している[14]。このヒールターンを機に、かつてWCCWを主戦場としていたキラー・カーンテリー・ゴディに倣って「オリエンタル・スパイク」なるスロート・クローフィニッシュ・ホールドに用いるようになった[1]

1988年にWCWAを離脱し、ケン・マンテル主宰のワイルド・ウエスト・レスリングを経て、1991年は新興団体のGWFで活動[1]。ベビーフェイスのポジションに戻り、因縁のビル・アーウィンをはじめ、ブラック・バートランディ・ローズダグ・サマーズバディ・ランデルなどと対戦した[15]。以降、しばらくリングを離れた後、1997年から1999年にかけて、ダラスのインディー団体CWAに出場していた[16]

得意技

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獲得タイトル

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WCCW / WCWA
メープル・リーフ・レスリング
  • NWAカナディアンTV王座:1回[9]
パシフィック・ノースウエスト・レスリング

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m BIO: Brian Adias”. World Class Memories. 2023年6月9日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h Brian Adias”. Wrestlingdata.com. 2023年6月9日閲覧。
  3. ^ a b c Brian Adias”. Cagematch.net. 2023年6月9日閲覧。
  4. ^ Brian Adias”. Online World of Wrestling. 2023年6月9日閲覧。
  5. ^ a b c World Class Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2023年6月9日閲覧。
  6. ^ a b NWA Pacific Northwest Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2023年6月9日閲覧。
  7. ^ a b NWA American Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2023年6月9日閲覧。
  8. ^ The WCW matches fought by Brian Adias in 1984”. Wrestlingdata.com. 2023年6月9日閲覧。
  9. ^ a b NWA Canadian Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2023年6月9日閲覧。
  10. ^ NWA Starrcade 1984 - The Million Dollar Challenge”. Cagematch.net. 2023年6月9日閲覧。
  11. ^ a b c NWA Texas Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2023年6月9日閲覧。
  12. ^ WCCW Labor Day Star Wars”. Cagematch.net. 2023年6月9日閲覧。
  13. ^ a b World 6-Man Tag Team Title [Texas]”. Wrestling-Titles.com. 2023年6月9日閲覧。
  14. ^ a b WCWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2023年6月9日閲覧。
  15. ^ The GWF matches fought by Brian Adias in 1991”. Wrestlingdata.com. 2023年6月9日閲覧。
  16. ^ Brian Adias: Matches 1987-1999”. Cagematch.net. 2023年6月9日閲覧。

外部リンク

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