FC刈谷
FC刈谷 | |
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原語表記 | フットボールクラブ刈谷 |
呼称 | FC刈谷 |
クラブカラー |
白 赤 |
創設年 | 2006年 |
所属リーグ | 東海社会人サッカーリーグ |
所属ディビジョン | 1部 |
ホームタウン | 愛知県刈谷市、大府市 |
ホームスタジアム | 刈谷市総合運動公園多目的グラウンド |
収容人数 | 4,000 |
運営法人 | 三河ベイフットボールクラブ株式会社[1] |
代表者 | 佐々木賢二[2] |
監督 | 茂庭照幸 |
公式サイト | 公式サイト |
■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
448-0003 愛知県刈谷市一ツ木町8-11-12[1] |
設立 | 2021年2月16日[1] |
法人番号 | 9180301034638 |
事業内容 | サッカークラブ運営 |
代表者 | 佐々木賢二[2] |
資本金 | 2500万円[1] |
特記事項:2021年3月1日、特定非営利活動法人かえるスポーツクラブより運営を移管。 |
FC刈谷(エフシーかりや)は、愛知県刈谷市と大府市を本拠地とする社会人サッカークラブ。Jリーグ加盟を目指すクラブの一つである。
1949年に日本電装サッカー部として創設され、2006年にクラブ化すると共にFC刈谷へ名称変更した。本拠地は刈谷市総合運動公園多目的グラウンド(ウェーブスタジアム刈谷)。練習場所としてジェイテクトグラウンドや刈谷市総合運動公園内にある運動広場、同じく同公園内にある人工芝(日によっては隣接する天然芝)のグリーングラウンド刈谷を使用している。
歴史
[編集]日本電装・デンソー (1949年 - 2005年)
[編集]1949年に日本電装サッカー部として創設。東海社会人リーグを中心に上位に君臨したが、1995年度の全国地域リーグ決勝大会(1996年1月開催)で優勝し、ジャパンフットボールリーグへ昇格した。また、同年にデンソーへの社名変更に伴いデンソーサッカー部にチーム名も変更した。
2000年は3位に入り、2001年には徳重隆明が日本フットボールリーグの年間得点王を獲得した。
FC刈谷(2006年 - )
[編集]2005年限りでデンソーサッカー部が休部することに伴って、チームの移管を受けて2006年度よりクラブ化すると共にFC刈谷へ名称を変更した[3]。また、運営母体として「特定非営利活動法人かえるスポーツクラブ」が発足した。
2007年の目標を「TOP3」と掲げた監督の安原成泰だったが、シーズン前期は下位に沈む。前期終了後に「退任を起爆剤として選手達にはプライドを持ってやりきってもらいたい」を理由に安原成泰とGMの服部順一(刈谷市出身)、コーチ2人が退任。後任監督にFC刈谷の選手であった浮氣哲郎。浮氣哲郎は監督を就任したときに選手としては引退した。しかしその後も成績は振るわず、16位で2007年シーズンを終えた。
2008年、浮氣が引き続き監督を続投。目標は「勝点52」を掲げる。GK石川扶、DF松田勉、DF石川高大、DF田上裕と守備陣がほとんど入れ替わったことや浮氣哲郎の指導がチームに浸透したこともあり、前年度と比べ失点数が59から40に減り、負け数も22から9まで減らした。結果、目標勝点52に一歩及ばない51まで伸ばした。順位も2007年の16位から8位まで躍進した。シーズン終了後主力7人がチームから離れた。
2009年からはかつてFC東京でFWとして活躍したアマラオをコーチとして迎え、またFC東京から池上礼一を完全移籍で、FC岐阜より3選手を期限付き移籍で獲得し上位を目指したが、昨年チーム得点王だった平林輝良寛や原賀啓輔の二桁得点者の抜けた穴が大きく開幕当初から決定力不足(最終的にチームの得点26はリーグワーストタイ)に陥り、4月5日のFC町田ゼルビア戦の勝利以降勝ちがなくなった。その間に5月31日のガイナーレ鳥取戦から8月2日のソニー仙台FC戦まで10連敗(6試合連続無得点)を喫した。そのため急遽アマラオが選手として復帰することとなった。またシーズン途中で前年まで主力だった篠川雅仁を呼び戻したり、FC岐阜から車東訓を期限付きで、神奈川大学から大石治寿、さらに東海学園大学から在学中の3選手を獲得した[4](なお、うち2人は11月をもってFC刈谷を退団。九州リーグのMSU FCへ移籍した。)。しかし、その後も伸び悩み9月12日の鳥取戦に4-2で勝利するまで、21試合連続未勝利となった。鳥取戦以降は5勝3分1敗と持ち直したものの、17位の成績。入れ替え戦に出場したがツエーゲン金沢に敗れて、15年ぶりに東海リーグへの降格となった。
シーズン終了後に浮氣哲郎の監督退任と選手兼コーチだったアマラオの2010年からの監督就任が発表された。また5選手が2009年をもって退団あるいは引退、池上礼一もシーズン途中に負った怪我の具合が思わしくなく退団、FC岐阜から期限付き移籍中の4選手も契約満了で退団となった(FC岐阜からも戦力外で退団となった。その後姜曉一とは2010年2月にFC刈谷へ完全移籍で再加入した)。
2010年は9選手が新たにFC刈谷の一員として加わり、また加藤知弘と西原拓己が選手兼コーチとして監督のアマラオを支えることとなり、一年でのJFL復帰をめざすことになった。しかし、敗戦は1敗のみであったが引き分けが多く優勝したshizuoka.藤枝MYFCに一歩及ばず2位でリーグ戦を終えて、一年でのJFL復帰はならなかった[5]。さらに財政難でクラブの存続が危機的であることが明らかになった[6] が、2011年もチームが存続することが決まった[7]ことから運営費を削減、プロ契約の監督だったアマラオがリーグ戦終了後に退団となり、選手兼コーチだった加藤知弘が現役引退して、2011年より監督就任が発表された。また10選手が退団した。
2015年に東海リーグで優勝。第39回全国地域サッカーリーグ決勝大会は4位に入賞した。
2016年は開幕から14戦負けなしで首位を独走、リーグ2連覇を達成したが、全国地域サッカーチャンピオンズリーグ2016は1次ラウンドで敗退。
2018年は新オーナーにデンソーサッカー部時代に選手として在籍していた投資家・実業家の長谷迅が就任。同年、第54回全国社会人サッカー選手権大会で準優勝し、全国地域サッカーチャンピオンズリーグ2018出場権を獲得。同大会では決勝ラウンド3位でJFL昇格を逃し残留する。
2019年、愛知県サッカー選手権大会で優勝して7年ぶりの天皇杯出場を決めた[8]。
2020年、中止となったリーグの代替大会である東海社会人トーナメント1部で優勝し地域CL2020出場権を獲得、一次ラウンドを2勝1分でグループ首位通過、決勝ラウンドでは1勝2分・勝点5で3チームが並んだものの得失点差で2位となり12年ぶりのJFL昇格が内定、12月8日に行われたJFL理事会でJFL加盟が正式に決定した[9]。
2021年、運営母体が特定非営利活動法人かえるスポーツクラブから三河ベイフットボールクラブ株式会社に変更され、3年でのJリーグ参入・10年でのJ1昇格を目標に掲げた[1]。しかし、開幕から9連敗を含む12試合勝ち無し(うち第3節から8試合連続無得点のJFLリーグワーストタイ)となったこともあり7月に門田幸二監督との契約を解除[10]。後任の監督に元Jリーガーの村田一弘が就任[11]。しかし監督交代後もシーズン終了まで2勝しか挙げられず、シーズン終盤は8試合未勝利5連敗で終わり年間最下位の17位、いわきFCの優勝と翌年J3加盟決定により東海社会人サッカーリーグへの自動降格こそ免れたものの、規定により全国地域サッカーチャンピオンズリーグ2021優勝のCriacao Shinjukuとの入替戦に回り、12月18日に行われた入替戦では0-4で完敗、1シーズンで再び東海リーグ降格となった[12]。12月31日に代表取締役社長の松﨑英巳が辞任した[13]。
2022年、佐々木賢二が代表取締役社長に就任した[2]。選手をほぼ全員入れ替えて臨むことになった東海リーグだが優勝を果たし、地域CL2022に出場。1次ラウンドは3試合で7得点を挙げ2勝1分、Aグループ首位で通過したものの、決勝ラウンドでは一転して1得点も挙げられず3連敗で4位に終わり、2023年シーズンも東海リーグ残留となった。また、12月には大府市を新たにホームタウンに加えた[14]。
戦績
[編集]日本電装・デンソー
[編集]年度 | 所属 | 順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 差 | 監督 | 備考 |
1989 | 東海 | 5位 | 17 | 17 | 7 | 3 | 7 | 44 | 31 | 13 | - | |
1990 | 7位 | 19 | 16 | 8 | 3 | 5 | 36 | 23 | 13 | |||
1991 | 2位 | 26 | 16 | 12 | 2 | 2 | 46 | 14 | 32 | 地域リーグ決勝大会敗退 | ||
1992 | 4位 | 22 | 16 | 9 | 4 | 3 | 36 | 22 | 14 | |||
1993 | 優勝 | 29 | 16 | 14 | 1 | 1 | 61 | 7 | 54 | 地域リーグ決勝大会優勝・入替戦敗退 | ||
1994 | 2位 | 26 | 16 | 11 | 4 | 1 | 54 | 10 | 44 | 地域リーグ決勝大会敗退 | ||
1995 | 優勝 | 35 | 19 | 16 | 3 | 0 | 65 | 16 | 49 | 地域リーグ決勝大会優勝・旧JFL昇格 | ||
1996 | 旧JFL | 15位 | 16 | 30 | 5 | - | 25 | 40 | 90 | -50 | 延長勝0/PK勝3/延長敗0/PK敗1 | |
1997 | 13位 | 27 | 30 | 11 | - | 19 | 29 | 49 | -20 | 延長勝2/PK勝2/延長敗2/PK敗1 | ||
1998 | 10位 | 38 | 30 | 14 | - | 16 | 48 | 59 | -11 | 延長勝2/PK勝1/延長敗1/PK敗0 | ||
1999 | JFL | 4位 | 34 | 24 | 11 | 4 | 9 | 46 | 38 | 8 | 山下俊明 | 延長勝3/延長敗3 |
2000 | 3位 | 44 | 22 | 16 | 1 | 5 | 43 | 23 | 20 | 延長勝5/延長敗3 | ||
2001 | 5位 | 54 | 30 | 17 | 3 | 10 | 70 | 54 | 16 | |||
2002 | 10位 | 21 | 17 | 6 | 3 | 8 | 32 | 30 | 2 | |||
2003 | 12位 | 32 | 30 | 9 | 5 | 16 | 41 | 51 | -10 | |||
2004 | 16位 | 18 | 30 | 4 | 6 | 20 | 29 | 85 | -56 | |||
2005 | 14位 | 19 | 30 | 4 | 7 | 19 | 33 | 63 | -30 |
FC刈谷
[編集]年度 | 所属 | 順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 差 | 天皇杯 | 監督 | 備考 |
2006 | JFL | 13位 | 32 | 34 | 8 | 8 | 18 | 46 | 63 | -17 | 県予選敗退 | 安原成泰 | |
2007 | 16位 | 28 | 34 | 8 | 4 | 22 | 36 | 59 | -23 | 2回戦敗退 | 安原成泰(-6月)/浮氣哲郎(7月-) | ||
2008 | 8位 | 51 | 34 | 13 | 12 | 9 | 47 | 40 | 7 | 県予選敗退 | 浮氣哲郎 | ||
2009 | 17位 | 31 | 34 | 7 | 10 | 17 | 26 | 51 | -25 | 1回戦敗退 | 入れ替え戦敗退 | ||
2010 | 東海1部 | 2位 | 35 | 16 | 10 | 5 | 1 | 38 | 9 | 29 | 県予選敗退 | アマラオ | |
2011 | 3位 | 21 | 14 | 6 | 3 | 5 | 28 | 24 | 4 | 加藤知弘 | 全社2回戦敗退 | ||
2012 | 4位 | 18 | 14 | 5 | 3 | 6 | 23 | 17 | 6 | 2回戦敗退 | 全社ベスト8 | ||
2013 | 3位 | 25 | 14 | 8 | 1 | 5 | 35 | 21 | 14 | 県予選敗退 | |||
2014 | 4位 | 20 | 14 | 6 | 2 | 6 | 19 | 19 | 0 | 石田学 | 全社1回戦敗退 | ||
2015 | 優勝 | 33 | 14 | 10 | 3 | 1 | 34 | 13 | 21 | 全社ベスト8、地域決勝4位 | |||
2016 | 優勝 | 40 | 14 | 13 | 1 | 0 | 43 | 7 | 36 | 飯塚亮 | 地域CL1次ラウンド敗退 | ||
2017 | 2位 | 33 | 14 | 10 | 3 | 1 | 35 | 15 | 20 | 地域CL1次ラウンド敗退 | |||
2018 | 2位 | 37 | 14 | 12 | 1 | 1 | 33 | 9 | 24 | ビラ・ヴェイガ | 全社準優勝、地域CL3位 | ||
2019 | 優勝 | 36 | 14 | 12 | 0 | 2 | 44 | 14 | 30 | 1回戦敗退 | 全社ベスト8、地域CL1次ラウンド敗退 | ||
2020 | 新型コロナウイルスの影響により中止 | 県予選敗退 | 門田幸二 | TSLトーナメント1部優勝、地域CL2位 | |||||||||
2021 | JFL | 17位 | 18 | 32 | 4 | 6 | 22 | 26 | 55 | -29 | 1回戦敗退 | 門田幸二(-6月)/村田一弘(8月-) | 入れ替え戦敗退 |
2022 | 東海1部 | 優勝 | 36 | 16 | 11 | 3 | 2 | 39 | 11 | 28 | 県予選敗退 | 村田一弘 | 地域CL4位 |
2023 | 2位 | 33 | 14 | 10 | 3 | 1 | 27 | 9 | 18 | 今井雅隆 | 全社優勝、地域CL1次ラウンド敗退 | ||
2024 | 2位 | 31 | 14 | 10 | 1 | 3 | 29 | 14 | 15 | 茂庭照幸 | 全社4位 |
タイトル
[編集]リーグ戦
[編集]- 東海社会人サッカーリーグ1部:6回
- 1993年、1995年、2015年、2016年、2019年、2022年
カップ戦
[編集]- 全国社会人サッカー選手権大会:1回
- 全国地域リーグ決勝大会:2回
- 1993年、1995年
- 2020年度 東海社会人サッカーリーグトーナメント1部
ユニフォーム
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リーベル・プレートのユニフォームの様な斜めに走る赤いラインは"赤ダスキ"と呼ばれ、高校サッカーの古豪である愛知県立刈谷高等学校のユニフォームをモチーフにしたもの。赤ダスキは刈谷のサッカーにおけるシンボルデザインとなっている。
クラブカラー
[編集]- 白、 赤
ユニフォームスポンサー
[編集]掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
胸 | スギ薬局 | スギ薬局 | 2018年 - | 2018年は胸と袖 袖は「くすり」表記 |
---|---|---|---|---|
鎖骨 | ゴムノイナキ | ゴムノイナキ | 2021年 - | 右側に掲出
2019年はパンツ |
デジタルワレット | Smiles | 2024年 - | 左側に掲出 | |
背中上部 | 佐野塗工店 | SANO | 2023年 - | |
背中下部 | 医療法人社団大須賀医院 おおすが整形外科 |
おおすが整形外科 | 2024年 - | 2018年 - 2019年は背中下部 2020年は背中上部 2021年 - 2023年は鎖骨左側 |
袖 | なし | - | - | |
パンツ前面 | unerry | unerry | 2024年 - | |
パンツ背面 | なし | - | - |
ユニフォームサプライヤーの遍歴
[編集]- - 2002年:エネーレ
- 2003年 - 2005年:ディアドラ
- 2006年 - 2015年:ヒュンメル
- 2016年 - 2018年:デュエロ
- 2019年 - 2022年:ボネーラ
- 2023年:ペナルティ
- 2024年 - :スフィーダ
歴代ユニフォームスポンサー表記
[編集]年度 | 箇所 | サプライヤー | |||||||
胸 | 鎖骨右 | 鎖骨左 | 背中上部 | 背中下部 | 袖 | パンツ前面 | パンツ背面 | ||
2011 | - | 解禁前 | - | - | - | AIC | 解禁前 | hummel | |
2012 | TOP MEDIA | ||||||||
2013 | |||||||||
2014 | |||||||||
2015 | フォナックス | ||||||||
2016 | - | - | DUELO | ||||||
2017 | |||||||||
2018 | スギ薬局 | - | おおすが整形外科 | HATAS Living in Smile |
くすり | ||||
2019 | テルミック | INAKI SINCE 1919 |
bonera | ||||||
2020 | おおすが整形外科 | ゴムノイナキ | - | - | |||||
2021 | ゴムノイナキ | おおすが整形外科 | BAR TRADING | - | KATCH | ||||
2022 | - | - | |||||||
2023 | SANO | PENALTY | |||||||
2024 | Smiles | おおすが整形外科 | unerry | SFIDA |
脚注
[編集]- ^ a b c d e 『運営会社「三河ベイフットボールクラブ株式会社設立」のご案内』(プレスリリース)FC刈谷 。2021年3月1日閲覧。
- ^ a b c 『代表取締役社長就任のお知らせ』(プレスリリース)FC刈谷 。2022年1月17日閲覧。
- ^ 『第8回日本フットボールリーグ』(プレスリリース)日本フットボールリーグ 。2019年4月23日閲覧。
- ^ JFLではJリーグと違い特別指定選手の制度がないため大学チームに在籍しながらのJFLチームでの試合は認められていないため、大学のチームの選手登録を抹消してFC刈谷の選手として選手登録した。
- ^ 2009年までは前年度全国地域サッカーリーグ決勝大会の決勝リーグ出場地区(最大4)については、次年度の同大会事実上のシード枠として2位のチームにも出場できる権利があったが、2010年からシード枠が事実上廃止となり、東海リーグで優勝するか全国社会人サッカー選手権大会で3位以上の成績を収めない限り同大会出場ができなくなった。
- ^ “FC刈谷、存続の危機 JFL復帰の“公約”暗雲”. 中日新聞. (2010年10月7日). オリジナルの2010年10月10日時点におけるアーカイブ。 2023年7月8日閲覧。
- ^ “FC刈谷、来季も存続 財政は依然厳しく”. 中日新聞. (2010年11月18日). オリジナルの2010年11月21日時点におけるアーカイブ。 2023年7月8日閲覧。
- ^ 『天皇杯 JFA 第99回全日本サッカー選手権大会 愛知県代表にFC刈谷が決定』(プレスリリース)日本サッカー協会、2019年4月20日 。2019年4月23日閲覧。
- ^ 『お知らせ「第23回日本フットボールリーグ新入会チームについて」』(プレスリリース)日本フットボールリーグ、2020年12月8日 。2021年1月1日閲覧。
- ^ 『門田 幸二監督 契約解除のお知らせ』(プレスリリース)FC刈谷、2021年7月16日 。2021年7月31日閲覧。
- ^ 『村田 一弘氏 監督就任のお知らせ』(プレスリリース)FC刈谷、2021年8月2日 。2021年8月2日閲覧。
- ^ “クリアソン新宿がJFL昇格、小倉隆史監督の伊勢志摩は敗れる”. 日刊スポーツ. (2021年12月18日) 2023年7月8日閲覧。
- ^ 『松﨑英巳代表取締役社長辞任のお知らせ』(プレスリリース)FC刈谷、2021年12月31日 。2023年7月8日閲覧。
- ^ 『『大府市』ホームタウンパートナー締結のお知らせ』(プレスリリース)FC刈谷、2022年12月21日 。2023年7月8日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 公式ウェブサイト
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